さばの缶詰 | ナノ
「透」
「……帰ってよ」
「海に行こう」
突然私の家に来た七瀬は、部屋に遠慮なく入ってきて私の腕を掴んだ。は?海に?ちょっと意味わかんないだけど……!
「い、やだ!離して……!」
「嫌だ」
「なんで、海なんかにっ……!」
嫌だ。海なんて、水がたくさんあるところになんて行きたくない。駄々を捏ねていても、男の七瀬に抵抗は叶わず、わたしは無理矢理家から出された。
「すみません、透借りてきます」
「はーい、気をつけてね」
「七瀬!ちょっとなんなのいきなり!」
「あれは……お前に渡すつもりだった」
「は…?」
やっと理由を話すかと思いきや、よく分からないことを喋り始めた七瀬。ちょっと、状況が読めないんだけど。あと化粧してないから顔を上げられない。
「イルカのペンダント」
「……っ!」
「思い出したか?」
「あ、れ……七瀬、好きな奴に買ったって」
「後ろ、乗れ」
家の前に止めてあった青い自転車に、七瀬が跨がった。正直、七瀬に自転車なんて合わないんだけど。移動手段に自転車って……。
しぶしぶ乗ると、振り返った七瀬がわたしの手を自分の腰に置いた。え、ちょっと、すごく羨ましいくらいに引き締まってる……じゃなくて!
茹だるような外の熱気と七瀬に触れてる部分が熱い。恥ずかしくて、死んじゃいそう。
「行くぞ」
「えっ、ちょっ、うわあ!」
相変わらず無口でわかりにくい男だな。なんで七瀬を好きになったんだっけ。あの頃は、ちょっとだけ松岡に興味があったのに。
「しっかり掴まってろよ」
「う、ん」
そっか。単純な話、わたしは七瀬のたまに見せる優しさに惚れていたんだ。水のように冷たいくせに、本当は熱い火がじりじり燃えている。
海なんて着かずに、ずっとこのままが続けばいいのに。
←|→