こたえ2 | ナノ
こたえ2




 無意識というのは怖い。自分の意思とは関係なしに動いてしまうから自分ではそれに気付かない。決して見たいなどと思ってはいないのにいつの間にか視線が文次郎に注がれてしまっている。自分と同じく目付きが悪い文次郎を見て「何故こんな奴と付き合っているんだ」と内心落胆した。
 好きになるというのはその人物の何処かに惹かれるという事だ。自分にないものを持っている、好みに当て嵌まっているというのがそこに繋がる一般的な考えだと言えるだろう。更に心理学によると、性格が似ているつまり趣味や好みが同じである方が上手くいく事が多いらしい。まあこれは留三郎が何処からかちらっと聞いた話だから、本当にそれが正しいのかは定かではないのだが。
 しかしこの二人に至っては互いに何処が好きなのかが解らない。


「なあ留三郎」
「んあ?」


 考え事をしている時に話しかけられて若干声が裏返った。勢いよく顔を上げれば文次郎が少し笑っているのが見えて苛ついた。顔を背けているのがまた癇に障る。いつもならぶん殴ってやる所だが対面して座っているのでそれも敵わない。一言「死ね」と言ってこたつから出た。鍋も一通り食べ終わったから酒でも呑もうと思ったのだ。
 冷蔵庫へは文次郎の後ろを通らなければ行けない。通りしなに腹に一発入れてやろうかとも思ったがやめた。こんな事でいちいち喧嘩していては身が持たない。何事もなく文次郎の後ろを通ろうとするとふいに彼に腕を掴まれた。


「な、にすんだ」
「話がまだだ」
「俺はお前と話す事なんて何もねぇ」
「俺はある」


 両者一歩も譲らず。この二人の喧嘩の理由はいつも「相手との意見の相違」なのだがそれが実にくだらない。
 例えば、二人が道に迷えば必ず右と左に意見が分かれる。そして片方に何故右を選んだのかと聞けば決まって返ってくる答えが「こいつが左を選んだから」だ。これをれっきとした理由として述べるのだから呆れる。


「いいから、来い!」
「何しやが……っだ!」


 ついに文次郎が留三郎の腕を力一杯引っ張った。勢い付いた留三郎が倒れ込む。……筈だったのだが瞬間的に出された片足によって文次郎の横腹に蹴りが入った。しかし以外にも浅く、彼は呻き声を上げる事なく口角を吊り上げて留三郎を見た。鋭い眼光はまるで獲物を狩る野生動物のようだ。
 だが留三郎も負けてはいない。文次郎の余裕ぶった笑みに闘志を燃やしたのか、彼もまた悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 互いにくだらない事だなんて解っている。何故会う度に喧嘩しなければならないのだと。仮にも恋人同士だ。甘い空気の一つや二つあってもいいだろう。それなのに身体を傷付ける事しか、喧嘩して解り合う事しか知らないのだ。


「……お前からはまだ聞いていない」
「何が」


 文次郎が手を止めた。それでも留三郎の腕を掴んだ手はそのまま、むしろ握る力を強めている。しかし留三郎が顔を歪める事はない。
 留三郎は解っている。今文次郎が何を聞きたがっているのか、どれだけそれを望んでいるのか。ただそれを言ってしまえば終わりのような気がしてならない。それはきっと文次郎も同じだろう。
 二人が望む言葉が一致しているのは彼等にも解っている。あれだけいがみ合っていた二人の意見が一致しているのだ。これ程喜ばしい事はない。けれど彼等が「終わりのような気がしてならない」と言うのは、言ってしまえばもう以前のように喧嘩する事が出来なくなるかもしれないという不安に駆られているからだ。実際怪我を負うものの喧嘩している時間が嫌いな訳ではない。だからその時間がなくなってしまえばいつもの日々に空白が出来てしまう。それを彼等は恐れている。


「お前は、俺の事をどう思っている」


 ああ、やっぱり。
 頷くだけでは答えが出ないような質問の聞き方だ。これでは言い逃れなど出来ないではないか。文次郎が留三郎に答えを迫る。
 腕を掴まれている為いよいよ逃げ道がなくなってきた。終わりが来てしまうかもしれない、それでも文次郎は望んでいるのだろうかと内心に焦りが広がる。臆病なのは自分だけなのだろうか。今はただ目を逸らして押し黙る事しか出来ない。


「お前は、お前だろうが」


 これは言い訳。はたしてこんな答えで文次郎は許してくれるだろうか。
 しかし僅かに希望を抱いていたのだがそれも虚しく文次郎の腕の力は強まるばかりだ。いよいよ留三郎も少し腕が痛くなってきたようで顔を逸らし眉をひそめた。するとそれに気付いた文次郎は意外にも静かに手を離した。案の定留三郎の腕にはうっすらと赤く跡が残っている。
 瞬間文次郎は片腕を伸ばしてバランスを崩した留三郎を無理矢理抱き寄せた。肩に留三郎の頭がぶつかりそのまま彼の頭を小さく撫でるようにして触れる。


「お前が頷いて見せたのは、嘘だったのか」


 留三郎が顔を赤らめる暇もなく文次郎は鋭い言葉を突き付ける。本当は彼もこんな事は言いたくなかった。言葉に執着しているようで嫌だった。
 文次郎は嘘を嫌う。言葉の嘘や行動の嘘、それらを知った時彼は二度とその人物を心の底から信じる事が出来なくなる。というのも彼は嘘をつかれるのが大嫌いだからだ。過去に嘘を吐いた人物と共に過ごしていた時は良い事などなく不愉快な思いをさせられるばかりだった。何を言われても「これも嘘なのではないだろうか」と疑心暗鬼に陥る。信じる事はおろか疑ってかかるばかりでどうも解り合える気がしなかった。まったく嫌な思い出である。そんな思い出のせいかどうかは判らないが彼は何時でも嘘を軽く見る事は決してなかった。そして後にこういう答えに行き着く事になったのだ。
 嘘の延長線上とは、裏切りである。


「留三郎」
「っ、俺は……」
「留三郎」


 まるで懇願するかのように文次郎は名前を呼ぶ。留三郎の耳元で聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の声で囁く。何度も何度も。自分が問い詰める事によって留三郎がどんな想いを抱くか知っている。それなのに呼ぶ事を止められない彼はもうどうしていいのかわからない。
 一方留三郎もどうしていいか解らずに文次郎の身体に顔を埋めている。文次郎が耳元で囁くものだからくすぐったい。思わず声が漏れそうになるのを必死で堪えた。頭の中では文次郎が自分を呼ぶ声だけが繰り返される。
 やめろ。そんな弱々しい声で俺を呼ぶな。留三郎が心の中でどれだけ叫んでもそれが文次郎に届く筈はない。伝えるには、自分の口で言うしかないのだ。


「文次郎……、あれは、嘘じゃない」
「…………」
「嘘じゃないよ」
「……ああ」


 留三郎の言葉に文次郎はようやく安堵の表情を見せる。逃げようと閉じかけた瞼は文次郎の意思によって開かれ隣にある留三郎の姿を捉えた。髪の間から覗く耳だけがやや赤い。
 今まで片腕だけを留三郎の首に回していたがどうにか物足りなくなって両手で彼を抱きしめた。身体の半分に留三郎の体温を感じて妙に熱い気がしたが気付かないふりをした。
 嬉しくなかったと言えば嘘になる。むしろ今は留三郎が無性に愛しく思えるのだから内心驚いている程だ。耳があれだけ赤く染まっている彼の頬には朱がさしている事だろう。それを思うと何故だろうか、とても言わずにはいられなかった。


「好きだ」


 はっきりと彼に聞こえるようにと。自分の想いを再確認しながら文次郎は言葉を伝える。留三郎が腕の中に居るのを感じながら抱きしめる腕にほんの少し力を込めてみた。それから自分の身体に埋められた頭をゆっくりと撫でた。
 すると驚く事に反応があった。文次郎の背中に留三郎の掌が触れる。服を掴むのではなくただ触れるだけの行為。まるで行場のなくなった手の居場所を探すかのように添えられる両手。髪から覗く耳は相変わらず赤くそれがまた文次郎の心を揺らした。


「お前は?」
「うっせぇ。……俺も」


 これ以上ないくらいに恥ずかしい。こんな男がまるで女みたいな事を言ったって可愛くも何ともないだろうに文次郎はずっと頭を撫でてくる。物好きな奴も居るものだと思ったがやがて自分もその物好きが好きなら奴と大して変わらないと思い考える事をやめた。
 前にも言ったように彼等ははっきりと想いを伝える事が好きではない。ただ自分ばかりが言われていては平等でないような気がして気が引ける。だから自分も想いを伝える。そういうひねくれた考えの下に行動しているのだがこれでは単に「自分が思ってもいない事を言う」ように見えてならない。しかしそれは間違いであって何も自分の気持ちに嘘をついてまでそのルールを守ろうとはしない。つまり今彼等が言った事は紛れも無い本心であり嘘など一つもない。むしろ彼等が心の底から願っている願望のようなものだ。


「素直じゃねぇ奴」


 文次郎がぽつりと呟いたその言葉ははたして誰に向けられたものだろうか。皮肉を込めたつもりだろうが言い方が少し弱かった。
 他の誰に解らなくてもいい。けれども今目の前に居る奴には解って欲しい。それが彼等の考えだ。諦めがいいのか悪いのかわからないが周りから見れば彼等は異色かもしれない。あれだけ喧嘩をしているのに「恋人同士だ」なんて言われて目を剥かない方が珍しいのだから。しかし周りからどんな風に思われようともお互い変わろうとしないのは彼等がひねくれているからではない。
 周りから認められる為に関係を保つのではない。ただお互いが求めている言葉が同じなだけ。他の誰から貰った綺麗な言葉よりも乱雑で荒っぽくて憎たらしい、そのたった一言の言葉を。


「お互い様ってもんだろ?」


 一度目は背中合わせで。
 二度目は彼の腕の中で。
 お互いが望むこたえを、聞いた。







END


10.2.14 

せっかちな文食満のイメージに合わせて句読点減らしたらこんな事に。読みにくくてすみません。
留三郎の仕事は建築関係って決めてたけど、文次郎は特に決めてなかった。
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