▼ 風がやさしく私を撫でた
これは、最終選別よりも前の出来事。
弟子になってすぐの頃、師範はよく任務にでていて、私は一人帰りを待ちながら師範に言われた第一の課題、身体能力の向上に努めていた。
「おめェは雑魚すぎんだよォ」
血管を浮きだたせながらそう言っていた顔があまりに怖く、私は多分一生忘れない。
素人を鍛えるなんて、きっとかなりストレスだったに違いない…
いままでは日常生活にしか使ったことのない筋肉達。
突然の筋力強化修行に、細胞という細胞が悲鳴を上げた。
最初の一週間なんて熱が出た。
そして筋肉痛。そして心身共にストレスで嘔吐。
さらに、夜になればかならず悪夢を見た。
平穏な日常。妹と手を繋いで町にむかえば、太陽にさらされた妹が朽ちていく
『タスケテ オネエチャン』
「…っあ!」
決まってその瞬間、目を覚ます。
まだ薄暗い景色を見て、ため息を吐く。
明日も訓練だ。体を休めないといけない。
「あ。」
「あァ?」
なかなか寝付けず、縁側に立ち月を眺めていると、不死川さんが歩いていた。
きっと任務帰りだ。
「なにしてんだてめェ」
睨みつける師範。その目から、視線を外す。
あの日から、人の視線が怖かった。
「なかなか寝付けなくて…って、手?!」
視線を外しながら答えると、その先には師範の傷だらけの腕。
「ちょ、ケガしてるじゃないですか!」
慌てて師範の手に触れると、「触んなァ」とブチ切れるれる。
そんな師範を「いいから!」と言って部屋に引きずりこむ。
舌打ちが聞こえるが無視だ無視。
「師範にこんな怪我を負わせる鬼がいるなんて…」
消毒をしながら呟けば、舌打ちと共に「自分でやった」と返ってきた。
自分で?自傷行為か??
疑問を浮かべた顔をするも、それ以上なにも言わなかったので、私も黙って手当を続けた。
「…お前は」
「へ!?」
「お前は、鬼殺隊に入った事、自殺行為だとはおもわねぇのかよォ。」
いつも堂々としてる師範にしては珍しく、目線を下に向けての言葉だった。
「うーん……まぁ、たぶん、鬼殺隊に入らないで、何も知らず生きていた方が、長生きは出来るかもしれません。私、弱いですし。」
「…。」
「でも、私は生き残った。だから家族の分も生きなければいけません。」
「ならなおさら、」
「はい。でも、死んでるように生きたくないんです。死んでるように生きるのは、生きてると言いませんから。」
なにも知らず、ただただ家族が死んだ悲しみを背負い生きていくのは、あまりにも恐ろしかった。
ならば、この命果てようとも。それまでは復讐のため生きたかった。
「…でもお前の妹は、お前に普通の日常ってやつを送ってもらいたかったと思うぜ。」
今日の不死川さんは、よく喋る。
珍しい姿に驚きながらも、私は質問に答えた。
「はい。たぶん妹はそう言います。でも、私にはそう言ってくれる妹がもう居ませんから。」
「…。」
「でも、もしそうですねぇ。妹が生きていても、多分、私は鬼殺隊にはいります。だって…」
「妹が平和に暮らせるように、鬼を倒さなきゃ。」
私の言葉に目を見開いた師範に、そんな意外なこと言ったかな。と困惑するも、こんな弱いくせになにを言ってんだと驚かれているに違いないと納得する。
「そうか…そうかよォ」
「わ!え!?」
その日、私は初めて師範に殴る以外で触れられた。
まるで慈悲を与えるように、まるで下の子を思う兄のように、私の頭に、手を置いたのだ。
「…さっさと寝ろよォ」
「え、わ、はい、え?」
その言葉に顔を上げる頃にはもう、師範の姿はなかった。
師範が出て行った障子の隙間から、夜風が吹いた。
冷たくて、暖かい。やさしい風だった。
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