※男主
「明智殿」
如何なされた。 厳しさを含んだ声色でそう問いかけるは、明智光秀と同盟を組む小国の、苗字の者で、名前と言った。 実を言えば、彼と明智光秀は所謂恋仲である。 しかし名前はそういった関係が甚だ遺憾であるらしく、明智光秀その人を見る目は暗く冷たい。好きでもない人間、しかも同性に無理矢理抱かれたのだから仕方はない。名前は関係を持ってしまったら、責任を取らなくてはならないと考えるなんとも堅い男だった。
苗字はかつて織田信長率いる明智軍に滅ぼされた国であった。 長い年月をかけて復興を進め、やっともとの活気溢れる国になったのだ。 名前は、織田の旗をよく覚えていた。 幼少の頃に受けた蹂躙を、名前はよく覚えていた。
「いつか、必ず織田を滅ぼして見せます」 燃え盛る城の中、父に固く誓った言葉である。
そんな彼がなぜ明智と同盟を組んだのか。 答えはただ一つ。利害の一致、しかないであろう。 名前は織田を滅ぼしてやりたいと思っていたし、明智光秀もまた、織田信長を物言わぬ屍としたかった。 名前は織田軍である明智を忘れ、明智光秀と同盟を組んだ。が、やはり憎いものは憎い。 名前は織田信長が死んだ後、この男も殺してやろうと企てていた。
「いいえ、どうもしませんよ。ただ名前の瞳があまりにも、素敵でしたので」
明智光秀は名前を愛していた。 長く言葉を交わしたことなど無い。 体を重ねることはあれど、心が重なることは無い。 明智光秀は、つかず離れていくその関係がなんとなく心地好いと感じていた。 いくら離れていっても、名前が消えることはない。名前はずっと明智光秀と一緒にいるものだと、彼は信じきっていた。 名前の憎しみを込めた瞳が、彼はいっとう好きである。
「主君殺し、本当に後悔はないのですね」
「血沸き肉躍るとはこのことでしょう。ああ…はやく、はやく信長公と殺し合いたい…!」
「……下衆が…」
ぽつり、呟いた名前の言葉は狂ったように笑う光秀には届かなかった。 ひとしきり笑い満足したのか、光秀は二対の鎌をゆっくりとした動作で持ち、織田信長のいる本能寺へ目を向ける。
「敵は、本能寺にあり!…ですね。くっ、くっくくく…」
名前は後ろに控えていた明智軍、そして自軍に合図を出す。 数人が隊列から離れ、一足早く本能寺へ走る。予定通り、火を放ちにいくのだ。 じめじめとした空気ではあるが、充分火は回るだろう。 残りの者たちも、本能寺に朱が灯るのを確認して、襲撃する。
本能寺はまだ静寂を保っていた。
「(…織田も、これでおしまいか)」
本能寺にいる織田の勢力は百程度だと記憶している。 1を守るための百を蹴散らすために、一万。
ずいぶんとあっけないものだと思う。 まるで昔の苗字のように。 名前はうっそりとほくそ笑んだ。
「(まるで)」
本当に昔の苗字そのものだった。何一つ、寸分違わず。 当時、織田、明智軍に滅ぼされた日の苗字の主は自国よりも少し離れた城で、同じように少人数で泊まっていた。 そして同じように早朝、突然の奇襲に苗字は対処することができず、当主、名前の父は懐を引き裂いた。
「よう見やれ名前。貴様にもいずれ訪れるやも知れぬ未来ぞ」
「(この男はどうせもう覚えていまい)」
「名前」
「…はい」
「そろそろ信長公も出てきた頃合いでしょう。行きますよ」
「承知」
この男の目の前で、私が織田信長を殺してやったらどんなに絶望することだろうか。 怒り狂い、理性を失い、さながら獣のように私を殺し尽くすのだろうか。
名前は、ふとそう考えた。 この男は不気味に弧を描く唇を、強く噛み締めるだろうか。 明智光秀の絶望を想像すれば名前の心は少し晴れた。
「まるで、あの時と同じですねぇ」
20120602
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