沢田家長女 60
◇
「抵抗しないんだね」
「無駄ですから」
「本当に?」
笑みさえ浮かべる雲雀に、彼女は眉をひそめ訝しむ。
彼女にはもう、鼓動する臓器はない。あるのは冷たい金属と、内側で燃え続ける黒い炎だけ。
真六弔花(どうりょう)達は自分達がまだ生きている人間だと信じているが、その内側はもう人間とは程遠い。開匣を繰り返すたび、植え付けられた小我(ほんのう)が少しずつ容量を増していることに気が付いていない。
「今の君がどうあれ、その肉体(ベース)は沢田名前だ。内臓(うちがわ)こそ匣に置き換わってはいるけれど、肉体が得た記憶は刻まれたまま。その匣だって、本来は肉体と魂(余分なモノ)を焼却するための炉心だろう?」
「……否定はしません」
彼女が小さく首肯する。
白蘭の本当の目的は七天(トゥリニセッテ)という個体(カミ)の完成だ。
人格は本質(たましい)をひな形として積み重ねた経験(せいしん)と器である肉体(ほんのう)が揃ってカタチを成す。そして魂と肉体を繋ぐのは精神である。
最果てにある真体(にくたい)と魂である七色の炎(トゥリニセッテ)に、沢田名前という知性(せいしん)を与えること。
即ちーー■■そのものに成り代わるということ。
その重力に少女(ヒト)の精神が耐えられるかはともかくとして。
「ならーーいや、だからこそ、試す価値はある」
雲雀の指が胸に空いた孔の縁をなぞる。無防備に曝け出された孔は無機質に光を反射させている。
……この時を、待っていた。
未来の雲雀に残ったリングはCランクが二つにDランクが一つ。そして、その機能を失い抜け殻となった、この時代本来の雲のボンゴレリング。
雲雀はそれら全てを装着し、四つ同時に炎を灯した。
「っ……!」
周囲が朝焼けの薄色に染まる。澄んだ紫炎はあまりに眩く、いっそ白んで見えた。
雲雀の炎は指先に灯るや否や、全身を包みこむほどに大きく燃え盛った。
「……雲雀恭弥は自殺でもするつもりかい。自己満足だけで価値のない行動だ」
見ていた白蘭が小首を傾げた。
どのパラレルワールドでも、雲雀恭弥の動きは読めない。しかし、その行動原理はどの世界でも一貫している。ならばきっと、この行動も沢田名前のためである。
それを白蘭が伝えたところで、彼女はきっと理解しないだろうけれど。
指輪から出る炎はあくまでも指輪という礼装を通し、可視化された精気(オド)だ。現実の燃焼とは異なり、それそのものに熱は持たない。
それが、実体を帯びるほどの密度で放出されている。
精製度の低い指輪では到底耐えられないほどの波動は、おそらくは一度の開匣が限界だろう。それすら間に合うかも怪しい。
雲雀が放出する波動は、それほどに肉体の耐久を度外視した、生命そのものを薪とするかのような勢いだった。
まるで、初めから彼女に炎を注ぐためだけのようでーー
「……まずいな」
限界まで炎を放出する雲雀に、白蘭は小さく呟いた。
白蘭に直感能力はない。けれど、あらゆるパラレルワールドの記憶を手に入れた結果、その状況から未来を予測するための高い演算能力を手に入れている。
その頭脳が、失敗を予測したのだ。
「悪いけど、止めさせてもら……っ」
地を蹴るはずの足が不自然に止まる。
「お前の相手はオレだ。ヒバリさんの邪魔は、させない!」
白蘭が倒した、立ち上がれないはずの綱吉が、その足にしがみついていた。
「沢田、綱吉っ……!」
そして地面に這ったままのその背に、陽炎のように揺らめく青年の手が触れる。綱吉が自身の殻を破った時に差し出された、苦しい試練を越えて得た温もりに似た炎。
……ああ、あたたかい。
炎を触媒とした霊体に近いそれは、本来体温も感触もないが、綱吉は確かに暖かさを感じた。
『ーーそうだ。よく言った、デーチモ』
「ホログラム、ではなさそうだね」
「白蘭が横の時間軸を覗けるように、彼らもまた縦の時間軸を覗けるのです」
『さぁ、立て。お前の枷を外してやろう』
美しい琥珀を輝かせた男が厳かに告げる。
己のグローブに灯した炎を綱吉の手に重ねると、宙にボンゴレの紋章が浮かび上がる。そうして次の瞬間には、大空を含むボンゴレリングが原形(オリジナル)へと姿を変えていた。
『マーレの小僧に一泡吹かせてこい』
綱吉に似た男はそう声を和らげると、炎が吹き消されるようにしてその姿を消した。
「その行為に報いはないですよ」
彼女は思わず忠告をしていた。いくら膨大な雲雀の炎を注入したところで所有者(マスター)は変更されない。大空同様に夜の属性を帯びるものは、対応した炎でなければ作動しないからだ。
「だろうね」
常識すら歪ませる男の気迫。
己自身の生命すらチップとする狂気に、彼女に流れる血の名残りは警鐘を鳴らしていた。
「無駄死にするつもりですか。こんなことをするために貴方はーー」
「確かに、これに意味はないよ。だが、無意味ではない。……沢田(きみ)が、起きてくれればだけど」
「ーーは、」
紫の炎が大きく揺れる。
出血と急激な生命エネルギーの消費で青ざめた肌の男が、嫣然と微笑んだ。
「君ならきっと、受け止められる」
……いや。受け止めて欲しい、僕の願望か。
宝物に触れるような柔らかさで神秘を帯びた指輪を押し当てると、微かに金属がぶつかる音が立つ。
接触を感知したのだろう、雲雀を包み辺りを薄色に染め上げていた炎は途端に凝集し、注ぐべき場所へと指向性を持つ。
直後、炎が破裂した。
「ーー!!!」
どくんと、とうに失われた音が彼女の内に響く。
心臓の位置に揃えるように造られた注入口と相まって、その脈動はまさに、抜き取られた心臓を取り戻したようだった。
遮断も出来ず、無遠慮に注がれていく炎を受け止めるしかできない。内側から燃やされる苦痛に悲鳴が響き渡る。
「ーーぁ、ああっ……あああああ!!!」
使用している生命エネルギーが強制的に切り替わる。適応しようと再起動を始めた肉体(ボディ)に合わせ、精神も強制的に調整(アップデート)される。
周囲を飾る銀細工に無数のひびが入り割れていくほどの、小さな穴にダムの水を無理矢理流し込むのと変わらない、あまりにも高い炎圧の負荷だった。
「ぁ……わたし、わたしは……イヤ……白蘭のたメに……助けて、カら……わたシ、は……」
「ずっと君を探していた。死んだと聞いても、報告書を何度確認しても、それでも生きてる可能性を探し続けてた」
はじまりはただ、失恋(彼女の死)を認められなかっただけだった。
その手を取ることも、気付くこともできなかった悔恨は執着になり、彼を縛る未練へと変わった。そうして、黄金の視線に取り憑かれたように雲雀は十年を過ごしてきた。
音のない鐘を叩き続けるようなその生は、雲雀が自他共に嫌い合う仲の男すら見るに見かねるものだったのだろう。いつだったか、まともな振りは辛いだろうとこぼされたことを彼は覚えている。
「わ、たし……やだ、だレか……だれか助けて、たすケ、たすけてーー」
ーーひばり、くん。
少女の唇が震える。
伸ばされた手を掴んだ雲雀は、祈るように白い手のひらへと唇を落とした。
「遅くなってごめん。助けられなくてごめん。もっと早くに伝えていればよかったと、ずっと後悔してた。それでも、やっと……やっと、迎えに来れた」
たとえ、その肉体がとっくに死んでいたとしても。
たとえ、その精神が変質し反転していたとしても。
たとえ、その魂が改竄され怪物へと成り果てても。
「君が好きだ。ずっと、好きなんだ」
「ーー、」
衝撃に、周囲の音が消えた。
星の色に燃える瞳に見下ろされ、彼女は思わず息を飲む。
暗示の呪い(コード)が解けていく。霜が溶けるように露わになるのは、不要なものとして廃棄されたはずの感情(バグ)だ。それが胸のうちでひびのように広がっていく。
「ぁ……わた、しは」
「愛してるーー名前」
祈るような告白だった。
切実に響く男の声が、最後の一押しだった。
苦しみの果てに絞り出したような、押し殺し堪え続けた感情がこぼれる。
自分はもう沢田名前ではないという情報(コード)と、それを己の名前と認識している矛盾があり得ないほどの負荷をかける。
その負荷に耐えきれず、彼女の内側で、玻璃が割れるような音が響いた。
20231231
20240112 加筆
- 79 -
[*前] | [次#]
ページ:
[戻る]