信ずる者は救われる?
久しぶりに来た名前の部屋は特に何も変わらず、相変わらず生活感がない場所であった。
「ほーんと、この部屋って何もないね」
「そりゃ悪かったな」
そうふてぶてしくコーヒーを差し出す彼だが、声色は楽しそうだ。おそらく俺と会えたのが嬉しいのだろう。
「ちょっとトイレ行ってくるけど、あさるなよ」
「そんな悪趣味なことしないってば、平和島君」
「……胡散臭え」
そう、彼は平和島静雄の従兄弟だ。シズちゃん並みの目つき、口の悪さ。最初はコピーかと思ったよ。
「漁るなんて卑しいことはしないさ。ただ、」
ちょっと、危ないことはするけど
「おかえり」
「ん」
彼は短く返事をしてコーヒーをごくごく飲んでいく。ちなみにシズちゃんと違って甘いものは苦手らしい。馬鹿力を日常的に使うくせに。
「そんなに飲んだら、またトイレ行きたくなるよ?」
「別に家の中だから大丈夫だろ。っ、なに、臨也?」
「久しぶりだし、シよっか?」
上に跨がると名前は肩を強張らせたが、従順に横たわった。うんうん、偉いなあ。シズちゃんとは大違い。
「んっ、はっ……いざや」
「なあに?」
「なんか……ぴりぴりする」
おや、やっと効いてきたようだ。俺の言葉を聞いて、トロンとした目が徐々にぎりぎりとつり上がっていく。
「臨也…!てめえっ、ごほっごほごほ!」
「大丈夫?」
「はぁっ…ぁっ、血ぃ…?」
手のひらに付着した血に目を丸くする名前。気づいていないうちにゆっくりと退いていく。名前は真っ青だ。
「……なに、したんだよ……臨也」
「薬を君のコーヒーに入れた。ね、初めて会った時のこと、覚えてる?君は俺に殴りかかって来たよねえ」
「臨也…………」
「初対面で顔も知らない奴から『君は怪物だ』って言われたら誰だって怒るさ」
俺の紡ぐ言葉に名前は顔を伏せ、「そんな……どうして…」しか言わなくなってきた。口の端からは血がだらしなく垂れている。拭おうともしないその姿に、ああ、彼は俺を信用し、愛していたんだと改めて思った。
「最近、君は人間だと思うようになってきた。否、思わせられていたんだ。だいたい君は元から人間という枠組みから飛び抜けていて強靭な筋力、筋肉によってあり得ない物事を為して見せた。人間じゃあり得ないんだよ。君は、異端なんだ」
俺は足を一歩、名前へ近づけた。彼の目は絶望していた。ああ、その目が見たかったんだ!
「……ていうか、お前は、人間じゃ、ねえ」
「は?」
「お前は……俺と同じ、だ、っ!」
思わず名前…いや、怪物の腹を蹴ってしまった。怪物は俺に怒りを露にせず、無様にむせていた。
「あっはははは!何、俺が同類?気持ち悪いな!」
「げほっ、げほっ……お前、かわいそ、うだ、ぁ」
「黙れ。怪物風情が人間に憐れむなんて、無茶なことはしない方がいいよ」
「ああ、そうだ。俺は、怪物、だ。そんで、今から、お前を、殺す」
は?
停止した思考を無理矢理動かそうとしたが、遅かった。怪物は凄まじいスピードと力で俺を床に押し倒した。
「はっ、はっ、はっ……俺さ、意外と、好きだった。でも、ごめんな」
「……………………」
「愛、とか人間の、心を、教えてくれて……ありがとう」
怪物は涙を流しながら必死に息をする。もう毒は全身に回り、そろそろ死ぬ頃合いだ。俺はその様子をただ冷たく見ていた。
「あり、がと、う……い、ざ……」
「……………………」
死んだ。意外とあっけなく終わってしまった。俺に倒れてきた怪物は、筋肉質なせいか重くて苦しい。胸が、息が、苦しい。
「…っ…うえっ……ひっぐ」
怪物は救われた。俺は救われなかった。
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