小指にくちづけ
僕は洛山高校に入学してから、電車で通うことにした。帝光中時代には何度か乗った経験があるので、利用する分には何も問題なかった。 しかし、今は一人なせいか、満員電車に乗るのは心細い部分もあった。顔も知らない他人の身体が接していて、気分が悪くなりそうだ。 吊革をギュッと握りしめていたら、不意に尻を何かが掠めた。こんなにも人間がいるのだ、当たらないわけがない。そう自分に言い聞かせたが、本当は怖かった。 掠めた何かは確かめるように、尻を執拗に揉んでくる。これは事故ではなく、痴漢だ。だが何故、男である僕の尻を狙うんだ。 泣きたくなってきた。 周りの人間は気づかぬまま、電車は目的地へと走り続ける。
「君、大丈夫?顔色悪いよ」 「え、ああ…大丈夫です」 「そう?」 「本当に大丈夫ですから……」
スーツを着た男が話しかけてきた途端、痴漢の手は何処かへ消えた。男は僕よりも身長が高い。涼太と同じくらいの体格だ。 顔も負けないくらい整っていて、恐らくモテるのだろうなと思った。
「…どこで降りる?駅」 「えっと……××駅です」 「おお、ちょうど俺と同じだ」
きっとこの男は、僕と降りるつもりなんだろう。用もない駅に。 雰囲気からも滲み出る、お人好しな彼を僕は突き放そうとした。別に大丈夫ですから、と言って。 しかしながら、お人好しなのか頑固なのか、「ほんとだって。信じてくれないの?」と意志を曲げようとしない。
「次、着くって。俺の裾握ってて」 「あ……」
キュッと握らされたスーツに皺が出来ないよう、軽く摘まむ。生地からして高級そうだと思ったからだ。 乗降口が開くと、乗客は我先にと押し掛ける。その波に遅れないよう、揉みくちゃにされながら出ていく。 彼の裾を摘まんでいたお陰で、見失わずに済んだ。
「うわ、髪の毛ボサッたな」 「鏡、見てきますから。では、ありがとうございました」 「ん。じゃあな、気をつけろよ」 「はい」
ボサボサになった髪の毛を、更にぐしゃぐしゃにするように、彼は僕の頭を撫でた。温かくて大きな手だった。 その温もりに僕は一人だったことを忘れた。 名前、聞いておけばよかったな。
「――という話があったのに、もう覚えてないのか」 「ごめんってば、征ちゃ〜ん」 「……さわるな」 「うう…ちょっと寄り道してて遅くなっただけなのに」
京介は唇を尖らせながら反論する。僕の誕生日なのに、遅れるなんて少しデリカシーに欠ける行動だ。 あの日から彼は毎日のように電車やホームで会い、連絡先まで交換する仲になった。 告白をしたのは僕の方だった。少し傲慢な態度になってしまったが、京介は「お前…それ、俺が言いたかった」と抱き締めてくれた。 そして、痴漢をしていたのは彼だということを告白された。どうしても触りたかったらしい。顔を真っ赤にしながら話す彼が可愛かったので、許してあげた。
「征十郎、こっち向いて」 「…なんだ」 「誕生日おめでとう」 「こ、れ…っ!」
差し出された黒い小さな箱には、シルバーのピンキーリングが二つ仲良く並んでいた。
「『貴方の将来を、僕にください』」 「京介…!」 「征十郎が言ってくれた言葉だろ?俺も同じ気持ちなんだよ」 「僕で…いいのか?」 「お前じゃなきゃ嫌だ」
視界がぼやけているけど、京介が微笑んでいるのはわかった。嬉しくて嬉しくて、僕は彼の広い胸に飛び込んだ。 あのピンキーリングのように、二人仲良く一緒に居たい。
Happy birthday Akashi!!
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