沢田家長女 58
◇
ごぽりと泡立った音が立つ。
次いで聞こえたのは、トンファーが落ちる乾いた金属音。
その上にぱたぱたと垂れる血は、赤い花が散るようだった。
「ぁーー」
昏く底光りする黄金が驚愕に見開く。
未来の雲雀の腹を貫いた槍を手にしたまま、彼女が口を開く。何かを言いかけて失敗したように、吐息だけがこぼれた。
「っ……ひどいかお、」
嗄れた男の声に彼女の唇は怯えるように震えた。まるで悪事がバレた優等生の有様だ。刺された本人である未来の雲雀は、傷の痛みや苦しさよりも懐かしさが勝った。かつて、何度かそんな顔を見てきたし、させられた。今は遠く懐かしい思い出のひと欠片。
同じものが彼女の中にもあると知れたことは僥倖だった。また一つ、推測が確信へと変わる。
ずるりと槍が肉を滑る。地面に膝をついた未来の雲雀を見て揺れた蜜色が動揺を見せたのは、その一瞬だけだった。
すぐに黄金に輝くと、
「そこでおとなしくしていて≠ュださい」
静かに、けれど確かな強制力をもって囁いた。
「茶番は終わりだ。始めようか、これはどの白蘭(ぼく)も成したことのない、世界を作り変える大偉業だ!」
白蘭の宣言の直後、全てのリングとおしゃぶりは炎を灯し、その輝きを増した。所有者の波動の強弱、覚悟の強さに拘らず、その全てが最高純度の七色の陽炎になる。
「そんな、どうして……!」
燃え盛るおしゃぶりを抱きしめたユニが呆然と白蘭を見上げた。こんな展開、場面をユニは知らない。
炎の放出を抑えようと力を使ってもまるで手応えがなかった。ユニの呼び掛けにすら応じないそれは、ノックする部屋を間違えているような気味の悪さだ。
「私は許可をしていません! 白蘭、あなた彼らにいったい何をーー」
「ユニの同意はもういらないんだよ」
あれほど熱心に欲しがっていた白蘭とは別人かと錯覚するほどの冷淡さで、白蘭はユニを一瞥した。
「さぁ、特等席に連れて行ってくれ。僕のクイーン」
「はい……白蘭(マスター)」
答えた彼女が白蘭へと振り向く。血に濡れた槍を手に硬質なブーツの音を鳴らした彼女へ、過去の雲雀が呻いた。
「っ、さわ、だ」
「……無理に動かすと、暗示で済まなくなります」
それがどうしたと、彼女から受けた強力な束縛に意地の力だけで抗う。
無理矢理動かした身体は嫌な音を立てて軋んでいる。おそらく骨の何本か、筋のいくつかは壊れているだろう。
それすら気に留めない雲雀を彼女は理解できなかった。
「ーー」
見下ろす昏い眼差しに憐憫が滲む。どうしてと、声は音にならず唇が微かにわなないた。
どうして無駄に終わることを理解できないのか。
どうして沢田名前(わたし)にこだわるのか。
その底知れぬ執着心が恐ろしい。けれど同時に、星の色に燃える瞳は、どうしようもなく彼女を惹きつけてやまなかった。
「行く、な……!」
槍を携える細い腕に、手を伸ばした雲雀の指がかかる。
そのまま引き寄せようとして、けれど、掴んだと思った彼女の手は、まるで雲に触れたかのようにすり抜けた。
「っ……!」
確かに触れた筈だった。
掴むことなく空を掻いた手は行き場を失い、勢いのまま地面に突く。もう一度立ち上がるには肉体の消耗が激しすぎた。
彼女はひとつ息を吐くと、今度こそ白蘭へと足を向けた。
その、瞬間。
ーーごめんね、ありがとう。
通り過ぎる風に乗り、甘やかな声が、雲雀の耳朶をすり抜けた。
20231219
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