memo | ナノ

張り合っても仕方のないこと


※椿と後藤さん


「……達海さん?」

 練習後、部屋に来るようにと達海に言われ、着替えを済ます前に部屋に来てみたものの、ドアをノックしても返事は一向に返って来ない。もう一度ノックしてもやはり返事はなく、どうしたものかと椿は一人ドアの前でうなだれた。
 招かれたのだから部屋に入っても問題はない。ただ、もしこのままドアを開けた時に達海が着替えていたりしたらと思うと、どうしてもドアが開けられない。別に男同士なのだからそんなに深く考える必要はないのだが、椿は達海の恋人であるが故に彼の事を異常に意識してしまうのだった。
 達海は携帯を持っていない為連絡を入れる事も出来ず、椿はうろうろとドアの前を行ったり来たりしていた。
 そんな怪しい光景を見て、声をかけた人物が一人。

「あれ、どうしたんだ椿?」
「ご、後藤さん! いや、あの、これはその……」

 思わず悲鳴を上げそうになったくらい驚き、身体中から冷や汗がぶわっと出て来たのが嫌にはっきりわかった。椿は後藤の顔を見て硬直する。別に何かの疑いをかけられている訳でもないのに「違うんです!」と弁解してぶんぶんと頭を振る椿を、後藤は不思議そうに見つめている。
 達海の部屋に入ろうとしている事が、椿と達海の間にある特別な感情を示唆している訳ではないと知っているけれど、やはりどこか後ろめたさがあった。特に、達海と現役の頃からの付き合いである後藤にはこの関係は知られたくない。男同士で付き合っていると知られて自分のイメージがどれだけ悪くなろうと構わないが、達海のイメージが悪くなったり変わってしまったりするのはどうにか避けたい。
 そうして椿がぐるぐる悩んでいる間も、後藤と椿の間には沈黙が流れ続けている。後藤は椿が萎縮してしまわないように気を遣ってくれているのか、ゆっくり話しかけてきた。

「達海に何か用があるのか?」
「あ、はい。練習終わったら、部屋に来いって……でも、ノックしても返事なくて……」
「ああ、達海ならさっきコンビニ行くって言ってたけど」

 後藤がそう言うと椿はびくりと身体を跳ねさせてからため息をついた。このため息が安堵から来るものか単なる呆れから来るものなのか、今はわからなかった。
 もしかして約束をした本人が約束を忘れたのではないかと椿は内心不安になったが、考える事は後回しにして、とりあえず後藤に礼を言った。

「そうですか、ありがとうございます」
「もうちょっとしたら帰ってくると思うけどな」
「また、後で来てみます」

 椿は軽く頭を下げてから、後藤に背を向けて更衣室に向かった。



「……達海さん?」

 そして冒頭に戻る。
 それなりにゆっくり時間をかけて着替えた筈なのに、まだ早かったのか、ドアをノックしても達海からの返事はない。やはり勝手に部屋に入る訳にもいかず、ため息をついてドアに背中を押し付けた。そのままずるずると身体が下りて、小さくうずくまったまま椿は目を閉じた。

(俺の知らない達海さんを、後藤さんが知ってるなら……)

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