短編 | ナノ

沢田家長女 32


 ◇

 シャマルに送られながら途中で京子達と合流し、名前は無事に帰宅していた。
 日課となっている家事の手伝いをするも、どこか気もそぞろな様子に気付いた母親からきっと疲れているのだろうと早々に部屋で休むよう言われたが、宿題も読書も何も手につかなかった。
 ……雲雀君、大丈夫かな。
 漠然とした不安はさざなみのように心を波立たせる。
 そもそも始まりからして違和感があったのだ。雲雀への喧嘩だと思い込んでいたが、その蛮行には端から順番にカードを捲り確認をする作業じみた冷淡さがあった。
 まるで、誰かを探しているような。
「……お願い、無事でいて」
 祈るように手を組む。朝に別れて以降、雲雀からの連絡はない。最初に雲雀から報告をされた以上、律儀な彼は終われば結果も教えてくれる。
 さらに、綱吉達も帰ってきていなかった。名前は帰宅してから、綱吉達も雲雀を追うように廃墟になった黒曜センターへと向かった事を知ったのだ。
 机に置いた携帯は未だ光らない。
 その時、名前の耳にリビングから自分を呼ぶ母親の声が届いた。何か手伝いかと、部屋を出てリビングへと降りると何やら身支度をしている母親がいる。
「なぁに、ママ」
「あら名前ちゃん、まだお着替えしてなかったの?」
 エプロンを椅子にかけた母親が、制服のままでいる名前に首を傾げた。
「まぁいいわ、リボーン君から連絡あってね、ツナ達怪我して今病院にいるらしいのよ。ママ行ってくるからお留守番お願いできる?」
「わ、私も行く!」

 ×××

 通された病室のベッドで横たわる綱吉に、名前と奈々は二人揃って顔を青ざめさせたが、聞けば怪我ではなく疲労が原因で眠っているだけという。
 安堵した奈々は少しだけ怒りながら着替えをリボーンに渡すと、綱吉の頭をひと撫でし、くるりと向き直った。
「じゃあ名前ちゃん、ランボ君イーピンちゃん残してきちゃったから、ママ先に帰るわね。リボーン君も後お願いね」
「任せろママン」
「そうそう、名前ちゃん。お友達が起きてから帰ってきて大丈夫だからね」
 帰宅してから着替えも手につかなかった娘の原因がようやくわかった奈々は、悪戯っぽく笑って病室を後にした。
 リボーンからこっそり、かっこいいお友達と聞いたことも遠因である。
「ツナのことなら心配すんな。オレもついてるからな。……それより、行きたいところがあるんじゃねーのか?」
 名前は僅かに目を瞠ると、失敗したような笑顔を浮かべた。窓から見える真っ暗な空は薄く雲がかかり、星一つ見えない。
「……リボーン、少しだけ聞いてもらえる?」
 目を伏せたまま名前が言う。リボーンはそれに、無言で返した。
「強いことはね、私も知ってるの。二年と少しだけど、ずっと見てきたもの」
 それが雲雀のことを言っているのだと、リボーンもすぐに分かった。
「彼も強い自負があるし、私みたいな彼に守られてる立場での余計な心配はかえって侮辱することになるでしょう?……でもね、本当はいつも不安なの」
 大きな怪我をしてしまわないか。
 もしも帰ってこなかったら。
 小さな怪我はもう諦めた。喧嘩をする以上は仕方のないことでもある。
 けれど時折、今日のように漠然とした不安が胸を満たしては、心の中に澱のように積もるのだ。
「私が弱いせいね。心の底では信じられていないんだわ」
 信じているからこそ、不安になることもある。
 雲雀への理解が高いせいだろうとリボーンは思った。名前は必要以上にあれこれ考えて深みにはまってしまっている。
「……それを、そのままヒバリに伝えてみろ」
 駆け引きなんかは大人のすることであり、若いうちはもっと無謀で、直情的でいて良いのだ。
「きっと怒るわ」
「いや、ヒバリはむしろ喜ぶだろう。なんだかんだ言って、一番感情の機微に聡いからな。お前の中で出せなかった答えが分かるかもしれねーぞ」

 ×××

 雲雀が目を開けると、見上げた白い天井は薄闇に青く染まっていた。ぼう、と天井を見上げたまま、しばらくして腕に感じる布団とは異なる重みがあることに気付く。探るように茫洋とした視線をそこへ向けると、雲雀は驚きのあまり身を起こした。
 シーツに落ちる絹のような髪を一筋掬い取る。薄青い夜の色に染められてなお分かる、柔らかにうねる亜麻色。
「沢田、どうして……」
 関係者以外は立ち入れないと聞いていた。
 それからしばし考えて、彼女の弟も入院しているのだと思い至った。雲雀が最後に確認した人間は全員彼女の弟と繋がる人物だ。
 ……なんだ、
 指先で髪を梳くように弄ると、感じた微かな落胆に遅れて気付いた。
「……ぁ」
 それを深追いする前に、雲雀が見つめていた閉ざされた瞼がふるりと震えた。月明かりで影を落とす長い睫毛が、蝶の羽ばたきのようにゆっくりと上下している。その奥に光る濡れた蜜色が持ち上げられた髪に気付き、茫洋と視線を辿らせた。
 半身を起こした雲雀を、寝起きのぼんやりとした顔が見上げる。美しく整った顔は気が抜けていても決して間抜けには見えず、感情が抜け落ちたようでむしろより作り物めいて見えた。
 そこに、ふわりと喜色が広がる。
「よかった、目が覚めたのね」
「弟の付き添いかい。こんな夜更けまで疲れただろう」
 名残り惜しむように、雲雀は亜麻色に指を滑らせてから手を離した。
「うーん、弟はね。リボーンが見ててくれてるから大丈夫だったかな」
 歯切れの悪い、質問とは少しずれた回答が返ってくる。
「……もしかして、僕の心配でもしてたの? 余計なお世話だよ」
「だって……!」
 言い募る名前の目に、ぼろぼろの状態で眠る雲雀の姿が重なった。雲雀が与える見慣れたそれは平気でも、雲雀がそうなっている姿を見ることに言い知れぬ恐怖を覚えたのだ。
「沢田、」「あ、あれ?」
 雲雀がぎょっと目を瞠るのと同時に、名前の目からぱたぱたと涙がこぼれ落ちた。
 堰き止めていたものが溢れるようなそれは中々止まらない。
「ごめっ、泣くつもりじゃ……わ、わたし帰るね……!」
 名前が飛び退くように立ち上がった瞬間、雲雀は咄嗟にその手を掴んでいた。
「待って」「きゃっ……!」
 気疲れでもしていたのだろう、少し手を引けば名前は簡単にバランスを崩し雲雀の上に倒れ込んだ。
 止まらない涙と怪我人の上に乗り上げた動揺に言葉にならない声で抵抗する名前の頬に片手を滑らせた雲雀は、未だ止まらない涙へと唇を這わせた。
 舌に広がる味に、雲雀に笑みが浮かぶ。
「ひっ……!?」驚愕か静止か、中途半端に止まった声が上擦る。そのあまりにも悲鳴じみた声に、雲雀は顔を寄せたまま「隣、弟がいるんじゃないのかい」と囁いた。
 時折牽制するかのように雲雀を刺激する、擽ったい気配があるのだ。見られてはいないが、様子は探られている。
「雲雀君、何考えてるのよ……!」
 ひそめた声も、雲雀を睨む濡れた目も、雲雀が掴んだままの震える手も、全て困惑に満ちている。
「やっぱり、さっきの訂正するよ」
 ……泣き止んでる。
 驚くと涙は止まるのか、と雲雀は一人感心した。
「僕が怪我をすることへの心配は要らないけど、それで沢田が僕のことで頭をいっぱいにしてるのは、すごく気分が良い」
 窓から曙光の一筋が差し込む。雲雀の目には、朝焼けを映す亜麻色は輝きを増し、蜜色はきらきらと星のように瞬いたように見えた。

20230924

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