短編 | ナノ

沢田家長女 47


 ◇

 ぽん、という軽い音と共に白い煙に包まれる。視界は暗転し、転落にも似た浮遊感の後に軽い衝撃が訪れた。
 白い煙は瞬く間に風に攫われて散っていく。
 すると、目の前には見慣れた、けれどとても懐かしい並盛中学校の屋上が広がっていた。
 空はどこまでも遠く、青く澄み渡っている。
 そして隣には、雲雀がいる。
「戻って、きた……?」
「そうらしい」
 雲雀と名前が暫し見つめ合う。
 時間が止まったかのような無音が続き、ややあってから校庭から聞こえる野球の音に現実に戻ったのだと実感が湧く。
 徐に立ち上がった名前を「帰るの?」と問いながら雲雀が見上げた。
 直後、当たり前かと雲雀は思い直す。元々は姉弟と母親の三人暮らしが、今や沢田家は大所帯だ。心配事も多いのだろう。
 雲雀が予想した通り、小さく頷いた彼女の髪が風にあおられふわりと舞う。
 下から見上げる朝日色の髪は、秋の青空によく映えていた。雲雀には、その輝きはまるで真昼の天に流れる星のように思えた。
「家が少し心配で……雲雀君は?」
「見回りがあるからまだいる」
「そう、気をつけてね」
 今日くらい休んでいいのではと名前は思ったが、小さく欠伸をして仰向けに寝転んだ雲雀は、むしろ並中にいる方が休まるようにも見えた。
 ……そうだ。
「返事は、ちゃんと考えたから」
 また明日、といつものように声をかけて逃げるように屋上を出る。
 最後に振り向くと、ひらりと一度だけ手が振られた。
 あ、と思わず声が出た。振り返されたのは、初めてのことだ。
 それを遮るように、ガチャリと音を立てて扉が閉まる。
 風の音も消え、しんとした静けさが名前の身体を包んだ。

 やがて一歩二本と歩き出した名前は、不意に壁に手を突くと、胸をかきむしるように押さえずるずると壁を伝いしゃがみ込んだ。
 未来にいた時は平静を装えたが、もう、立つことさえ限界だった。
「はっ、はっ……っ、」
 凍りついたように冷えていく心臓から走る痛みが全身を駆け巡る。明滅する視界は少しずつ夜に染まり、恐怖や絶望が靴音を鳴らして近付いてくる。それらは崩れた足元からひたひたと這い上がってくるようだった。

「やっぱり。無理してたんじゃないか」
 暗闇に一人落ちかけた名前に合わせ、雲雀が膝を突く。
 蹲る名前には、後ろで静かに開いた扉の音さえ聞こえていなかった。すぐ傍に雲雀が来たことすら見えていない。
「ぁ……」
 それでも暗く澱んだ視界の隅に黒い影が落ちたことはわかったのか、殆ど無意識のうちに顔を上げた。
「だ、れ……?」
 暗い世界で星が瞬いたような気がした途端、唇に何かを押し当てられたことに驚いた名前は口を閉ざした。
「くち、ひらいて」
 掠れた声に命じられるままに唇を開けると、熱くぬめるものが入り込んでくる。
 口内を這い回るそれは酷く甘く身体を満たしていく。頭に響く水音は脳すら犯すようで、粘膜がこすれる感覚はぞわぞわと血が騒いで落ち着かないが、冷え切った心臓が暖められる感覚は心地よいと思った。
 ……もっと、ほしい。
 名前はまるでお腹を空かせた子猫のように夢中でそれに舌を這わせ、柔く吸った。
 こくこくと喉を動かすうちに、心臓の痛みは波のように引いていく。きっと目を開ければ視界も戻っているだろう。
 それでも、名前は目を閉じて熱を受け入れ続けた。
 分け与えられた熱で暖まった身体は、火照り疼きはじめている。擦れる粘膜は少しずつ快感を拾い、名前の神経を刺激した。
 その変化を察したのか口内から引き抜かれた熱を取り戻そうと、肉体(ほんのう)が甘露を求めて首を伸ばし、名前は誘うようにぬるぬると唇を合わせた。
 背筋にピリピリと電流が走り腹の底が疼く。隙間からこぼれる息すら甘い。
 強請る名前に「これ以上はダメ」と艶のある低い声が囁く。
 その声に、うっすらと目が開かれる。よく知っている声だったのだ。
 明かりを取り戻した視界はぼやけたままではあったが、それでも一つだけはっきりと見えたものがあった。
 濡れたような鈍色。名前が一番好きな色。
 夜空に浮かぶ一等星のような目が、熱を帯びて名前を射抜くように見下ろしていた。
「ひば、り……くん……?」
 二人の間を銀色の糸が伝う。それを赤い舌がぺろりと舐め切ると、
「ねぇ……嫌だった?=v
 薄く笑みを浮かべて、そう名前に問いかけた。
 時間で言えば昨晩だが、体感で言えば一月ほど前、同じことを聞かれた時の記憶が蘇る。次いで、未来での告白も。
「返事、考えてくれたんだよね」
 名前の鼓動がにわかに速度を増した。赤い顔を雲雀から隠すように、彼の腕を引いてその肩に頭を寄せた。
 それが甘えていると思ったのか、雲雀は髪を梳くように撫でると「どうしたの」と囁く。艶のある低い声はどこまでも甘く優しくて、ぞくぞくと背筋が痺れ名前は思わず肩を震わせた。
「あまり、可愛いことされると困るな。……もっと好きになる」
 雲雀があまりにもさらりと言うから、名前は羞恥に染まる顔を見られたくなかったのに、常より早く刻まれる鼓動はよりうるさくなるばかりだった。
「あの、ね。わたしも、好き」
 雲雀の肩に顎を乗せたまま、名前はややあってからそう小さく息を吐いた。耳元でかすかに息を呑む音がする。
 ……そうだ。ずっと好きだったんだわ。
 言葉にしたら、急にすとんと胸に落ちたような気さえした。
 お見舞いに行った時も。送る名目で桜並木を歩いた時も。一緒に花火を見上げた時も。
 一度そうだと気付いたら、もう止まらなかった。心の奥底に積み重なった好きが溢れてこぼれ落ちていく。
「好きなの。イヤなんかじゃない、あの時も、今みたいのも! ぜんぶ、ぜんぶ雲雀君だからーー」
 呼吸が浅くなる。焦りから声は上擦り、半ば喘ぐように名前は叫んでいた。
「わ、わたしっ……ふ、ぅ……んっ」
 ーー雲雀君が好き。
 言い終わる前に塞がれたせいで、言葉は最後まで音にならなかった。

 ×××

「ツナ、あいつらは下手に刺激しないで放っておくのが一番拗れなくて済むぞ。隠し子監禁疑惑(どうなってたか)思い出せ」
 雲雀のバイクに乗せてもらい、自宅まで戻った名前を迎えたのは綱吉とリボーンだった。待っていたらしく、玄関先で仲良く並んでいる。
「ヒバリさん!?……に、姉さん!」
「ほらな、やっぱり一緒だったろ」
「た、ただいまぁ……」
 力なく言う名前は、縋り付くように雲雀の腰へと腕を回したままだ。腰が抜けたにしてはあからさまだ。一瞬よぎる可能性にリボーンは暫し逡巡した後、雲雀を見上げ口を開いた。
「ヒバリ、思ってたより早い帰りだな」
「まぁね」
 雲雀は短く答えると、後ろでしがみつく名前を振り向いた。道中、密着する身体と小刻みに震える腕の擽ったさが気になって仕方なかったが、振り向くとあまりに必死な顔の彼女が面白くてつい黙っていたのだ。
「名前、降りれそうかい」
「む、むり……動けない」
「姉さんなんかダメージ入ってない!?」
「人って筋肉痛で動けなくなるのね」
 しみじみと言う名前に、リボーンは得心がいった。未来の戦いでは自力でハイパーモードになった綱吉同様、名前も随分と無理をしていたことをリボーンも知っている。
「途中あんまり泣き言ばかり言うから少し休ませたけど、時間が経つごとに悪化してね。泊まらせることも考えたが……こういう信用は大事だろう、赤ん坊」
「よく分かってるじゃねーか」
 バイクを止めた雲雀は名前を横抱きにすると「家上がるよ」と声をかけ玄関へと歩いていく。少女の身体をふわりと持ち上げたスマートさに、綱吉は思わず感嘆の声をこぼしていた。自分よりも背の高い名前を、綱吉はまだ抱えられない。
 ……いいなぁ、ああいうの。
 好きな子をお姫様抱っこ、いつかやってみたいとぼんやりと綱吉は思う。買い物へ出てしまった母が見たら、黄色い声を上げそうだ。
「ツナ、ドア開けてやれ」
「あっ、うん」
 リボーンの言葉に、綱吉は慌てて「ドア開けます!」とその後ろに続いた。



20231005

- 65 -


[*前] | [次#]
ページ:



[戻る]

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -