見かけ倒しの掌 | ナノ


見かけ倒しの掌

※若干流血描写有



「私なんていらない! 帰る場所だってどこにもない、居場所だって見つからない!」


 目に見えない何かに完全に飲み込まれてしまった小平太はもう誰にも止められなかった。深い夜の天井は容赦なく彼に覆いかぶさり、肩に掛かる木葉の暗い影が月の存在を示した。
 長く続いた大火もようやく治まったようで、私と小平太がいる場所から四方を見渡しても視界を遮る物はもう何もない。そのかわりに、足元には私達の行く手を阻むように火に焼かれ黒くなった木々がそこらじゅうに転がっていた。焦げ臭さは風に吹かれて空へと舞い上がるが、それが私達を取り囲んで今までの大火を思い出させる程の熱を纏っている。それでもここで火に焼かれた者に比べれば、この熱もそうたいした事はないのだろう。
 この世から消えるつもりで、この場所に火を放ったと言ってもいい。それでも私達は生き残った。私に至ってはほぼ無傷だ。その事実を持ってして、また同じような事を繰り返すのかと思うとさすがに胸が痛んだ。
 小平太は逃げ遅れた為に、左手の半分に火傷を負った。すぐに処置をしたおかげで大事には至らなかったが、それでも所々皮膚がめくれ赤い血と肉が暗闇の中でもはっきりと見て取れた。


「……小平太、おい」


 私は小平太の腕を掴んだ。どろりとぬめる血に気付いて目を凝らし彼の腕を見ると、右腕だった。左腕を掴んでいたならば傷が開いていた所だ。それを思ってほっとした。
 けれど息をついたのもつかの間で、私の呼び掛けにも応じず彼は俯いてまた吐き捨てる。私はいらないと、何度も繰り返す。
 学園を卒業して、自分達の帰りを待っていてくれる者は確かにもういない。けれど私は、お前を死なせたくはない。そう言葉にする事さえ、今は彼にとっての不安要素の一部として吸収されていく事がただ悔しかったから、話す事をやめた。
 何度も頭を振って暴れる小平太を見る事はこれが初めてではないが、今日はどこかいつもと違う。何をされても離さない覚悟でその腕を掴んだ手は、熱を持つ程に力が入っていた。


「離せよ! 一人にしてくれ!」


 叫ぶと同時に小平太が地に足を打ち付ける。湿った木の枝が鈍く折れる音がした。それだけがただ耳に響いた。
 珍しく今回ばかりは私もむきになって、腕を掴む手の力を一層強めて静かに抵抗した。今この手を離したら小平太はもう二度と帰らないような気がしていた。見失ってしまいそうだった。
 私が力を強めたと同時に、突然小平太は静かになり、膝が先程の枝のように折れてその場に崩れ落ちた。それに合わせて私の手も滑ったけれど決して離さずに力を緩めただけだったから、彼は力無く右腕だけを上げる格好になった。きっとこの手を離せば、右腕諸とも血生臭い草むらの上に落ちていたのだろう。


「……小平太」
「私はもういらないんだ」


 仕事だなんて忍だなんてもうどうでもいい、と小平太は肩を竦めた。そして左手に持っていた苦無で、塹壕を掘るように幾度も土に突き立てては掘り返す。
 彼は聞き分けの悪い頑固者だから、今更私が宥めた所で何も変わりはしないのだろう。そう思い顔をしかめて右腕を掴んだまま、小平太の左腕の自由すらも奪う。傷口に触れないようにだけ気を配った。ついに両手を拘束され、もう彼は抵抗する事さえ諦めたようだった。動かない。
 彼がどうしてこうなってしまったのか知る術を、私は持ち合わせていない。聞き出す事も出来そうにない、無責任な気がしたから。
 じっと見つめていると、彼は俯いたまま掠れた声で言った。


「もう嫌だ……、長次、離してくれ。お前には生きていて欲しいんだ」


 その言葉に、酷い苛立ちを覚えた。あまりにも勝手すぎる、私だって同じ事をそのままお前に言ってやりたい、と。自分の思いを誰かに託したくても、ずっと抑えて来たのは何も彼だけではないのに。
 私は小平太を見下ろして、その頭を思い切り叩いた。うっ、と短い唸りが聞こえたが、彼ならこんな痛みに耐えられない訳はないので心配はない。
 それよりもすぐに腰を落として膝立ちになって、小平太を睨んだ。さすがの私も相当頭に来ているのだ。彼もまた、何故殴ったのだと私を睨んでいるが狂気を失った彼など全く怖くはない。


「……あまり調子に乗るなよ、小平太。自ら命を絶つ事程馬鹿なものはない」
「うるさい! お前は死ぬ事を覚悟して火を放ったくせに!」
「……ああ、そうだ。だが、死に向かう事と死を覚悟する事は全く別だ」


 自分を正当化しているつもりはなかった。だがそのように取られても仕方のない言い方だった。
 小平太は押し黙って額から頬に流れてきた汗を手の甲で拭った。それにより頬に血が薄く伸びて彼の顔を汚した。それを見て、途端に冷静になった。
 彼だけは汚れないと何となく思っていたのかもしれない。その裏で、彼は汚れる事を強いられていると感じていたのかもしれない。結局私は自分の考えすらも理解出来ていないのだ。彼にどうこう言えるような人間ではない。
 それでも私は、自分が思う正しい道へと彼を導きたがる。


「……私は先刻死を覚悟した。後は、お前次第だ。どうする?」
「ああ、私も一緒に行くよ。ただ、一つだけ願いを聞いてくれるか」
「……何だ」


 このまま一晩、大火の跡を見送りたいんだ。小平太は苦笑し、そう言った。
 私は彼を睨む事をやめて、その場に腰を下ろした。彼の傷の悪化を防ぐ為だと思えば、経過してゆく時間も安いものだと思えた。彼は穏やかな表情で眼前に広がる景色を見ている。
 びゅう、と風が吹き、燃えた葉が流される。私達を取り囲んでいた煙も、その匂いを一欠けらだけ残して消えて行った。いつもと同じ、冷たい空気が妙に心地良くて、目を細めた。
 視界を覆うようにしてそびえ立つ山をただ見つめる。あの山から立ち上る白い跡が消えてなくなるのも、時間の問題だろう。



BGM:いらない/GOOD ON THE REEL

11.10.29
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