畏れ多くも
貴方を想い願わん事を
「土井先生!」
目の前のぼやけた光景に不安が大きくなる。誰かが居るのはわかるが、それが誰なのかはわからない。聞こえてくる力強くも不安げなその声が、なんとなく半助を懐かしい気分にさせた。
見慣れた天井。所々に染みがあり年期を感じさせてはそれが安心感を生む。
私は何をしてるんだろう。
「誰だい……?」
「気がつきましたか!? 良かった……! 私です、利吉です!」
「あぁ、利吉くんか……」
利吉は半助をゆっくりと起き上がらせ、その身体を壁にもたれかけさせた。まだ虚ろな目の半助は利吉に笑いかける。その笑顔が痛々しくて、利吉は僅かに顔を歪めた。
苦しいでしょうからと、利吉は頭巾を外してやった。束ねて結われた長い髪が利吉の手に掛かる。触りたくなる想いを今は必死に抑えた。
「私は、倒れたのかな?」
「ええ」
「そっか……ごめんね」
「驚きましたよ、お茶を持ちながら急に倒れるんですから……。かなりお疲れなんじゃありませんか?」
利吉は顔を覗き込み、半助と目を合わせる。半助はどうにもそれが幼く思えて、は組の生徒達と重ねてしまう。無邪気、一途で無垢。仕事をしている時の鋭い目は今はない。
(まだ子供だなぁ)
いくらプロの忍者といっても、まだ18歳なのだ。大人になりきれていない部分が見え隠れする。
「あんまり無理をなさらないで下さい」
「無理なんてしてないよ?」
「でも……、私は心配なんですよっ」
拗ねたようにそっぽを向いてしまった利吉は本当に子供みたいだった。自分を想っていてくれる素直さが嬉しい。
だからこそ、酷なのだ。
「うん、ごめんね」
「……土井先生は、ずるいですよ」
半助が笑って頭を撫でたものだから、利吉は恥ずかしがって俯いてしまう。
慣れないのだ、まだこの人の体温に。言葉と表情、心と身体が一致しない、全く予想外の行動をとるのが半助だった。
「私は、貴方からそんな言葉が欲しい訳じゃないんです!」
「……利吉、くん?」
駄々をこねるようにかぶりを振って、利吉は唇を噛み締めた。つい怒鳴ってしまった事を後悔して拳を握る。
目の前で目をしばたたかせている半助は何が起きたか理解出来ずにいた。
「貴方はいつも笑ってばかりじゃないですか。辛い時も嬉しい時もいつも同じ顔だ。何故ですか」
「何を言って……」
利吉の言葉がわからない。震えた声が何処か物悲しくて、思わず目を細めてしまう。
障子の隙間から入る頬を撫でる柔らかい風、掌から伝わる畳の冷たさ、正反対のそれはまるで今の二人のようだった。
「私は貴方の底が知れない。変装の面どころじゃない、仮面をつけているようだ。貴方はある時からそれをつけ、そして今外す時が訪れるのを待っている」
「何故そう思うんだい……?」
半助は勿論、利吉も哀しい表情をした。先程までとは違い、半助は内心穏やかではない。それでも堪えなければならないのが今だった。
利吉の手が頬に触れた。
「今なら貴方の全てが、手に取るように解る気がするんです」
利吉はすぐにいつもの表情に戻って部屋を出て行ってしまった。呼び止める気がない事を知っていたのだろうか。利吉にはどうにも隠し事が出来ない。
その淋しそうな背中を、半助は瞼の裏に閉じ込めた。
(無理してない訳がないだろう)
自分は忍者を本業として生きていくその力強さを、毎日のように戦を見ても笑って居られる事を望んでいるのだろうか。
ふとした瞬間に蘇る光景を拒絶してばかりで、まだ忘れる事が出来ずにいる。本当に忍に向いていないのは私だ。
(頼りない、情けない)
忍は、情に動かされてはならない。そんな事を、生徒に言える時が一生来ないようで恐かった。
ふと思い浮かぶは、あの日の言葉。
――私は、貴方が幸せならそれでいいんです。
利吉が笑った。
半助は泣いた。
私は君のように、君の事を想う事が出来ないかもしれない。
END
09.12.23
利土井好きです。
土井先生はほんとは忍者に向いてないんじゃないかなとか。
しかし利吉はまだ18歳、一途で純粋。
土井先生は本当に自分が辛くなった時、縋り付いてしまいそうで怖いとか。