短編 | ナノ

モルガン成り代わり promise of wizard


×まほやく
愛を知らない魔法使いと愛に死ぬ魔女




 ついに大いなる厄災が落ちてきた。
 地上に迫る天体は数多の災いを振り撒きながら、魔力と勢いを増している。
 賢者の魔法使い達と彼らを率いた賢者は最前線でこれを食い止め、再び遥かな天へと押し返さなければならない。
 極限まで高まった厄災の力は凄まじく、昼夜問わず輝くその星は近付くにつれて地上の法則すらも書き換えた。常に魔法で防壁を展開しなければ途端に圧し潰されてしまうほどの重力と魔力濃度に、魔法使い達は賢者を、そして他の魔法使いを守るべく力を合わせて結界を張り巡らせた。
 鮮やかな空に開いた大きな空白が、地上を飲み込もうと口を開けているようだ。ただ空に浮かぶだけの魔力と石の塊のはずなのに、まるで意思があるかのようだった。
「ダメだ、ーーー!」

 ◇

 硬く無機質な匂いに包まれた。
 フィガロが気付いた時にはもう、ふいに糸を切られた風船のように、魔法は制御を失い解けていた。
 精霊の神秘を留めるほどの力もなく、強大な力を秘めたままに放り出され、行き場を失った魔力の残滓がきらきらと空に輝く。
 極北を閉ざす吹雪のように。
 楽園に舞う花弁のように。
 その有様に、心は硬く冷たくなる己を幻視した。
 研ぎ澄まされた優れた魔力は、時に瞬きほどの未来を予知する。その言葉通りフィガロの肌は灰色く、瞬く間にひび割れていく。その姿をぼんやりと俯瞰するように見下ろすフィガロは、呆けたように砕ける瞬間を見届けていた。
 ……嗚呼、石になるのか。
薄ぼんやりと見えていた死期が急速に近づいて己を飲み込んだのを、フィガロは確かに感じていた。
「くそっ、こんな時に……!」
 身体中から砂塵へ転じた肉体が舞い上がる。終わりを悟った意識は機能を失いつつある身体とは正反対に熱を持ち、常に抱いていた諦念の底から湧き上がる激情だけで、無機物へと変わりゆく肉体を動かそうと魔力を生み出した。
 かつてこれほどまでに心を激らせたことがあるかというくらい、フィガロは底の抜けた器と例えられた身体で魔力を回す。砕けた砂が巻き戻る。ひととき蘇った肉体がまた解ける。治癒と崩壊、再生と消滅を繰り返しながらフィガロの身体はゆっくりと終わりに向かっていた。
「フィガロ先生……!」
「ミチル、待ちなさい!」
 良く言えば落ち着いている、悪く言えば熱量の無いフィガロが見せるかつてないその姿に、後ろに庇ったルチル達は驚愕に目を見開いた。死を前にして極限にまで研ぎ澄まされた感覚でその動揺を読み取ったフィガロはつい歯を食いしばる。
 凍りついたように自由の効かない感覚に、どれほど満たそうとも魔力の抜けていく感覚に、いつもの己が諦めようと囁いた。もういいじゃないか、と。
 けれど、それをダメだと振り切って、砕けた指先に力を込めて魔力を回す。
 崩壊の兆しごと、己の中で循環させるために。
「フィガロ先生! 私の魔力も使ってください!」
 強力な魔法の気配を感じ取ったルチルは喉が裂けるほどに声を上げ手を伸ばす。その後ろからミスラが慌ててミチルを抱き上げ、ルチル引き止めた。叫んでいても柔らかく耳触りの良いルチルの声と、ミスラの焦りを含んだ声が遠くなる。やはりミスラは判断が早い。それでいいと、フィガロは小さく笑った。
 フィガロは身体の再生を諦めた。生きて戦力として数えることはもうできないと割り切っている。だからその代わり、自身の肉体を最期まで有効的に利用しようと考えを切り替えた。
 蓄えた魔力はおよそ二千年。フィガロのマナ石はさぞかし強い魔力を秘めることだろう。
 周囲で渦を巻く死と再生の呪いにより破裂したマナ石は、魔力を溢れさせながら繰り返される終わりと始まりによって増殖していく。
 その爆発力は、魔法科学で生み出された星を焼く炎に引けを取らない筈だ。
 それこそ、災厄を押し返せるほどのエネルギーを生むほどに。
 おそらくその考えにミスラは気付いたのだ。
 スノウとホワイトはまだ健在だ。オズも、ミスラも、ヴィヴィアンもいる。大事なものを全部手放してきたフィガロと異なり、まだ守るものがある彼らが残っている。だから、安心して砕け散ることができた。
 人も魔法使いも、そういう守るものがある奴は強いのだということをフィガロはこの一年で学んだのだ。
「後始末は頼むよ、  」
 身体が割れる。崩壊の痛みが全身を焼く中、フィガロは確かに安堵していた。
 ーーこれでやっと、解放されると。

 フィガロの制御を離れた魔力の渦が収縮と拡張を繰り返しーーけれど、それは風に攫われる前に色とりどりの花弁となり、フィガロの身体へと還ってきた。
 満たすより抜ける方が早かった魔力が着実に充填されていく。穴が開いたはずの底が閉じている。乾いた土に雨が染み込むように、フィガロの身体をどこか懐かしい冷たい魔力が満たしていく。凍てつく氷のような、冷たく暗い海のような、けれどフィガロによく馴染んで落ち着く魔力。それはまるでマナエリアにいるような錯覚さえ起こした。
 全身を巡る魔力が無機質な石へと変わりつつあったフィガロの肉体を再生し、砕ける肉体と剥がれ始めた魂を引き留める。
「あなたは、私が死なせない」
「ヴィヴィアン……?」
 涼やかな声が響きフィガロの周囲から音が消えた。強い光を宿した氷の眼差しに鼓動が跳ねる。
 これと同じものを、かつて、何度も見たような気がした。
 例えば、アーサーを守るオズに。
 例えば、ミチルを宿したチレッタに。
 例えば、かつてのファウストに。
 例えばーー吹雪の中を一人ぼっちでいた、誰かに。
 ごうごうと、ここではないどこか遠くでうねるような音が記憶を叩く。吹雪く音の奥にある何かを思い出しそうになって、そこでようやく、フィガロは記憶操作の違和感に気がついた。記憶を弄る魔法を得意とするフィガロだからこそ気が付いた齟齬。
「お前、オレに何をーー」
 指先に石の冷たさではなく血の温かさが巡る。それでも世界はフィガロが命を世界に捧げた時のまま静けさを湛えていた。
 前回の戦いで賢者の魔法使いとしての資格を失ったはずの旧知の魔女は、手にした身の丈以上の大きな杖を掲げて、
「賢者・モルガンの名において命じますーー」
 その瞬間、まるで鐘の音のように心臓が脈打つ音が聞こえた気がした。
「モル、ガンーー?」
 モルガン。その名を聞いた途端、フィガロは自身の記憶に鍵がかけられていたことを明確に知覚した。がちゃりと錠が外れる音が全身に響く。
「ここで石に成り果てることは許しません。命を賭すことも許しません。重ねて命じます。私のはじめての魔法使い、フィガロ」
「ぁーー」フィガロの脳裏に花のように雪が舞う。
 そうだ、どうして忘れていたのか。吹雪の中たった一人で、けれど夜空に輝く一つ星のように青く燃え盛る炎を宿した彼女のことを。フィガロのはじめての賢者様をーー。
 それは指折り数えてみれば、フィガロが生きた膨大な時間からすれば瞬く間に過ぎ去った記憶だった。天命とまで感じた弟子との日々よりも、今も記憶に焼き付いて離れない、雪崩に消えた故郷の思い出よりも。
 けれど、今まで生きた二千年間のどの場面よりも濃く、尊い一年だった。大切に大切に閉じ込めて、宝箱の奥深くに仕舞い込んでおくはずだった暖かな日々。時折取り出しては僅かに残った幸せの名残を噛み締めて、緩やかな忘却と共に終わらせる筈だったのに。
「あの星を打ち砕きーー」
 紋章すら奪って、思い出の何もかもを無かったこととして。
「ーーどうか、生き延びて」
 それでもまだ、生きろと言うのか。


20230514

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