「おはよ、遙。今日は早かったな」
「……はよ」
「今日はちょっと遅くなるから先にご飯を、」
「別に。早く行かなきゃ遅刻するぞ」
「わっ!?ありがと、いってきます!」
「……………………」

七瀬柊、ごく普通の会社員だ。最近の悩みは弟の遙が反抗期なのか、あまり喋ってくれない。……お兄ちゃん、寂しいよー!

「おはようございます、七瀬さん」
「おはようございます、八尾さん」

八尾さんとは、僕の同僚である。可愛らしく清楚で部内でも人気がある女性だ。
毎朝、僕に挨拶をしてくれて心配りができるひとで、遙の反抗期で寂しい気持ちを癒してくれる。

「あの、もしよければ…今日、お食事に行きませんか?」
「やめとけ八尾、七瀬には愛妻がいるんだよ」
「えっ!そうなんですか?」
「ちっ、違います!僕に奥さんがいるわけないじゃないですか」

慌てて否定すると、八尾さんは安堵したように「よかった」と微笑んだ。……何がよかったんだろう。
そのまま流されるように、今夜八尾さんと二人でご飯を食べることになった。
遙にはメールで遅くなることを送ったが、何も返事が来なかった。



「七瀬さんは、彼女さんとかいないんですか?」
「今はいいかな…。こっちに戻ってきたから、弟の面倒を見なきゃいけないからさ」

和食を主に取り扱っている店に来た。ここはよく遙と外食するときに利用している。いつも鯖ばかり食べる弟に、野菜を摂らせるためだ。
僕の返答に八尾さんは綺麗な眉を八の字にした。あれ……また変なこと言ったかな?

「そう、ですか……」
「もうこんな時間だし、駅まで送るね」
「ありがとうございます」

店を出て駅までの道を歩くが、嫌なくらい沈黙が横たわっている。うん、気まずい。
何か話題を振ろうかと思っていたら、駅に着いてしまった。

「七瀬さん」
「どうし、っ!?」

八尾さんにぐいっとネクタイを引っ張られたと思ったら、頬に柔らかい感触が当たった。
こ、これはキス……!?

「私、七瀬さんのことが好きです。……返事は、また」
「えっ?ちょっと八尾さん!?」

脱兎のごとく走り去る八尾さんを見てため息を吐いた。明日、どんな顔をして会えばいいんだよ……。
重い足で帰路に着こうと振り返ったら、遙が佇んでいた。ひどく傷ついたような顔をして。

「はる、か?どうしてこんなところに、」
「誰だ」
「ああ…八尾さん。僕の同僚だよ」
「本当に……同僚か?さっきキスされて告白されただろ」

どうして遙が怒っているのかわからなかった。いつも僕には冷淡で興味を示さないくせに…。

「遙、帰ろう」
「っ、離せ!俺は帰らない……!」
「……遙」
「……帰らない。今日は真琴の家に、」
「ふざけるな!真琴君に迷惑だろ! …僕は兄として失格だと言いたいのか?なあ、遙」

我慢できない。溜め込んできた不安が、ふつふつと煮え立ってあふれでる。
遙の肩をぎりぎりと握りしめていると、生ぬるいものが頬を伝う。涙だ。一気に頭が冷えて情けない自分に嘲笑した。

「っ、ごめん。僕が悪いのに、こんな怒鳴って。今日はやっぱり真琴君に頼んで、」
「行かない。行かないから…」
「遙…?」
「兄さんから、たまに女の匂いがして…嫌だった」

初めて遙が僕に甘えてきた。ぎゅうと腕を回して肩に顔を当てて。
それがたまらなくいとおしくて、嬉しくて、さらに涙が零れてきた。

「兄さんは、世界で一人しかいないから」
「遙っ……!」
「……柊」
「ひぐっ、はる…! っ、ありがと」

顔を上げた遙はいつものように無表情だったが、少し笑っているような気がした。

「ありがと、兄さん」

同じアオでも違う
(群青と紺碧と)

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