沈黙のナイトメア
母さんが帰ってくるのは遅いと説得しようとしたけれど、聞き入れてもらえずに空が明るいうちに帰ってきた。
こんな時間に帰ってくるのは久しぶりだな。鍵を挿入して解錠する。
ドアノブを捻ってふとたたみを見たら、母さんの黒いパンプスが置いてあった。
不吉なもの、と言えば僕は真っ先に母さんのこの黒い靴が思い浮かぶ。まるで悪魔の足みたいだ。
「おかえり、皐月。早かったわね」
「…ただいま」
「今日は私が作るから、お風呂してて」
「……その前に、さ。ちょっと話があるんだけど」
珍しく僕が母さんに話しかけたからか、母さんは僕と似た水色の虹彩を瞬かせた。
「話?」
「うん……。母さんがこの前…岩鳶水泳部の部員に見せなかった?動画」
「ああ、あのことね。もしかして駄目だったかしら」
「……、べつに」
「そう。じゃ、よろしく」
母さんはあの時もそうだった。僕が「水泳はもうやめる」と伝えた時、一切の表情を変えずに淡々と了承した。
我が母親ながら分からないひとだとおもう。よく怜はできたなあ。
「ねえ、皐月」
「…何?」
「水泳は…今は楽しい?」
初めて母さんが水泳で僕に数字以外のことを聞いてきた。驚いて顔を見つめるけど、その心意は掴めない。
「今、は……楽しいよ」
「それはよかった。ごめんね、それだけ聞きたかったのよ」
「……そう」
何となく腑に落ちなかったけど、無理矢理納得したふりをして僕は風呂場へ向かった。
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