短編 | ナノ

沢田家長女 34


 ◇

 ある日、いつもの通りに修行を終え力尽きたように寝落ちた名前は、急に雲雀から起こされ訪問着を着付けられた。黒から紫、そして燃えるような橙へとぼかし染められた中に飛雲文が浮かぶ、夜明けの空にも似た美しい訪問着だ。
 下ろした髪も結い上げられ、そのまま雲雀の手で薄く紅を塗られたところで、名前はようやく目を覚ました。
 鏡の中、濡れた飴のように甘く艶を放つ唇が目に入る。
 名前と鉢合わせないようにしている可能性はあるが、雲雀の周囲で女性の構成員は見ていない。少なくとも、この財団本部にいる主要な人物は雲雀と草壁と部下数名、それもかつて風紀委員だった者たちばかりだ。いったい誰の着物で用意されていた化粧道具なのかと緊張が走る。
 途端に強張った顔に、考えていることなどお見通しとでも言うように、雲雀はさらりと「選んだのは僕だけど、君のだよ」と囁いた。

 ×××

 井草の爽やかな香りと緑茶の芳香に包まれる広間に鹿威しの音が響く。白い玉石が眩しい庭園は修学旅行で見た離宮や寺院を想起させ、ここが日の届かない地下深くであることを忘れさせる。
 訪問着をまとい雲雀に手を引かれた名前は、未来の笹川やラル・ミルチ、リボーンと顔を合わせていた。
 雲雀からは彼らも隣り合った施設にいると聞いてはいたが、実際に会うのはこれが初めてである。昼夜を問わない雲雀との修行が厳しかったのだ。
「会いたかったぞ。元気だったか、名前」
「うん。リボーンは体調は平気? 変な電波で具合悪いって草壁君から聞いてるよ」
「良くはねぇが、まぁなんとか大丈夫だ」
 リボーンの小さな口の端が上がる。見慣れたニヒルな笑みに、名前も口元を綻ばせた。
「名前、お前ははじめて会うだろうから紹介するが、こっちは見ての通り未来の了平だ」
「極限に久しぶりだな! その着物よく似合っているぞ。口紅も、まるで大人のお前を見ているようだ」
 まぁ、実物は見たことはないのだが。豪快にそう笑う笹川に、壁際で控える草壁ががっくりと崩れた。
 青年へと成長しても変わらない、明るく朗らかな雰囲気に彼の少年らしさを感じていた名前は、ふと首を傾げた。
 かつての彼であれば名前の服装など気にも留めなかっただろう。まして、女子の化粧の有無など気付きもしなかったはずだ。
「それから、隣に座ってるのはラル・ミルチ」
 リボーンが黒々とした目を隣で静かに座る女へと向けた。
 ややかさついた紺色の髪を垂らし、赤みを帯びた目は力強く名前を見返してくる。着物の上からでも分かるしなやかな肉体は無駄一つない美しい獣のようで、名前はまるで女戦士のようだと思った。
「今のツナの家庭教師をしている。こいつも未来の人間だぞ」
 リボーンからの補足に、名前はぱっと顔を明るくさせた。
 過去から来た皆それぞれ、未来の戦い方、敵の力に対抗できるよう修行をしていることは名前も雲雀から聞いていた。そして綱吉はリボーンではなく、けれどリボーンと同じ存在から教えを受けていることも。
「まぁ、あなたが! 弟のこと助けてくださった上に修行まで、ありがとうございます」
 日に透かした飴玉にも似た甘い蜜色が柔らかに細められる。結い上げた髪は朝日で染めたように美しく、横髪が頭を下げる動きに合わせてきらきらと細やかに煌めいた。
「……礼を言われるようなことでもない」
 その隣に座る、墨を流したような黒一色に身を包んだ男とはあまりにも対照的な姿だった。血と暗闇、戦いの中でこそ輝く男の昏く研ぎ澄まされた刃にも似た美しさとは正反対の、目が眩みそうな神聖さ。大空の波動が流れる者特有の絶対的な存在感(カリスマ)。
 なるほど、と。ラル・ミルチは皆が口を揃えて人形か妖精のよう、と例えた意味を唐突に理解する。ボンゴレの血統が神との混血とも巫覡(シャーマン)の末裔とも噂される理由の一端を見た気がした。本部の城に今も遺された初代の肖像画も大層美しい姿をしていたという。
「今のはどういたしましてってことだな」
「リボーン!」
「それで、名前は戦えそうか?」
 リボーンが雲雀に聞く。予想外の話に笹川とラルは瞠目した。彼らの世界の沢田名前は、彼らと交わることのない一般人であり、戦うことのない少女のままなのだ。
「待て、沢田の姉は笹川京子や三浦ハルのような一般人ではないのか?」
「未来に来るまではそうだったが……だからこそ、一番伸び代があるんだ」
「リボーン! それでは素人と変わらんではないか。オレ達はヒバリが個人的に囲っ……保護していたと聞いていた」
「オレもだ! 七年前からお前が隠していたと信じていたぞ! だからーー」「心外だな」
 何かを言いかけた笹川の言葉を遮るように雲雀は声を上げた。
「誘拐犯じゃないんだ、僕はちゃんと沢田の意思を尊重するよ」
 そうなのか? と六つの目が名前に問いかけてくる。
「まぁ、雲雀君はいつも聞いてくれはするかな……?」
 雲雀が言う沢田はこの℃ゥ分のことではない。
 そして同様に、名前が言った雲雀君≠烽ワた、未来の雲雀のことではなかった。
「で、ヒバリ。実際どうなんだ?」
 今、名前を見ている張本人からの評価はなんだろうと横に座る雲雀を降り仰ぐと、鈍色の視線と一瞬かち合った。
 気のせいかと思うほどの瞬きの間に逸らされた目は手元の茶器へと向く。
「さーね」
「さぁって……おい、どういうことだ。分かるように言え」
「少なくとも、無制御の核兵器ではなくなったよ」
 無制御の核兵器という例えにリボーンは暴走状態を指していると察した。少なくともある程度のコントロールは出来るようになったと見ていいようだ。
 この世界の誰も知らない名前の力は、未来での戦いにおいてジョーカーになり得る。
「あの……ラルさん。雲雀君が弟の相手をしてる間、私のことを見てもらえませんか。そこで作戦に参加できそうか、あなたに判断してほしい」
 挑戦的に微笑んだ名前の柔らかな蜜色の目に鋭い光が宿る。
 それは綱吉が楽しめそうだと判断した時の雲雀にも似ていて、リボーンは思わず口角を上げていた。過去にいた時でもそうだったが、雲雀と名前は時折互いに似た仕草をすることがあった。
 ……夫婦が似てくるのと同じだな。
「だが、お前は……」
 名前を一般人にしたのはラルの上司でもあった家光の命令によるものだ。戸惑いを隠せない彼女に、雲雀は最後に最強のお墨付きを与えた。
「どうやら、僕から一本取るだけでは不安らしくてね」
「……そこまで言うのであれば、いいだろう。その代わり、全力で来い。オレも全力で行く」


20230926

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