「……名前、起きろよ」

「ん……凛……?」

「悪い、遅れた」


今の時刻は19時半を少し過ぎた頃だろうか。
もう日もとっぷりと暮れている。

凛を待つ間眠ってしまっていた名前はまだ寝惚けているようで、舌足らずに凛の名を呼ぶ。
しかし、ぶっきらぼうに髪を撫でる手の感触で完全に目を覚ましたのか、勢いよくベンチを立った。


「り……、凛っ……!」

「ああ」


名前の顔は喜びに綻ぶが、それと反比例しているかのように凛は浮かばない表情をしている。

名前は何事かと思い、聞いてみた。


「なにかあったの?」

「……いや? 何もねえよ」

「そ……そう。 なんだか元気がないように見えたから……、くしゅんっ」


凛は着ていたジャージを脱ぐと、名前の肩へかけた。


「あ……ありがとう」

「…………」


どうしたものか、やはり凛の様子はおかしい。
凛の方から呼び出したと言うことは何か用事があるのだろうが、こう無言でいられると名前もどうしたらよいかわからなかった。


「ね……ねえっ、凛! 」

「あ?」

「えと……凛も岩鳶に入ったんでしょ? 遙たちとは会ったの?」

「……アイツ等の話はすんな」

「えっ? あの……ええと……。あっ、そういえば聞いた? 小学生のとき凛たちが通ってたスイミングクラブが取りこわ……し、に……」

「名前」

「ご、ごめん……」


極力明るく努めて話しかけたのだが、どうやら逆効果の話題だったらしい。

隣に座る凛の横顔は不機嫌そのもので、名前はとうとうなにも言うことができず俯く。

なぜ凛は遙達のことを聞くと冷たい声色になり、クラブの話題を避けるのか。
とても聞きたかったが、どうもそんな雰囲気ではない。

気まずい沈黙が続いた。


「……」

「…………」

「…………ちっ」

「うっ」

「……なにビビってんだよ……」

「だ、だって……凛、さっきからなんか怖いよ……」

「ああ!?」

「そ、そういうのだってばぁ! せ、折角久しぶりに会ってるのに……!」

「ああ……。くそっ……悪かったよ。泣くなって……」

「……泣いてないもん」


しっかりと泣いている。

凛は手をさ迷わせて肩を抱くべきか、抱かないべきかで珍しくおろおろしていた。
いい加減にしつこいが、二人はお互いに片思いだと思っている。

しかしここは泣いている好きな女を包容力で包んで男を魅せるべきと、凛は決心した(泣いている理由が凛であることはこの際置いておく)。


「ひゃあぁ!! 凛?!」


凛は耳まで真っ赤にして、語弊はあるがそれこそ体で名前を慰める。
名前の吐息が首筋に当たり、今のこの場に相応しくない感情が湧いてきそうだ。

名前は背中に感じる凛の手の温かさが移ったかのように、全身がカアッと熱くなるのを感じる。

いくら凛を好きだと言ってもこんなことをされてしまってはどうすればいいのかわからない。
抱き付き返したいが、まだ交際もしていないし、遙の許可も得ていないのに……!

混乱する頭で名前は誰かの視線を感じた。
……七瀬家の近所に住む、田村のお婆ちゃんである。


「たっ……田村さんが見てる……! 凛、離して!」

「お、お前が泣き止まねえから……!」

「や、止んだ! 泣き止んだよ! だから離れてぇ!」


二人とも、息も絶え絶えだ。

名前は何故かベンチで正座になり、凛は名前から目をそらしている。
双方顔は真っ赤であった。
田村さんはいつの間にかその場を去っている。後はお若いもの同士、ということだろうか。

凛は静かに深呼吸をすると、口を開いた。


「……俺、……鮫柄学園に入った」


名前は膝を抱えて座り直す。


「……そっか、じゃあ……学校じゃ会えないんだね……」

「ああ。 ……寮だし、たまにしか会えねえ」

「……そっかぁ」

「また、誘う。会える日はぜってえ連絡する!」

「……うん。 えへへ……嬉しい!」


控えめに笑った名前を見て、ここでやっと凛は微笑みを見せた。

名前は今日凛と会ったことは、遙たちには秘密にしておこうと思った。
本当は昔のようにみんなで遊んだりもしたかったが、凛は遙たちに関係する話題は避けていたようだし、遙は遙でまた同じだ。
無理強いするのも難だろう。


「……時間、平気か」

「あっ! ……ごめん、もう帰らなきゃ……」

「送って、」

「いかなくていいよ。あ、江ちゃんによろしくね」

「………………ああ」


名前がジャージを返そうとすると「海風は体に悪い」と言い、再び名前に押し返した。
変なところで紳士的だ。

次に会えるのはいつだろうか。
会う口実も貰ったから、今度は自分から誘ってみるのもいいかもしれないと、名前は帰路の中考える。

火照る頬を抑え凛へ振り向くと、小さく手を振られたので名前もそれを返す。
凛の匂いのするジャージをしっかり着ると、抱き締められているようでむず痒くなった。

しかし、今日の邂逅を素直に喜ぶには気にかかる点が多すぎるのだ。
名前は複雑な思いで足を動かすのであった。







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