さばの缶詰 | ナノ
「いらっしゃいませ!今日は鰯がおすすめですよ」
「鯖をくれ」
「たまには違う魚も食べろ」
「透が食べたいなら買う」
「痴話喧嘩なら他所でやってくれ」
あの後、びしょ濡れになったわたし達は、一旦わたしの家に帰った。母さんに水泳をまた始めたいと伝えたら、とても喜んだ。それを見ていた遙は、ちょっと嬉しそうだった。
それで、真面目に戻ろうと一新したわたしは、茶色く染めていた髪を黒髪に戻し、濃いメイクを薄くナチュラルにした。
「ち、ちち痴話喧嘩じゃありません!セールスです!」
「恋人に鰯を買わせるってどうなんだろう、ねえハル」
「別に、俺は透が好きだから」
「恥ずかしいからやめて!あと爆笑するな真琴!」
わたしが鮮魚『イワトビ』でバイトしていることを、渚がみんなに言い触らしたせいで毎日毎日騒がしい。でも、もう鯖を食べることや泳ぐことに虚無感はない。
「真琴、あんまり笑うな」
「ハル…」
「遙……!」
「こいつだって、バカなりに頑張っているんだ」
「〜〜〜っ、遙のバカ!この水厨!イケメン!」
「水ちゅう…?」
鯖をたくさん食べたら、好きなひとに好かれると思っていた。だから、そのよくわからない根拠にしがみついて、自分からは積極的に好意を示さなかった。
わたしの毎日は、今日も鯖(はるか)がぎゅうぎゅうに詰まっているに違いない。
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