沢田家長女 61
×××
「待ちなよ」
名前を抱え立ち去ろうとする男の行手を雲雀が阻む。
当然のように名前を抱き上げている男に、雲雀は胸の中がざらつくような不快感と苛立ちを募らせていた。
中学校という世界は酷く狭く閉じている。そのため、雲雀は自然と少女の交友関係の殆どを把握していた。けれど、突然現れた黒衣の男だけは、雲雀は一度も見たことがない。おそらく並盛にもいない人間だろう。
「彼女はうちの生徒だ。そのまま攫われては困る」
剣呑な光を放つ鈍色が男を射抜き、張り詰めた殺気がひりひりと肌を焼いた。
ーー風紀のため。
あまりにももっともらしい理由に、男はくつ、と喉の奥で笑う。それが取り繕ったものだと知っているからだ。
男が雲雀へと向き直ると、腕から緩く波打つ淡い髪が一筋こぼれ落ちた。腕の中に収まる身体は力なくぐったりとし、美しい顔は血の気が引いたように酷く青褪めている。
「沢田を返せ」
雲雀すら死体だと錯覚するほどの生命力の低下。
急がねば手遅れになるという焦りから、雲雀の声は低く、眼差しは鋭さを増していく。
「勘違いしているようだけど、君も来るんだよ」
もしも彼女を失えば、雲雀恭弥は永遠に、芽吹いた執着(こい)心を持て余し続けることになる。
たった一条の可能性を手繰るための、その辛く苦しい一生を、男は知っている。
「やり方は知ってるはずだ」
「……君、何者?」
男の口が吊り上がり、雲雀の警戒も跳ね上がった。
名前は今、生命エネルギーの急激な消費に伴う肉体、生体機能の省力化。仮死状態である。失った分を補うか、もしくは分け与えることができれば彼女は再び目覚めるだろう。
そのための方法があることを、その手段を雲雀が持っていることを、男は知っている。
「っ……」
悠然と歩み寄る男に、雲雀の頬に汗が伝った。
両手が塞がっているのに隙一つない。それでも奪われた宝物を取り返そうと血が騒めく。
「警戒する必要はないよ」
ーー僕は、雲雀恭弥(きみ)だ。
雲雀にだけ聞こえるよう囁かれたそれに目を見開いた。
「この子を助けるのは、僕(きみ)でなければならない」
黒いフードの中から覗く白い顔は、確かに雲雀と同じ貌をしていた。
20240104
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