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晩夏、海の夜は寒い。真っ白なワンピース一枚ならなおさら。隣を見ると極卒くんがいて、虚ろな目でぼそぼそと譫言を呟いている。繋がれた手には痛いほどに力が込められており、見てみると、実際、彼の鋭い爪が私の皮膚に刺さり出血していた。
「極卒くん」
呼ぶと、彼はこちらを向いた。そして歪んだ笑みを浮かべた。目の焦点が合っていない。合っていない、というよりも、私がたくさん見えていて、そのすべてを順々に見ているようにも見えた。
「行こう、行こうか、名前」
一歩、極卒くんは踏み出た。砂が鳴いた。私も一歩踏み出る。また砂が鳴いた。一歩、一歩、一歩。砂は鳴くのをやめた。冷たい海水が足にあたる。一歩、一歩、一歩、一歩、一歩。腰まで海に浸かったとき、極卒くんがまたこちらを向いた。
「愛してたよ、愛してた」
初めての愛の囁き。
「私も」
貼り付けられたような、愛。
「名前」
一度だけ囁いて、彼はまた、一歩、一歩、踏み出し始めた。譫言を、呟きながら。
「兄さん、兄さん、兄さん……」
どうせあなたは死ねない。私を追っては来ない。私の代わりを見つけて、また、繰り返す。……勝手に独りで生きてろよ。
どぼん。
120821