こたえ | ナノ
こたえ

※現パロ



 九時になった。部屋の隅に立てかけてある時計が時間を知らせる為に音をたてる。
 留三郎は寝そべったまま身体を起こす気になれなかった。ああもうこんな時間なのか、と呑気に思っていたが実は一時間前からこうしている。しかしもう寝ようとも起きて何かをしようとも思えなかった。つまりはやる気がない。
 こたつに入っているので少しは眠くなるだろうと思っていたのにどうやら今は効果がないらしく眠気が全くと言っていい程感じられなかった。こんな事は初めてだ。しかし身体のだるさはこたつによって何倍にも増幅されていた。動く気力を見事に吸い取られた気分だ。
 さすがに喉が渇いたが今は冷蔵庫まで足を運ぶのは不可能だと思った。手前にあるリモコンでチャンネルを変える事すら面倒だと思える今どうやって冷蔵庫に辿り着けると言うのだ。留三郎はこたつから冷蔵庫までの距離がガンダーラまで続いているように思えてならない。
 しかしそろそろこのままではいかんと思ってきた。大の大人が一時間以上こたつの中でだらだらしているというのはいかがなものか。だらしないのもここまで来ると「末期に近い」と言わざるをえない。そうしてようやく身体を起こす決意をする。
 起こそう、と思ってからは案外時間はかからない。人は決意するまでに大変な時間がかかる。そういうものなのだ。面倒臭い事もやり始めれば「なんだ、意外とたいしたことないじゃん」なんて思う事がよくある。それはきっと現実が想像で見ているラインを越える事がないからだろう。しかしそれをわかっていながらも行動に移せないというのが人間の性。
 という訳で留三郎はようやくこたつから出た。辺りにはひやりとした空気が漂っておりストーブでも付けておけばよかったと後悔した。ついでに言えば靴下も履いておけばよかったと思った。しかし留三郎にはそういう習慣がないのだから仕方ない。帰ってくればすぐやる事のベスト3に入るくらい留三郎は靴下を即脱ぐ事が当たり前となっているのだ。
 ふと、飲み物が切れていたのを思い出す。今日は文次郎と呑む約束をしていたのだ。自分用の酒はあるが酒に弱い文次郎用のジュースがもうない。それに今日は鍋をする予定だったのだが締めのうどんが一玉しかなかった。どう考えても、足りない。成人男子二人でうどんひと玉なんて足りたほうが異常だ。
 気分転換も兼ねてコンビニでも行こうか、いや行かなければならないか。はっきり言って文次郎の飲み物はどうでもいいがうどんが一玉しかないのは大変困る。あれうまいんだよな、と心の中で呟いて留三郎はひとりうんうん頷いた。
 そうと決まれば話は早い。壁にかけてある上着とマフラーをとりポケットに財布と携帯を入れて、留三郎はコンビニに向かった。







 留三郎が住んでいるマンションからコンビニまでは距離的に結構近い。歩いて十分というところだ。外は会社帰りの人達が居る為まだ賑やかでこういうのを見ると会社員じゃなくて良かったななんて思う。
 留三郎の仕事は建築関係で特に仕事場は決まっていない。こじんまりしたビルと建築現場、そして自宅という実に単純なルートが留三郎の移動のサイクルである。ついでに言うと自宅にこもりっきりの時もある為仕事が終わるのは比較的早い。この仕事はまあ好きだし金にもそんなに困ってない。今の生活は充実していると言えるだろう。もし普通の会社員になっていたら、きっとつまらない日々を送っていた筈だ。
 そんな仮定の事を考えながらぼーっとしていると知らぬ間にコンビニに着いていた。見慣れた自動ドアが開く。いらっしゃいませーという声をなんとなく聞き流しながら店内に入った。
 危うく本来の目的を忘れそうになったがすぐ思い出しカゴを持って売り場に向かう。そんなに買う物がないからいらないかとも思ったが缶ジュースを持つのが面倒だと思ったのだ。
 文次郎の好みのジュースを数本選んでカゴに入れると中でころころ転がってカゴが傾く。あいつの好みをしっかりと把握していたのに気付いて負けた気分になる。なんであんなやつの好みなんか、と顔をしかめた。しかし負けず嫌いな留三郎は、あいつが俺に自分の好みを押し付けたんだとおかしな解釈を考えては一人納得していた。
 納得したところで、うどんである。これこそが留三郎の本来の目的と言ってもいい。うどんを探しに行くが当然の如く冷凍は無視した。留三郎いわく邪道なのだそうだ。
 他の物は何も見ずにレジに向かい、ポケットから財布を取り出した。650円です、と言われたが生憎今は小銭が不足していた為仕方なく千円札を差し出した。釣りを受け取って財布に入れたら随分重くなった。顔をしかめ、まぁそのうち減るだろうと思いながら品物を取って店を出る。店に居た時間、僅か5分。この為にわざわざ家を出て来たのかと思うと馬鹿らしくなってくる。
 同じ道なのに先程より静かなそこを一人歩きあとほんの少しで家に着くという距離まで来た。


「「あ」」


 同じコンビニの袋を提げた、文次郎に会った。







 場所は再び留三郎の家。対面して座っている二人は机の上に置かれた鍋をずっと覗き込んでいた。特別腹が減っているという訳でもないのだが実際それしかやる事がないのだ。留三郎は数分前に入れた肉が徐々に色が変わっていくのを見ている。


「……今日、早かったのか」
「え、ああ」


 文次郎がいきなり尋ねるものだから少し返事に時間がかかった。ほんの少し顔を上げてみるが湯気のせいで文次郎の顔がはっきり見えなかった。
 もう食べられるんじゃないかなと思って箸を伸ばすと文次郎の箸に当たった。全く同じタイミングだったのが少しカンに障ったが構わず皿に具を入れる。
 鍋は嫌いじゃない。むしろ好きな部類に入ると思う。寄せ鍋、キムチ鍋など季節によって味のバリエーションが変わる点が素晴らしい。そして家族や友達など大勢で食べればなおさらうまい。
 しかしそれは普通の友達の話であって文次郎はその中に含まれていない。表上は恋人同士となっているが今の会話からも解るように色気などあったものではない。
 考えてみれば、長年喧嘩ばかりしていた二人が急に恋人同士になどなれる訳もないのだ。今でさえ「こいつの何処が好きなのか判らない」などと言って会話もろくに進まない。しかし二人ともこれで満足しているのだから気にもしない。立場が変わる事もない。


「文次郎、あれ」
「あ? ほれ」


 留三郎は肉を食べながら文次郎を箸で指した。すると文次郎はその意味を理解したようで机の端に手を伸ばした。
 手に取ったのは、七味。
 当たり前の事を言うが留三郎は「あれ」としか言っておらず「七味」などとは一言も言っていない。しかし文次郎は当てずっぽうで取った訳ではないようで、現に今留三郎が満足そうに七味を受け取っている。
 おかしな話だがこの二人は「あれ」や「それ」で会話が成り立つ熟年夫婦のような関係性にあるのだ。


「お前コンビニで何買ったんだ?」
「んー、ジュースとうどん。切れてたからな」
「なっ」


 文次郎の問いにさらりと答えを返した留三郎。しかし当の文次郎は箸を落として鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
 それから肩を落として「もったいねぇ……」と呟く。留三郎は自分が買ってきたものが無駄だったとでも言うのかと怒鳴った。ただそれは彼のはやとちりだったようで違うと言い張る文次郎。


「全く同じだったんだよ!」
「はあ? 何が」
「……買ってきたもん、俺と全く同じだった」


 もはや手に負えない。品物が同じだけならまだ判るが数が全く同じというのは仕込んでいると疑われても仕方がない。しかもジュース数本どころの問題ではないのだ。うどんが冷凍でなかったのは勿論、メーカーまで同じなのだからどうしようもない。
 喧嘩する程仲が良い、という言葉の説得力を更に高めて墓穴を掘っていく二人は暫く黙り込み、驚けばよいのか嘆けばよいのか判らないどうしようもない空気が流れている。
 こんな時でも喧嘩する以外に逃げ道を知らないのが、二人の子供っぽい所だ。


「空気読めよお前っ! 普通買い出しなんてもんは訪ねる方がやるもんだろうがバカタレ!」
「んだとてめぇっ! お前の為にわざわざ買いに行ってやったんだろうが!」
「……っ!」


 留三郎の言葉に反応して文次郎の頬が赤く染まる。口を手で覆って目を背けた。
 そんな姿を見せられた留三郎も理由に気付きみるみるうちに耳まで真っ赤になった。自分で言っておいて恥ずかしくなる。
 付き合う前なら文次郎も怒鳴れた筈だ。恐らく「お前に頼んだ覚えはない!」とひねくれた言葉を留三郎に押し付けていただろう。しかし今は無理な話だった。自分が留三郎の事を好いていると自覚してしまった頃からそういう言葉を聞けば無意識に身体が熱くなる。それは留三郎が自分の気持ちに応えてくれた時がたった一度あったからだろうか。
 しかし文次郎もあの早口の言葉からよく恥ずかしい台詞を聞き取れたものだ。やはり普段から「嫌い」などと怒鳴り合っているが内心ではそうではないらしい。無意識に言葉を聞き取る耳、無意識に言葉を並べる思考回路、それが紛れも無い証拠だと言えよう。
 逃げるようにして水を飲みに行く文次郎の背中を見ながら留三郎はぼそりと呟いた。


「ばっ……かじゃねぇの……」


 ふと思い出したあの時の文次郎の告白が頭から離れない。けれど別段良い雰囲気だった訳じゃない。むしろ喧嘩の直後なのだから最悪だったくらいだ。だから目も合わせなかった。
 文次郎はおそらく愛妻家だろうと留三郎は思う。口は悪いが一人の恋人を誰よりも大切に思っている事だろう。素っ気ない態度の中にその気持ちが込められている事が痛い程相手に伝わっているという事を、当の本人は知るよしもなかった。周りから見れば恥ずかしい限りだ。
 しかし文次郎の相手が今は自分なのだから、彼を愛妻家だと思わずにはいられなかった。文次郎の気持ちが身に染みて感じられるからである。


(俺が女役かよ、ちくしょうめ)


 文次郎は誰よりも男らしかった。目の下に張り付くように残っている隈はともかく、内面で言えば理想の男性に選ばれそうな感じがする。ただ相手が何かをすれば例えそれがほんの些細な事だったとしても文次郎はすぐに顔を真っ赤にしてしまう。そこだけはいかにも女らしかった。
 これは文次郎だけでなく留三郎にも言える事だが、彼等ははっきり想いを伝える事があまり好きではない。言い過ぎれば逆に嘘のような気がして気が引けるらしいのだ。じゃあ相手に言われる事について文句はないのかと言えばそうでもない。勿論凄く嬉しいのだがその場合自分ばかりが得をしているような気がして、対等でないような気がしてやりきれない気持ちになる。
 そんな意地っ張りな二人が付き合っているのを周りから見ていれればまどろっこしいと思うに違いない。


「……文次郎、大丈夫か」
「ああ」


 台所から戻って来た文次郎がまたこたつに足を突っ込む。俯いていて顔は見えないがどうやらおさまったらしい。
 何故自分が大丈夫かと声をかけたのだろうか。別に悪い事をした訳ではなく言ってしまえば文次郎が勝手に顔を赤らめただけなのだ。それなのに何故声をかけたんだよ、俺。そう心の中で自分に怒鳴り留三郎はまた文次郎を見た。
 相変わらず目の下に隈が張り付いている。人の事など言えた義理ではないが目つきも悪い。ごつごつした手、広い肩幅。全体的に見れば隈も手伝って、というか隈のせいで人生に疲れたように見えるかもしれない。実際留三郎も初めはそんな印象を持った。
 けれど実際は違っていて。さりげなく気遣ってくれる優しさと自分だけに見せる照れた笑顔。


「何じろじろ見てんだ」
「え……、ああ、悪い」







Next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -