ノスタルジア
「後藤、また残業なんだ」
「今更珍しい事でもないだろ」
「まあねー」
デスクでカタカタとパソコンのキーボードを打ち鳴らす後藤に、達海はちらりと目を向けた。
チームメイトだった当時に比べれば、お互い歳を取ったけれど。やっぱり達海が年下という事は変わらない事実として今も存在する。後藤が先輩面するような性格ではなかったから――むしろお袋みたいだった――当時の達海はあまり気にする事なく後藤にくっついていた。
しかし再会してからというもの、べたべたとくっつく事に少し抵抗があるのだった。
お互いそれなりに歳を取って「いい歳したおっさんが何やってんだ」と自分自身に突っ込みを入れるのはともかくとして。達海らしくもなく、やっぱり後藤は年上なのだと意識しているからだった。
後藤のくせに。そう達海が心の中で毒づいているのを、残業で忙しい後藤は知る由もなかった。
「後藤ってさ」
「何?」
「まだ俺の事好き?」
達海の言葉に、後藤はキーボードを打つ手を止めた。背後から聞こえた達海の声にどう反応していいかわからない。そして、そんな事を言い出した彼がどうしようもなく愛しいと思った。
後藤がしばらく固まっているので、達海はじれったくなって後藤の顔を覗き込んだ。照れたように口を押さえている彼を見て、達海がにひ、と悪戯っぽく笑う。
照れているという事は、まだ達海を好いている証拠。そして達海があんな事を言い出したのも、達海がまだ後藤の事を好いている証拠。
柄にもなく後藤が可愛いだなんて思ってしまった達海は、嬉しそうに後藤の背中を叩いた。
「嬉しいねー、その反応。固まっちゃってさ。そんなに俺が好き?」
後藤みたいな真面目な奴をからかうのは面白い、と心の中で笑ってから、彼をもっと困らせてみたくてつい舞い上がった発言をした。
それから後藤の隣に座り込み、下から彼を見ていたけれど、表情がわからない。返事がなく静まった室内で、達海は後藤を呼んだ。
どうしたの。後藤。
あんまりにも後藤からの返事が遅い為、待ちきれなくなった達海は口を尖らせた。
するとやっと後藤が小さな声で達海を呼んだ。しかしもうなんだか面倒臭くなってしまった達海は、座り込んだまま「なに?」と素っ気なく返事をした。
――だって。
「達海、愛してる」
そんな事を言ってくれるとは、夢にも思わなかったから。
後藤の口から発された言葉に、達海は驚いて素っ頓狂な声を上げた。今度は後藤が嬉しそうに笑う。
まさか後藤が素面で「好きだ」なんて言ってくれるとは思ってもいなかったし、増して「好き」以上の言葉を言ってくれるなんて一度たりとも思わなかった。
やっと頭が回るようになった達海はため息をついて俯き、ぺたりと自分の頬に手を当てた。
熱い。
「後藤、責任取って」
「何が?」
ふて腐れながら達海が言うと、後藤はすっとぼけた風にそう言った。
こういう時、年下の達海は年上の後藤に勝てない。達海の考えている事を見透かした様に振る舞う後藤が何だか大人っぽくて、敵わないと思ってしまう。
若い時は、そんな風に思いながらも後藤に好きだと言い続けた。そして後藤も好きだと返してくれた。それだけでいつも満足していたというのに。
いつの間にか意地汚い大人になってしまったものだな、と後藤を見上げた。
「後藤が愛してるなんて言うからだよ、馬鹿」
達海は立ち上がり、好きで好きでたまらない目の前の後藤にキスをした。
「達海?」
「後藤のくせに」
驚きつつも達海をじっと見詰めている後藤の両頬を、達海はぺちりと手で挟んだ。この熱くなった顔は、暗闇で見えなくなっていればいいのに、と達海は目を細めた。
若い頃なら可愛いげもそれなりにあったんだろうけど。この歳になってしまえばもう、どんな事をしても、ただの悪足掻きにしか見えないのだ。そう思って今度は口を尖らせた。
後藤は、達海の顔がどんどん険しくなり、駄々をこねる子供のようになっていくのを見て思わず噴き出した。いつまで経っても変わらない、彼の捻くれた性格までもが愛しい。
顔を緩めた後藤の両頬を手で挟んだまま、達海は小さな声で「後藤、すき」と呟いた。そしてやっと後藤の顔から手を離した。
「今更照れるんだな」
「うるせえよ」
「……達海、可愛い」
後藤にふいっと背を向けた達海は、ふん、と鼻を鳴らした。この歳になって可愛いなんて言うの、後藤くらいだよ。そう言ってドアに向かって歩き出した。
時計を見るとすっかり十二時を回っていて。また明日昼寝しよう、と心に決めた。
しかし達海にとっての問題は、後藤がまだ残業している事だった。
達海が帰った後も、後藤は此処に残り一人で仕事をするのだろう。そう思うと達海まで淋しい気分になって、ドアノブを回そうとした手を引っ込めた。
「後藤、仕事まだ終わらねぇの?」
「まあ、そうだな」
「ならさ、後藤が仕事終わった時起こして」
そう言うと達海はまた後藤の所へ戻ってきた。後藤が状況を飲み込めていない事を少しも気にせず、彼の隣のデスクに座る。そして顔を机に突っ伏したまま「絶対だかんなー?」と笑った。
「達海、寝るなら部屋に帰ってから……」
「俺が居たいからいいの」
生憎、睡魔が襲ってきて、後藤の話し相手もしてやれないけれど。それでも、一人よりはマシだろうと達海は後藤を見上げた。申し訳なさそうな、心配そうな顔をして後藤は彼を見る。
今は起きてはいられないけれど、後藤の仕事が終わったら、俺が癒してあげるから。
にひ、と笑って達海は目を閉じた。
「馬鹿……」
こんな寝心地の悪い所で、熟睡できる訳がない。後藤は困ったようにため息をついて、再び自分のデスクに腰を下ろした。
数分経てばもう隣から小さく寝息が聞こえてきて、達海も疲れているのだなとまた申し訳なくなった。
達海は仕事が終わったら起こせと言ったけれど、そんな事到底出来る訳もない。後で部屋に運んで寝かせるのが一番良いだろう。
「癒してやる、って、お前の寝顔で十分だってのに。……気持ちは、嬉しいけどな」
そう独り言を言ってから、後藤は達海の頬に軽くキスを落とした。そうして、驚く達海の顔が見られないのは少し残念だな、と口許を緩ませた。
(……あんっの天然馬鹿が!)
トイレの為後藤が部屋を出て行った後、一人顔を赤くした達海が唸っている事を、後藤は知る由もなかった。
END
11.2.15
このバカップルめ……!
子供みたいな達海に振り回されてばかりの後藤さんが可愛くて仕方ない。
達海以上の天然後藤さんを希望します……!