たったひとつのリーズン

岩鳶水泳部が合同練習に来たその夜、アイは自室にある机に向かっていた。いくら強豪校とはいえ、勉強量も多いのだろう。

やっと終わったのかアイは背伸びをして、ふと今日の出来事を思い出した。

僕との勝負で恐らく2年間泳いですらいない相手に、負けた。屈辱的だった。……しかし皐月に勝ったところで、何かが変わるというのだろうか。アイは答えが出ずに、机に額を預けた。


「似鳥」

「っ!ま、松岡先輩!お疲れさまです」

「…おう。課題、終わったのか」

「はい、終わりました。松岡先輩…?」


凛は自分の二段ベッドの下に腰かけた。上体を傾けて手と手を握る。今日の合同練習、皐月と似鳥は何か勝負をしていた。

皐月はいつもと変わらぬ様子で、似鳥は少し緊張した面持ちで勝負に入った。


「…もしかしてお前の幼馴染みって、皐月か」

「はい。小学5年生の時に離れたので、そう呼べるか分かりませんが…」

「……。あと、なんで今日タイムを競っていたんだ」


松岡先輩は嘘をつくのが下手だ、とアイは心中で思った。そんな思いを少しも見せずに、アイはぽつりぽつりと話し始めた。


「勝負したら、何かが変わると思ったんです…。僕と皐月は、ずっと一緒に居てこれからもいいライバルだ、って。でも……」

「………………」

「でも……それは僕の思い込みだったんです。今日でまた分かりました。きっと、皐月は――松岡先輩じゃなきゃダメなんです」

「なんで、俺が…」

「……僕ではダメです。力量不足なんですよ」


かたり、アイは立ち上がって扉へ近づく。凛はそれを遮るようにぼそりと呟いた。

俺には…そんな資格はねえよ。

アイは振り向いて一言だけ残して立ち去った。


「松岡先輩なら、きっと――」


皐月をあの頃に戻してくれると信じてますから。

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