バトルエイジ2 | ナノ
バトルエイジ2




「ねぇ兵助ー、なんで肋骨折れてないって判ったの?」


 兵助の隣にやって来たのは、三郎に顔を貸している五年ろ組の不破雷蔵だ。そして三郎もまた、彼の言葉にうんうんと頷いている。恐らく彼等にも、肋骨が折れた経験などないのだろう。
 熱が込もり拳を握り絞めていた兵助は、力を抜いてくるりと向き直る。そしていつものあの冷静な目を彼等に向けて平然と言う。


「勘」


 三郎と雷蔵は目をしばたたかせて兵助を見ている。え? 何言ってんの? とでも言わんばかりの顔だ。しかし一方兵助はそんな彼等の心境など毛ほども気にせず八左ヱ門にエールを送っている。
 そしてもう一人、兵助達の元に「え、何、呼んだ?」と呑気に駆けて来るのは、五年い組の尾浜勘右衛門だ。それどころではない三郎が「お前の事じゃない」と一蹴したものの、勘右衛門は身を乗り出して自己紹介を始める。


「はじめまして! 五年い組尾浜勘右衛門です! ちなみに苗字の読み方は、Yes,We Can! の人とは異なるから気をつけてね!」
「どーでもいいわっ!」


 勘右衛門の頭を叩いてから、三郎はまた兵助に向き直る。あんなに自信たっぷりに叫んだ言葉が勘である筈がない。いくらい組であっても、保健委員会ではない兵助に見た目だけであんな事が判る筈がない。何か根拠があるだろうと三郎は兵助に迫る。


「お前、勘でもあんなに自信たっぷりだったじゃないか」
「え? だってよく言うじゃないか。思い込みって怖い、とか。所謂プラシーボ効果ってやつ?」
「はあぁ?」
「病は気からって言うじゃない」


 にこりと微笑んでから兵助は八左ヱ門に視線を戻した。何を言っている、この豆腐野郎は。短期な三郎は兵助を怒鳴りたい気持ちだったがここはぐっと堪えた。
 しかし、兵助の言う事にも一理あるかもしれない。痛みというものは自覚がないと感じない、そんな話を聞いた事があるのだ。三郎は首を捻りながら彼の背中をじっと見ていた。
 一方、八左ヱ門。兵助と三郎が噛み合わない会話をしている時でも、やはり八左ヱ門はまだ苦しみに顔を歪めている。


(……痛い)


 額に滲んでいた汗は冷や汗となり背筋を凍らせる。荒い息の中には焦りと不安と恐怖が滲む。蹴られた場所を手で押さえ、血が出ていない事を確認しては安堵と疑問が混じり合い腹の底に落ちていった。
 まだ立てる。まだ戦える。倒すまではいかずとも、せめて一撃でも喰らわせる事が出来れば。


「膝はついていないので試合は続行です! しかし立てるか八左ヱ門! ここが正念場だ!」


 震える足を手で思い切り叩き、気合いを入れ直す。身体が悲鳴を上げるのも構わず勢いよく立ち上がった。一撃喰らっただけなのに目の前が霞む。視線の先には、八左ヱ門が構えるのを待ってくれている小平太が居る。ただじっと八左ヱ門を見て、再び拳を交える瞬間を待っている。
 今やらなければ、きっと後悔する。こんな生半可な痛みで戦いに支障が出るようでは、一流の忍になどなれはしない。こんな痛み、笑って済ませられないようでは、兵助に合わせる顔がない。
 此処が忍の世界でないというのなら俺は、きっと誰かの為に戦うのだろう。誰かを護る為、約束を果たす為。


「ありがとう、兵助!」


 きっと、応援してくれる兵助の為に。
 横腹が痛むのも忘れ、八左ヱ門は勢いよく小平太に向かって走り出す。それを見た小平太は、にっと笑って拳を握る。中段に構えてゆっくりと腰を落とし、重心を低く保つ。動かない。
 目先まで距離をつめた八左ヱ門は素早く左手を引き、上段から小平太目掛けて右拳を放った。当たらない、掠らない。それでも左右交互に拳をとばしていく。ある程度回数を繰り返した後、右足を振り上げて間合いを計ろうとしたが失敗した。小平太がまた先刻のように全く動かない。こういうのは苦手だ、と八左ヱ門は心の中で悪態をついたが、戦いで得意苦手云々など言ってはいられない。ひたすらに拳を撃ち続け、自分も重心を固定した。
 彼等を見ている五、六年生も二人を見つめたまま動かない。五年生は八左ヱ門の真剣な表情に息を呑み、六年生は小平太のいつもと違う戦い方に目を奪われている。そして全員が思っていたのは、二人がこの戦いを楽しんでいるという事だ。
 決して笑ってなどいない。けれど彼等には解るのだ。二人が纏っている空気、真っ直ぐに互いを見ている目。五年ないし六年を共に過ごしてきたならば、二人が今どんな心境なのかはおのずと伝わってくる。それは理屈では言い表せない何かなのだ。


「もう後悔しないだろ、八左ヱ門」


 マイクを下ろしたまま、兵助はぽつりと呟く。その顔はとても優しく、ただ誇らしげに八左ヱ門を見ていた。
 大切な友が、目の前で戦っている。戦いを楽しんでいる。遠くに行ってしまうようで恐いから、思わず手を伸ばしてしまう。けれど強くなっていく八ヱ左門を見守っていきたい。自分も追いかけていきたい。
 此処が忍の世界だというのならそれも叶わないのだろう。ならばせめて抗う事を許して欲しい。


「卒業までなんだ。一緒に居てもいいだろ」


 また八左ヱ門が拳を喰らった。鳩尾に一発、防御しようとしたが遅かった。それでも根を上げずにバランスを崩してから小平太の顔面に蹴りを一発入れたのは、さすが五年生と言うべきか。
 しかし一発入れた直後、八左ヱ門は背筋が凍った。小平太が、笑った。目は獣のように鋭いのに、頬にはかすり傷が出来ていて口許からは血が滲んでいるのに。それでも、小平太は笑う事をやめないのだ。どこか不気味な小平太のその笑みを見て、八左ヱ門は動けなくなった。まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
 だが動けないなどと呑気な事を言ってもいられない。荒い息を整える暇もなくまた双方の間で拳が飛び交う。一見無茶苦茶に攻撃しているように見えるが実は全て的を射ている。顔面、鳩尾、脇腹、狙う場所は様々だが全て急所というには違いない。更には相手の数手先を読んで行動している。忍者のたまごにしては十分過ぎるくらいの戦力だ。
 しかしやはり同じ忍者のたまごと言っても、最高学年である六年生との差は覆せない。背負っている責任と命の重さ、これから訪れるであろう危険な未来、それらに一番近い者達の心構えは、恐らく五年生達の想像を絶するものだろう。
 やがて彼等も思い知る。本当に自分を苦しめるものが何であるかを。


「かは……っ!」


 小平太の拳が命中する度に八左ヱ門は小さく渇いたような呻きを上げる。見ているこっちが苦しくなるかのように歪められた顔、それは今まで五年生達が目にした事のない重い表情だった。
 もはや手で防御する事も敵わないようで、当たるがまま攻撃を受け止めていく。もう何発命中したかわからないが、八左ヱ門に限界が来ている事は誰が見ても明らかだった。鳩尾に連続で攻撃を喰らえば意識が飛ぶのも仕方がない、それでも八左ヱ門はまだ立っている。それだけでも評価すべき事なのだ。小平太の拳を受けての事なら尚更だろう。
 このバトルロワイヤルを開こうと言ったのは、悪戯好きの三郎。八左ヱ門達も始めはそんなの敵う訳がないと止めたが、三郎に「こんな身近な強敵と戦える事なんてこの先ないよ」と丸め込まれてしまった。けれど翌々考えてみれば確かにそうなのだ。自分達できっかけを作らなければ、六年生と対戦する機会など訪れない。ならばやらない理由などないだろう。
 そうして今に至る訳なのだが、始めは言いようのない昂揚があった。勝てるなどとは思っていなかったが、ただ純粋に先輩達と戦える事が嬉しかったのだ。それなのに今、少し怖くなった。


「……なぁ、あんな八左ヱ門見た事ある?」
「ない、ね」


 雷蔵と勘右衛門が息を呑む。真剣に戦っても勝ち目がない事くらい知っていた。それくらいの差、大きな壁があるからこそ尊敬出来る先輩達だ。ぼろぼろになって帰って来てもと諦めがつく。そして本来なら、負けた者には確実な死が訪れる事も知っていた。だから今八左ヱ門達がしているのは、命のやり取りを擬似的に行う「ただの遊び」に過ぎないのだ。それでも沸き上がる恐怖は止まらなかった。自分もやがてああいう風に死んでいくのか、と一瞬想像しては怯えた。
 僕等は想像以上に臆病だった。覚悟は脆く崩れ落ち、恐怖に心を奪われる。
 こんな感情を、僕等はまだ知り始めたばかり。


「まだ決着はつきません! 誰がこれ程の戦いを予想したでしょうか! 食らっては立ち上がり、傷付き倒れるのは果たしてどちらなのか!」


 緊迫した空気の中、兵助の実況だけが嫌に響く。
 誰が見ても明らかだった。傷付き倒れる者は――ぼろぼろになっていく八左ヱ門、ただ一人。
 終盤に差し掛かったと誰もが理解し、そして擬似的な最期を見送る。これが本当なら死んでるんだぞ、と八左ヱ門に言うのは野暮ったい。だから声援を送る事もせずただ見守っていた。
 しかし八左ヱ門は足掻く。バランスを崩し倒れた身体を地面に付いた左手だけで支える。左手に全体重をかけ身体を捻って蹴りを繰り出す。


「筋はいいな。根性はあるし体力も申し分ない。目も鍛えられてるし、実戦では前線でも活躍出来るようになるだろうな」


 文次郎は腕を組んで険しい表情で言った。これまでの八左ヱ門を見ていて思った正直な感想だった。最も、忍なのだから自ら前線に出て行く事はまずないだろうが。
 八左ヱ門の体力は五年生の中でも一、二を争う。日頃の実習の成果も勿論だが委員会での動物の世話も体力に結び付いている。根が熱血の為元から根性はあるにしろ、学園一の体力を誇る小平太の蹴りを食らっても怯まずに立ち上がるその根性もとい諦めの悪さは賞賛に値する。
 文次郎の隣で、六年は組用具委員会委員長、食満留三郎もまた苦い顔をしていた。


「今回は、相手が悪かったな」


 留三郎はそう言って伊作の隣に移動する。容赦ない小平太の攻撃を食らった八左ヱ門を思ってかそれともぼろぼろになってゆく彼を見つめる兵助を思ってか、とりあえず同じは組の保健委員会委員長、善法寺伊作に「後で手当てしてやってくれ」と呟いた。伊作は困ったように笑いながらも優しい笑みを浮かべて頷いた。
 一方の八左ヱ門はやはりもうぼろぼろだった。思い切り蹴られて恐らく痣が出来ているであろう横腹は当然として、激しく動きすぎた為鼻血まで出ている。息を切らしながら、垂れてきた生暖かい血を左手で拭った。手の甲に暖かい感触がして八左ヱ門は「ああまだ生きているんだなあ」と今更な事を思った。
 小平太が本気を出しているのかそうでないのかを知る術を八左ヱ門は持ち合わせていない、または本気を出させる為の力量もないのだろうが、小平太が敵ならば八左ヱ門は間違いなく殺されている身だ。それを思うと生きている心地がしない。これがただの「遊び」で本当によかったと息をつく暇もない。
 しかし不思議と恐ろしさは余り感じなかった。確かに目の前にいる小平太は学園一の暴君であるし色々な意味で手に負えないとは思うのだけれど、だからこそ打ち負かしてやりたいとも思った。
 きっと本能的に強敵との戦いを楽しんでいるのだとそれ以上深くは考えなかった。







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