「いやだ」
いつものように水風呂に浸かっていた遙は、突然の渚の言葉に、それはもう不機嫌そうに返した。
とにかく凛のあの態度が気になる渚と真琴は、鮫柄に行ってもう一度凛と話したがったのだ。 真琴にとって凛は強力な恋のライバルになるわけだが、だからといって友人をこき下ろせるほどの非道にもなれない。
「行こうよー! 鮫柄学園!」
「凛に会いたくないの? ……名前は会いたいみたいだけど」
「ま、マコちゃん、まだ怒ってる……? なんだかイジワル……」
「まあまあ、気にしない気にしない」
凛ばかり見ている名前へ、真琴なりのちょっとしたかわいい仕返しだ。 渚がしょうがないとでも言うように笑い、名前の頭を撫でる。 ヒートアップして頬擦りまではじめると流石に遙と真琴に止められた。
「……名前だって昨日会ったんだろ」
「そう……だけど……」
──会いたいものは会いたい! 正直な本音は言わなかったが、無意識に、遙が弱いおねだり顔をして見る。 困ったように眉を寄せ、もともとトロンとしている瞳にじわりと涙を浮かばせて遙にすがるのだ。 遙はタオルで顔を隠して、名前を見ないようにした。
お願い、駄目だ、と兄妹が押し問答を続ける中、やはり救世主足り得るのは真琴である。
「……あのさ、行けば今度こそ泳げるかもよ? 鮫柄って確か、屋内プールがあったはずだし」
まさに鶴の一声とでも言おうか。 泳げるとなると遙は目を輝かせ、 名前もよくぞ言ってくれたと真琴に笑顔を向ける。 まったく顔に出やすい兄妹だ。
・・・
電車と言うものは何故だか眠気を誘う、不規則な揺れがそれを増長させるのだろうか。
真琴は船を漕ぎ、渚はすでに気持ち良さそうに遙の肩で寝ている。 名前もパシパシと目をしばたたかせて、ずいぶんと眠そうだ。
「名前、寝てればいいだろ」
「んーん、起きてるよ」
「いいから」
「わあっ」
気持ち良く眠る渚を真琴の方へ追いやり、代わりに左肩へ名前を凭れさせる。 渚を気にした名前だが、相変わらず気持ち良さそうに寝ていたので杞憂だったようだ。
夕陽に照らされた兄の顔を見ていると、名前はやけに安心した。 ピッタリと距離を詰めて甘えるように腕を絡めれば、遙も当然のようにそれを受け入れる。 昔から他人を怖がっていた名前を遙と真琴とで随分と甘やかしてきたものだから、名前はすっかりと甘え癖がついてしまった。
遙と真琴の二人は、昔から他人を怖がるきらいのあった名前を大事に囲って守っていたのだが、その囲いから引っ張り出したのは他でもない、凛だった。
今でこそクールな印象の遙も、最初の頃は凛に突っかかってばかりだったのだ。 その行動は子供染みた独占欲からだったので、今ではもうほとんど成りを潜めたのだけれど。
「……ごめんね」
遙は何事かと名前へ視線を向ける。 目を閉じているので、もうほとんど夢心地で話しているのだろう。
「凛に会ってたの、黙ってて……」
「……別に、気にしてない」
「二人は……喧嘩、したの?」
「…………」
遙はなんと答えればいいのかわからなかった。 名前は無言を肯定と取る。
「あのね……名前は、またみんな仲良しで……一緒に居れたらなって、思うよ……」
「…………名前」
「……仲直り、できるといいね」
寝息を立てはじめた名前に、聞こえていないことは承知で「そうだな」と、心からの返事をした。
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