小説 | ナノ

 深い深い海の底で私は伊佐奈さんに抱き締められていた。暖かくて、優しくて、少し不器用。ずっとこのままでいたい、そう思った矢先、突然私たちの周りから水がひいた。私は急な水圧の変化に耐えきれず床に倒れ伏した。そんな私を踏みつけふらふらとどこかへ歩き出した伊佐奈さんの顔には、もうヘルメットは無かった。それでもと必死に彼を呼び止めようとしたが、呼吸の出来ない私からは潰れたかすれ声がかすかに出るだけだった。

「い、が……な、で……」

行かないで、置いて行かないで。



「おい」

 ごつん、と頭を強く殴られて目が覚めた。痛みに悶えながらも上体を起こし隣を見ると、伊佐奈さんが眉間に皺を寄せながら私を見ていた。息、出来てる……。伊佐奈さんの顔は、いつも通り……。

「よかった……」

ほっと安心して彼の胸にもたれかかった。本当に、よかった。あのまま置いて行かれて、死んでしまうかと思った。

「もう、置いて、行かないでください、ね」

「…………安心しろ。人間に戻っても、俺はお前を手離さない」

察してくれたのか、彼はそう言って頭を優しく撫でてくれた。突然のらしくない言動に驚いて顔をあげ彼を見つめると、ぐにっと頬をつねられた。

「いひゃ」

「明日も忙しい。早く寝ろ」

伊佐奈さんはそう言って大きなベッドに潜り込んだ。私はありがとう、と小さく呟き、彼のまだ呪いがかかっている左の頬にキスをした。すると腰に手を回されベッドの中に引きずり込まれてもう一度早く寝ろと言われた。

120520 リュウグウノツカイ
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