浅く浅く呼吸をした
深く深く閉じ込めたの続き
「あれ、竜ヶ崎知らなかった?」
先輩は僕が知らないことに驚いていた。喉が張り付いて、声を出すのに苦労した。
「いえ……あの、ちょっと急用を思い出したので……帰らせてください」
「……ああ。気をつけて帰れよ」
そんな。どうして。だから。何故、僕は気づけなかったのだろう。名字先輩の、あの悲しげな雰囲気に。
あの人はいつもそうだ。辛いくせに押し込んで、周りがやっと気づいた頃には浅い息だ。……僕では、駄目だったのだろう。
やるせない思いを力に、名字先輩の家に向かった。
「はーい、どちらさま……って、怜じゃん。どした、急に。お前部活は?」
「休みました」
「へえーサボりか!ははーん、さては俺に感化されたのか。それは駄目だぞ。ちゃんと、」
「どうして!どうして……言ってくれなかったんですか……!」
朗らかに笑う名字先輩が憎たらしい。どうしてそんなに綺麗に笑うんですか。なんだか僕だけが、傷ついているみたいじゃないか。
「……怜、中に上がろ。ひでえ面してるぞ」
普段通りに接してくれている名字先輩の優しさが痛い。また溢れてくる涙に、何も出来ないまま先輩の家にお邪魔した。
「ちょっときたねえけど、気にしないでくれ」
通された部屋は名字先輩のらしく、生活感が少し漂うくらいシンプルだった。ただ、気になるのは仄かに香る鉄の臭いだ。
「意外と……綺麗ですね」
「意外とってなんだ、意外と。……それで、なんだったけ?」
「名字先輩が……足を故障して、もう走れないことを知らずに……僕は、あんな、っ…酷いことを…!」
顔を伏せていると思わず声が震えて、上手く言葉を紡げない。名字先輩はため息を一つ吐いて、僕を抱き寄せた。
その瞬間、何故この部屋が鉄臭いのか分かった。この鉄臭いのは……名字先輩からだ。先輩の匂いと血の臭いが混じって、呼吸が浅くなる。
「……名字先輩、怪我してるんですか…?」
「いや、怜を汚してる」
「……汚してください。もっと」
ぎゅっと強く力をこめて、先輩の肩に顔を埋める。先輩は苦笑して、「いいよ、もっと傷つけてあげる」と僕の腕にナイフを当てて、引いた。
浅く浅く息をする
―ごめん、と誰かが呟いたような気がした。
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