短編 | ナノ

沢田家長女 53


 ◆

 雲雀が少女の前に立つと、震えた睫毛がゆっくりと開かれる。茫洋とさまよう視線は雲雀を探しているのだろう。その身体にはやはり、どこにも行かせないように鎖が巻きついていた。
「あなた……どこかで会ったかしら」
「君とは、初めてかな」
 夢と同じ状況。
 異なるのは、雲雀の手に一丁の拳銃があることだけ。
 神秘の薄れた時代に神殺しの概念など残っている筈もなく、また鋳造などできる技もない。雲雀が持つのはただの拳銃だ。装填された弾も、凝縮されたノン・トゥリニセッテが込められた一発の特殊弾だけ。
 それでも、雲雀であれば可能だと未来の綱吉は確信を持っていた。
 ーー雲雀さんだけが、燃えなかったんです。
「ねえ、どうして彼を殺してほしいの」
 どうして、とぼんやりと復唱する。思考に制限をかけられているのだろう、うつろな表情はどこか微睡みに揺蕩うようであり、泥濘に沈み諦めたようでもあった。
「殺してあげて。そう言ったのは君だろ」
 そうだったかもしれない、と独りごちた彼女は億劫そうに口を開く。
「……愛してるって、言ったから」
 心の底から溢れて止まらない憎悪のままに、彼女はありとあらゆるモノを燃やしてきた。あと少しでこの惑星の表層を焼き切るという段階で、足を壊され、目を奪われた。
 気がつけば未完成の檻に閉じ込められていたから、逃げ出そうとしたのだ。
 男が現れたのは、その時だった。
 夜(ケモノ)に堕ちた身であれど、無差別に燃やし尽くさない程度の理性を取り戻していた彼女が見せた僅かな隙。
 殺しに来たのかと思えば、男は彼女へとただ一言だけ告げたのだ。
 ーーずっと愛してる。
 それは、記憶も精神も燃えた彼女が、唯一燃やさずに持ち続けている記憶だった。
 ひどく優しい声だった。
 戯言と聞き流すには、あまりにも心臓が騒めいた。もう動かない、薪として燃えるだけの伽藍洞のはずのそこが。
 数多の怨嗟に耳を塞がれていたからこそ一際異質に聞こえた、優しさと喜びに満ちた幸福な声。
 眼を奪われた後も炎を通じて世界を視ることで少しずつ世界の燃焼、焼却を進めていた彼女は、その一瞬だけ意識を逸らされた。
 抑止力の後押しを受けた人間の抵抗により削られつつあった余力が思考に回される。
 彼女の意識に空白が生じた隙に男は瞬く間に鎖へと転じ、災禍の炎神と化した彼女の膂力を抑えてみせた。
 とは言え、太古の神性が起動している彼女にとっては簡単に振り解くことができる程度の拘束だ。
 それでも彼女がその場から動くことをしなかったのは、ただ何を言われたのか理解ができなかったから。男が最後に笑って告げた、その一言だけが彼女を留めていた。
 引き千切ることもできた。そうすれば男は鎖のまま砕け、死んでしまうだろう。
 絡みついたまま眠りについてしまった男をそのままにしたのはどうしてだったのか。どうして燃やすことを僅かでも躊躇したのか。どうして男の言葉が耳の奥で繰り返されるのか。今も彼女は答えが出せずにいる。
「燃やすための薪は直に無くなる。始め(もやし)たのは沢田名前(わたし)なのだから、閉じるのも■■■■(わたし)の役目。だから、その前に殺して」
「それが、君の最後の願い?」
 黒い炎に覆われた天が隠れていく。
 割れた薄氷が逆回しで戻っていくかのように、少しずつ結界は完成していた。
「ええ。彼を解放してあげてほしいの」
 懐かしい少女の声で彼女が言う。
 人間としてのカタチを長く手放し、汲み上げた人類の悪意により燃え盛る黒い炎に晒され続けた男が今も生きている保証はない。
 それでも最後まで付き合わせるのは申し訳ないと、あくまでも男を慮る体裁の彼女は、本当に解放されたいのは自分なのだと気が付かない。
「そうーー悪いけど、君の願いは叶えられそうにないな」
 鈍いとは、思っていた。まさか気が付いていなかったとは思わなかったが。
 彼女が思うよりも前から、雲雀はずっと彼女を想っている。それはきっと、この未来の雲雀も同じだ。
「その男は殺さない。君も殺さない。僕が、死なせない」
 雲雀はそう言うと、彼女のすぐ目の前へと近付いた。
 手を伸ばせば触れる距離。雲雀は彼女の頬を撫でると、その手からふわりと紫の炎が広がる。装着していた雲のボンゴレリングに炎が灯ったのだ。
「必ず助ける。だから、信じて待ってて」
 雲雀は銃を落としそう言うと、白煙の中へと消えていった。


20231121

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