ただいまとおかえりの相乗 | ナノ
ただいまとおかえりの相乗




 作法委員会には気の強い奴が多い。自分の隙や弱みを見られたくない、というプライドの高い連中の集まりだとも言える。作法委員会委員長、六年い組の立花仙蔵がその象徴だ。
 仙蔵は自らに与えられた仕事を完璧にこなし、下級生の面倒事に巻き込まれても決して弱音を吐いたりしない。ある意味最も忍者に向いている性格かもしれない。
 そんな仙蔵が委員長だからか、作法委員会は誰しもが壁を持っているように思われがちだ。少なくとも、周りから見ればしっかり者の集まりに見える事だろう。
 しかし実際、彼等は結構呑気であり、そして時に、誰かに甘えたりするのである。


「立花先輩、今回は予算を取る為の策はあるんですか?」


 一年は組の兵太夫が帳簿の内容を整理している仙蔵の所に駆け寄る。その問いに仙蔵は手を止める事なく答えた。


「あの会計馬鹿の事だから、また予算を大幅に削減しているに違いない。今回はフィギュアの管理を作法委員会の管轄にする為、以前よりも多くの予算が必要になる。お前の言う通り、何か策を練っておかねばならんかもしれんな」


 仙蔵は冷静に判断しながらも目の前にある仕事を片付ける。仕事の速さは以前と変わらず、すらすらと筆を動かす。
 やがて筆を置いてぱたんと帳簿を閉じた。仕事が終わったのだろう。


「それなら私に考えがありますよー」


 手を挙げたのは四年い組の喜八郎だ。そして手を挙げるや否や、生首のフィギュアを取り出して筆を構えた。
 仙蔵と兵太夫、一年い組の伝七と三年い組の藤内も皆喜八郎に注目している。
 すると喜八郎は俯きながら生首のフィギュアを被った。ゆっくりと顔を上げた瞬間に全員の血の気が引く。


「これで潮江先輩を脅かしましょう」
「「「ぎゃあああああぁぁぁぁぁあ!」」」


 兵太夫が咄嗟に仙蔵にしがみつく。まるでホラー映画に出てきそうな真っ赤なフィギュアを見て悲鳴を上げる三人。


「それ、恐すぎますよ!」
「ていうか着色の上手さに若干引きます……!」
「ぎゃあああ! 被ったままこっち来ないでください!」


 逃げ回る伝七と藤内を追う喜八郎。フィギュアを被っている為前が見えずふらふらしている。それが更に恐怖を上乗せしている事を本人は知るよしもない。


「こら! やめんか喜八郎!」
「先輩っ、兵太夫の魂が抜けてます!」


 仙蔵が叱ると喜八郎はぴたりと足を止め、そしてゆっくりと仙蔵の元に駆け寄った。
 一方兵太夫は仙蔵にしがみついたまま口から魂が抜けた状態で、藤内が急いで無理矢理口にそれを押し込んだ。しかし喜八郎はそれを見て、いつも通り


「おやまあ」


 と言うだけだった。
 仙蔵が思うに、喜八郎は傍観者で居る事に慣れすぎている。目の前で何が起ころうとも自分には関係ない。常に喜八郎は周りの人間に「他人」という、一種類のレッテルを貼り続けている。
 自分は一人。自分じゃないその他の人々が他人。その判断の規準が簡単且傍観者慣れしている所は関心を通り越して恐怖を生む。


(無関心が生んだ、自分と他人の境界線……)


 けれど不思議な事に仙蔵でも、喜八郎をきつく叱る事が出来ずにいる。
 許してしまう。


「あ、綾部先輩……、早くそれ外して下さいよ」
「あれ? 私の作戦気に入らなかった?」
「それ以前の問題ですね」


 下級生が恐る恐る喜八郎に近付く。呑気な声に恐怖心がなくなったのか、喜八郎の被っているフィギュアをまじまじと見つめて「よく出来てますね」なんて関心している。
 喜八郎はようやくフィギュアを外した。長い髪が乱れて落ちてくる。


「でもこれ、何かに使えそうですよね!」
「いっそ潮江先輩のフィギュアとか作ったらいいんじゃない」
「ああ、それ面白そう!」


 今までの恐怖心は何処へ行ったのか、フィギュアを見て目を輝かせている。あれこれ提案をしては笑ったり怯えたり、その表情を見ては思わず笑いがこぼれた。


「あれ、立花先輩どうかしましたか」


 喜八郎が仙蔵の顔を覗き込む。すると兵太夫や伝七、藤内までもがその真似をした。仙蔵に詰め寄り、悪戯っぽい笑みを浮かべて「楽しいですか?」なんて言う。
 ストレートすぎるその言葉に困惑しながらも、仙蔵は照れ臭そうに苦笑した。


「息抜きというのも大事なんですよ、先輩っ」
「は組が言うなよ」


 にこにこしながら言う兵太夫、その言葉に嘲笑する伝七の頭を撫でて、仙蔵も冗談を言う。


「なるほど、お前に言われると妙に説得力があるなぁ」


 子供の好奇心と純粋さというものは奇特だ、と仙蔵は思う。人を楽しませる事が出来るのもこれらを持ち合わせているからこそ。


「藤内、喜八郎、お前達もしてやろうか」
「ぼ、僕はもう子供じゃありませんからっ!」
「遠慮するな」


 仙蔵がぐしゃぐしゃと藤内の髪を掻き乱す。勿論わざとだが、撫でられた藤内は顔を真っ赤にして必死に髪を整えていた。
 一方の喜八郎はそんな藤内を無表情で見ていた。


「お前で最後だ、喜八郎」
「…………」


 ぽんぽんと喜八郎の頭の上に手を置き、仙蔵は満足そうに笑う。喜八郎は黙っていたもののやはり少し嬉しかったようで、いつもと同じ声で仙蔵に言った。


「ありがとうございます」







 じきに夜になる。委員会の会合を終えて六年の長屋に戻る頃には既に日が落ちていた。
 結局、あれから一人で予算案を見直したりと真面目に仕事をしていたから疲れた。いつもより身体が重い。
 後輩が自分を気遣ってくれたのが嬉しかった。しかし「楽しいですか?」と言ってくれる後輩の優しさに応える術を仙蔵は知らない。単純に頷いてやればいいのか、礼を言えばいいのか、それとも力いっぱい抱きしめてやればいいのか。何をすればいいのかわからなかった仙蔵が選んだ答えは、後輩を甘やかす事だった。


(満たされない)


 皆喜んでくれた。仙蔵の気持ちは十分伝わった筈だ。それなのに心はまだ、何かを求めている。
 いつもの事ながら、こればかりはいくら優秀な仙蔵でも全くわからなかった。


「……喜八郎?」


 暗闇の中、中庭に喜八郎が居るのが見えた。いつものように穴を掘っていたのだろう、手鋤のテッコちゃんを握りしめて地面にうずくまっていた。
 何かあったのかと仙蔵が駆け寄ると、喜八郎はくるりと振り向いて


「おやまあ」


 と言った。やはり無関心だ。


「喜八郎、こんな所で何をしている」
「見ての通り、落とし穴を掘っていたんです」
「それは解っているが……」


 すると喜八郎は仙蔵から目を逸らして、土の付いた手をぱんぱんっと掃った。そしてまた、ぽつりと一言。


「貴方に伝えたい事があったんです。今から私が何を言っても、怒らないで下さいね」


 意外な一言に仙蔵は目をしばたたかせた。そのためだけにわざわざ、六年の長屋まで来たと言うのか。
 言葉をなくした仙蔵を気にも留めず、喜八郎は自分の考えと言葉を押し付けた。


「たまには他人に弱みを見せたっていいんじゃないですか。言葉にしなければ伝わらない想いもありますよ。それに、」
「それに……?」


 仙蔵は思った。私は思い違っていたのではないかと。


「潮江先輩なら、きっと応えてくれますよ」


 それだけ短く言い残して、喜八郎は去って行った。その後ろ姿を見つめながら、仙蔵は改めて自分の愚かさを思い知る。
 喜八郎は傍観者で居る事に慣れているんじゃない。ただ考えを口に出さないだけだ。
 そして一番愚かな所は、時に自分の気持ちにすら理解を深める事が出来ない所だ。


(そうか、私は……)


 仙蔵は再び歩き出した。心なしか身体が軽くなった気がする。ゆっくりと落ち着いた足どりで、仙蔵は六年い組の部屋へと向かう。おそらく待ってくれているであろう人物を思い出してはむず痒くなった。
 やがてたどり着いた六年い組の部屋。いつも通りノックする事なく戸を開けた。


「ただいま」


 直後目に飛び込んで来た文次郎の背中。言いようのない安心感が胸の内に広がった。
 おそらく委員会の仕事をしているのだろう、帳簿に何かを記している。文次郎は仙蔵を振り向きもしない。返事もない。


「ただいま」


 もう一度仙蔵は呟く。
 そして文次郎と背中合わせに座り、体重をゆっくりと文次郎に移動させた。
 しばしの沈黙の後、文次郎が筆を置いた。ぱたんと帳簿を閉じてから腕を組んだ。おそらく混乱しているに違いない。


「珍しい事もあるもんだな。こりゃ明日は嵐だぜ」


 憎まれ口を叩くものの、文次郎が仙蔵を拒む事はなかった。むしろ今自分にかかっている体重を受け止めてくれている。
 背中が暖かい。心が満たされていくのを、確かに感じる。
 二人は自分の気持ちを言葉にする事が何よりも苦手だった。辛い時に辛いと言えない、哀しい時に哀しいと言えない。仮にどちらかがそれに気付いても、相手を傷付けてしまうのではと思うと慰める事も出来ない。
 それでも二人は、今までを共に過ごしてきた。


「おかえり」


 仙蔵は、甘えたかったのだ。
 後輩を甘やかしてばかりではなく、たまには仙蔵も誰かに甘えたかった。


「仙蔵」


 頑張ったな、そんな子供騙しの言葉なんていらなかった。頭を撫でて欲しい訳でもなかった。ただ、帰る場所が在るのだと、待っていてくれる大事な人がいるのだと、感じたかった。
 未熟者で構わない。
 臆病者で構わない。


「……ただいま」


 だからたまには、私を甘やかして。







END


10.03.26 脱稿

 ものっそスラスラ書けました。
 この長さで一日なら、それは私にとって上出来です。満足。
 相変わらずの綾部ワールド。笑
 ほのぼのって感じでいいですね、委員会は。
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