まだ昨夜よりも明るい空の下では、その光景はよく見えた。
西に斬りつけられた鬼の異様なまでに長い腕は、ビタンと壁に叩きつけられた。
その先、二の腕にあたるのであろう部分から滴り落ちる鬼の血が、その家屋の中に満ちる血に反応している。
まるで、床に散らばる血を飲むかのように、鬼の血は踊り、やがて同化していった。

「……へぇ、自分、成り立てやのに、血鬼術使えるんか?」

フーッ、フーッ、と鬼が息を吐くたびに、生臭い、まるで生魚の腐ったようなにおいが立ちこめては、満ちていく。
この家に、風穴が空いていなければ、どうなっていた事やら、と言いたくなるほどのにおい。
私が顔に垂れ布を付けていなければ、えずいていたのかもしれない。
それくらいに、臭い。
誤って、締め切った牛舎に踏み入ったくらいに、くさい。
入ったことも無ければ、どの程度の臭気かも知りはしないけれど、兎に角臭い。

そっと鼻を抑えてその家屋から数歩離れた。
それに倣ったのか、後藤さんも数歩、離れる。
さり気なく私と鬼の間に体を入れるのは、後藤さんの癖なのかしら、と思ってしまいそうな程に毎度で、むずい。

「後藤さ、」
「しっ!」すっ、と後藤さんの指が私の口布を揺らした。



中では然程広くも無い室内で、西がサッと刀を横に薙ぐのが見えた。
その切先は、スレスレでふすまやら柱には掠らずに、西の体の方へとピタリと戻っていく。
まるで体の一部かのように。
体が、一部かのように。
ヒラリと舞って、薄暗い室内で刃が僅かな光を照らし返した。
鬼の腕が血と一緒に舞って、ぼとりと落ちる。
血が踊る。
文字通り、踊っている。

「安心しぃ、峰打ちや」

西の、珍しく凛として見える背中の向こうから聞こえた声から、ニヤリ、と笑う西の顔がありありと想像できた。

「……いや、腕切れてるから」

梅がため息を吐き落としながら、猛進してくる鬼の脚を斬り落とす。
ぎゃうう!と、まるで動物のような悲鳴を上げた鬼の腕が、足が、またにょきりと生えきった頃。
西は大きく踏み込んだ。
鬼が西へ向かって行く。
人よりも遥かに長い腕を鞭のようにしならせ伸ばされる鬼の腕を軽々と西は避ける。
ダンッ
と重たい音が響き、ミシッと家全部が小さく呻いた時には、家の柱に鬼がはりつけられている。
あまりの速さに、目は彼を捉えることは無かった。

「安心しぃ、峰打ちや」
「刺してるからな?それは、突きやな?」

梅の言葉に、フンと鼻を鳴らすことで返事としたらしい西は、鬼の下に新しく溜まる鬼自身の血を眺める。
スラリ、と腰に挿したもう一振り。脇差しを引き抜く。
刃を自身の腕に軽く滑らせた。
既に床に溜まる血の上に、パタタッと、音を立てて西の血が落ちる。
それはやはり、何が、ある、ということも無く静かに血溜まりに飲み込まれた。


「……へぇ」

鬼のうめき声すら聞こえないかのように振る舞いながら、スタスタと、この室内の一角。山積みにされた、亡骸__恐らくこの街の住人であったのであろう人だ__を幾人か、いや、幾体かを引き摺り連れてきた。
事切れ、あちらこちらが欠けた死体の体へと刃を食い込ませ、鬼の血の上へと血を流し混ぜていく。

「ん、やっぱ出にくいな」

ギャアッギャアッ
煩いくらいに喚く鬼の丁度首のど真ん中に刺さった西の刀を抜こうと鬼脳が動いた瞬間に、梅によって落とされる。

これでは、どちらが鬼か。
そう、言ってしまいたくなるほどの光景。
けれど、西はそれを気にすらかけない。
幾度もそれを繰り返した後に、また気だるげな声が響いた。

「……あらまぁ。へぇ。……君に、よう似とってな気ぃすんなぁ。……これ、お母さんか?」

鬼の目の前にずい、と差し出された長髪の遺体は、肩から下が無い。
ギャウ
また、鬼の声が響く。

「そーかそーか。お母さん食うたんか。良かったなぁ、」

西は、「よかったな」ともう一度だけ言って、静かに鬼の首を斬った。

「安心しぃ、峰打ち……」
「もうええて」

私の横で口を抑える後藤さんをちら、と見やる。
立ち尽くす後藤さんは、何を思うのだろうか。
いや、これは関係のない事だ。
そう、頭を振って頭の中からふっとわいたものをかき消した。
「周り見てくるわ」と言った梅の背中に私はついて回ることにする。




「西、変な奴やろ」

ザクザクと、砂利を踏みながら集落の家を一軒一軒見て回る梅の言葉に「そうですね」と返す。

「あいつ、変なやつやねん」
「?そうですね」
「そうやねん、変やねん」
「……はぁ、」
「でもな、悪い奴では無いんやわ」
「?そうですか?」
「……いや、人でなしやな」
「そうですね」
「ハハ」ぐぐ、と梅が体を伸ばす。
「まぁでも、ろくでなしでは無いんやなぁ、これが」
「そうですね」
「よろしくしてな」
「ええ、こちらこそ」
「うん」

ニパ、と風貌には似合わない悪大将のような顔で梅は笑っていた。
そんな事はわかっている。
人としては如何なものかと思うところはあるけれど、鬼殺隊に所属している人に、本当に悪い人なんて見たことはない。
短い期間で早々にこちらに来たから、たくさんの隊士を知っているわけでは消して無い。
それでも、誰かのために自身をすり潰すことを厭わない人達が、ろくでなしな人間なはずが無い。
皆、各々の正しいと思うことのためにやっているのだと言う事くらいは、わかっているもの。
まだまだ夜の真ん中。
月が天辺の近くに差し掛かろうかという闇夜の中で、今までに見た隊士の方たちの背中を見た気がした。

「それより早く回りません?」
「……そーやね」

本当に言ってしまってもいいのなら、誰一人として死んで欲しくない。
皆鬼殺なんて辞めればいいのに、と思う。
まるでただの友のように側にあるこの二人が、ずっとこのままで有ればいいのに。
そう、思う。





「行くで」

西の屋敷を梅や私まで引き連れ、女中のさおりさんにまで暇を出して勢揃いで開けることになったのは、一通の頼りが鴉に持ち寄られた事からであった。
丁度、私がこっちに来てから一年近く経ったのではないだろうか、という頃合い。
誰から、と言うのは私には全くわかりはしなかったけれど、その手紙を険しい顔で睨みつけた西は、先の一言を言い置き、サッと立ち上がったのだった。


じとりとした、じきに梅雨が来るのを匂わせる風の湿り具合に、私は眉を潜めた。
厳密に言えば、理由は決してそれだけでは無い。
この、仲の良すぎる二人の問答について、であった。

「ハァ?正気か?お前、こっちどうすんねん!」
「別に三日くらいならなんとでもできるやろ」
「いや、被害増えるんやぞ?!」
「一日やニ日くらい、オレらがおらんでもなんちゃあなるわ。死ぬやつはどうせいつ辿り着いても死ぬんやから、しゃあない」
「ふざけんな!お前、どういうつもりかちゃんと言いや!」

駅前で問答する梅と西を前に、後藤さんはおずおずと口を挟む。

「あの、西さん、俺らが一緒に行く理由っていうのは、」
「あぁ、後藤は東に帰還なったらしい。書いてるねん。んで、コイツは秋と二人して残したら勝手に任務行きかねんからな。」

梅に視線を滑らせると、ぐ、と小さく唸り、顔を顰めた。

「正義感も結構。大層な意義もあってええけどな」

西は静かに梅を見据える。

「お前は別に今隊士でも何でもないからな」
「そ、れ、はお前が選別とやらに行かさんからやわ!」
「お前一人で対処できなんだら、ちゃんと逃げるか?お前は逃げ切れる度量あんのか?オレにはまだ、そうは見えんぞ」
「……やから、言うて、」
「やから、お前をまだ一人で行かせて無いんやわ。選別受けたら、こっちに戻ってくるかどうかも耀哉ちゃんの一声やで。お前はオレの下僕やろが」

梅は西の言葉に静かに息を吐きだして、小さく頭を振り、わかったと呻くように言った。
葛藤やら何やらはわかるけれど、きっと、梅には痛いほどに「死んで欲しくない」と言う西の言葉には出さない気持ちが伝わってしまったのだろう。
いや、本当に下僕だと思っているのかも知れない。
この男に関しては、そのあたりはとんと解りはしないのだ。
梅は言葉につまり、それを見た西はぷいとそっぽを向く。
心配なのならそう、言えばいいのに。
素直じゃないのね。
後藤さんを見ると、どこか微笑ましそうにただでさえ普段細めている目を更に細めて二人を見ている。

「目が消えちゃいますよ」
「消えねぇやい。……仲良いよなぁ」
「……そうですね。面倒くさいですね」

後藤さんの目が少しだけ開き直し、きょとんとした顔を作ったことが伺えた。
きっと、その口布の下では笑ったんだろう。
そのあと、目が弓なりにしなったから。そう思う。


なんとかかんとか列車に乗り込み、そこで休憩を取ることに成功したのは良かった。おおよそ、十七時間の旅路を終えた私達がしばらく走って到着した先。
それを見た後藤さんは、隣で小さくうめき声を上げた。

「もう、本気で帰りてぇ……怖ぇわ、この人ら」
「……そうですね」

鬼殺隊に入っていれば、知らない人はいないのでは無いだろうか。
そう、言える程には聞き覚えのある表札が大きく掲げられていた。

煉獄

ここは、恐らくあの炎柱の煉獄様の屋敷、そういう事であろう。

「しーんちゃーん」

どんどんどんと門戸を叩きながら、西は大きな声で「しんちゃん」を呼ぶ。
パタパタと音を立ててやって来た少年を見て、私は確信した。
まごう事なく、あの、煉獄様だわ。
炎柱様と瓜二つの髪と顔の少年が、ニコリと口角を上げて、それはそれは元気に大きな声で挨拶をした。
ビリ、と鼓膜が震えたのは、きっと気の所為では、決して無い。

「こんにちは!!ご足労感謝します!その様相から、西柱様とお見受けしますが!間違いは無いでしょうか!!」

耳がビリビリとするほどの大きな声に、西はキョトンとした顔を作ったあと、段々と表情を崩して嬉しそうに笑った。
まるで悪戯が成功した、とでも言うように笑う。

「そうや、オレが西勝猛君やで!父ちゃんに教えてもろたんか!そうか!父ちゃんオレの話ししよったか!」
「はい!!!俺ではまだ貴方には敵わないそうですが!!父は「俺は」負けぬと!!!」
「なんやそれ!負けず嫌いか!」

はは、と笑った西は少年の視線まで腰を屈めて、じ、と見据える。

「……ええ筋肉しとるな。うん、ええ身体や」

ペタペタ

「に、西柱殿……!」
「ん?……うんうん、ええなぁ、腰回りが、ええ。うん、まだまだ途上やな。うんうん、ええな。ええで」

ペタペタと、まだ丁年ですらなさそうな所謂少年の体のアチラコチラを触り始めた西を、とうとう梅は後ろから蹴り上げた。

「な!何をしとるんや!!お前!犯罪やぞ!」
「アホか!!お前の思考が一番の犯罪やわ!シバくぞ!!」西はそのままの勢いで体制を崩して少年を巻き込み雪崩れ、
「あ、あの!俺は大丈夫です!」西の体を退けようと少年は藻掻く。
「いや!そういう問題ちゃうんやわ!」梅がギャンと吠える。
「そういう問題やろが!アホッ!!ケツ痛いやんか……お前もケツ出せぇ!!!」少年の手を払い除けた西は、緩緩と立ち上がり、梅の前に躍り出た。
「ほら見てみぃや!!その気があったんやわ!!きゃー!」

ワザとらしく梅が口元を手で覆ったところで、奥から「騒がしいぞ!」と、ビリ、と体が震えるほどの厳しい声が轟いた。
その声に、少年はパッと立ち上がり、ゆっくりとそちらを向こうとした西の口角だけがおもむろに弧を描いていた。


「や、久しぶりやんか、槇ちゃん。ご無沙汰やな」


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