中短編 | ナノ

カムラの仕立て屋の男 03



「お邪魔するよ」

そう声を上げながら、ウツシは表に面した入口とは反対に位置する、小さな戸から入り込んだ。
蝋燭の灯りが揺らめく。壁には細い手の影が浮かび上がり、蛇のように揺れ動く。その手を持つ男の顔はすでに屍蝋のような色をしていた。

「ナマエ、まだ休んでなかったのかい?」

呆れたように声をかけるが、男はウツシを見向きもしない。
日々の帳簿、在庫管理、遠方の取引先との文通。弟子達の育成の他にも、男は存外やらなければならない事が多かった。
邪魔をしないようウツシが背後から覗き込むと、白い陸奥紙には異国の文字がつらつらと連なっている。異国の狩猟技術を学ぶ上で、ウツシもある程度は読めるように学んでいる。が、自ら書くとなると自信はない。
見えた単語から察するに、お礼状のようだった。言葉を探しているのか、時々止まりながらもその筆先の動きは滑らかだ。
蝋燭に照らされた細い指が握る、毛筆とは違う先が捩れ尖った異国の筆。薄桃色の透明な硝子で出来たそれは、かつてウツシが西の国へ赴いた際に購入した贈り物だった。
やがて、筆先が紙の下まで届いた。紙の上には美しい文様のような筆跡が規則正しく並んでいる。
男が封筒に畳んだそれを入れ、上から蝋を垂らす様をじっと見る。
熱で溶けた蝋がとろりと滴り、その上に桜の押し花を数枚散らす。最後に重厚な印璽を押し当て、数秒待つ。そっとそれを外せば、蝋には祓え桜の紋章が刻まれている。今日はこれで終わりのようだが、取引相手によっては更に金や銀の粉を擦り付けている。
この一連の作業を眺めることが、ウツシは楽しみでもあった。

「今度、お前もやってみる?」

そう言いながら、男がウツシを振り仰ぐ。それにウツシはゆるりと首を振った。作業を見ることも好きではあるが、結局のところは細い灯りに照らされた、男の真剣な表情を見ることが好きなのだ。
そう、と。聞いたわりに興味なさげな返事もいつもの事だ。
万が一手元が狂っても問題ないことを確認したウツシは、脇の下から腹へと手を回した。ともすれば里娘よりも薄い身体は、少しでも力を間違えれば折れそうなほど。ウツシと男の身長はあまり変わらない。けれど体格差のせいか、男は酷く華奢に見えた。それに加えて、男の淡い色素と桜の精の如き美貌が男の儚さに拍車を掛ける。
後はもう片付けが残るのみとなったが、後ろを振り向くでもなく、手も止めない男にウツシはもう一度呼びかけた。

「ナマエ」
「聞こえてるよ」
「聞こえているなら返事をしなさい」

教官みたいなこと言うなよ、というぼやきに、ウツシはニッコリと笑みを浮かべ、俺教官だからねと返した。

「キミの弟子達が俺の愛弟子に泣きついたんだ。師匠がまた夜更かし止めないってね」
「あいつらか」

匙に残り、乾いた蝋をこそげ取り、漆の小皿へと落とす手が止まる。男の脳裏に、愉快な性格をした弟子二人が浮かぶ。
彼らの師である男は、虚弱と言って良いほどに生まれつき身体が弱い。それも、夜更かしも過ぎれば熱を出すほどに。男はもう流石にそれくらいでは倒れないと言い張るが。
だからこうして、決められた消灯時間を過ぎることが続くと男が強く出れない人物、ウツシに救援要請が届けられる。

「無理やり寝かしつけられるのと、自分で寝るの。どっちがいい?」
「あはは! なんだ、僕が選べるのか?」

儚い見た目にそぐわない、陽気な笑みを浮かべる。楽しそうにけらけらと笑う男へ、甘えるように右手を合わせの中へと忍ばせる。薄い襦袢に覆われた脇腹を指先でなぞり上げると、ウツシの腕の中にすっぽりと収まる身体はくすぐったさに身動いだ。

「……言い方を変えようか。三日くらい寝込むのと、もう少し夜更かしして明日ゆっくり起きるの、どっちがいい?」

閉じ込めるように、回した腕の力を強めた。密着した身体はより互いの体温を教え合う。防具があるとは言え、露出も多く高い体温のウツシには少し冷たい男の着物が心地良い。
ウツシの左手がしっかりと整えられた衿元を乱そうと這い回る。
胡乱な目つきで振り仰いだ男に、熱を帯びた湿った眼差しが注がれた。

「お前、そっちが目的か」

依頼された内容は、男を布団に寝かす事。要は、布団の中で大人しくさせればいいのだ。
ふわりと抱き上げると、懐に忍ばせた香が匂い立つ。男は諦めたようにウツシの首へと腕を回した。



20210818

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