水槽の中の母子草
以前、スイミングクラブを通う道で端に生えてる雑草を見て、山田先生は指を指した。
『皐月、あの花の名前を知ってる?』
『知りません』
『ハハコグサ、っていうの。七草粥の一つよ。漢字で書くと母と子に草、母子草なの』
『…………それで、なんですか』
早くプールに入りたかった。1日前に会っただけの人に失礼だと思うが、そんな雑草の話はどうでもよかった。
早く……アイを忘れたかったんだ。
『私の話に飽きたんでしょ』
『っ!そ、んなこと……』
『わかりやすいね、皐月ちゃんは。よっぽど泳ぐことが好きなんだね〜。さっすが天才小学生』
『……やめてください。ぼくは、そんなこと…思ってませんから』
『そう?私はすごいと思うよ。よくやるね、皐月君。だからさ、私が言いたいのはー……えっと、ハハコグサの花言葉を言いたかったのよ!』
ようやく思い出した山田先生は、ハハコグサを指しながら花言葉を言った。
花言葉は――なんだったかな。
「あ、ハハコグサ」
「皐月、行くぞ。……何見てんだよ」
「ハハコグサ。七草粥に使われる草の一つだってさ」
「…………だからなんだよ」
怪訝そうにうかがう凛を見て、僕はなんとなくだけど山田先生の言いたいことが分かった。
「ハハコグサの花言葉は――切実な想い」
「っ……!な、んだよそれ。俺を馬鹿にしてんのかよ!」
凛に胸ぐらを掴まれたけど、僕は何も言わずにただ見つめていた。
やがて罰の悪そうな顔をして凛は手を放した。わりい、と小さく消え入りそうな声で謝った凛は僕を置いて歩き出した。
『……ぼくを馬鹿にしてるんですか、先生も』
『そんなこと全然ないもん。ハハコグサの別の意味はね、やさしい人よ』
皐月は優しい子ね。
山田先生の温かい手が僕の頭を撫でて、僕は堰を切ったようにぼたぼたと涙を流した。
凛は、優しいよ。僕みたいなクラゲにも笑顔を向けてくれたんだから。でも凛のハハコグサは、枯れてしまった。
僕のせい、で。
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