短編 | ナノ

沢田家長女 02





暴走し雲雀によって破壊されたモスカの中には、小さな箱があるのみで誰もいなかった。
捜索されていた9代目は彼の守護者と共に姿を見せ、生体動力兵器の話は全てザンザスの狂言として終わるはずだった。予め別の媒体に炎を充填し、それを電池として使ったのだろうと。
しかし、ザンザスは嘲るように顔を歪め、家光達を一笑する。
気味の悪い、言い知れぬ悪寒に綱吉の身は震えた。
9代目に続くように、死んだと思われていたスクアーロがディーノと共に現れたことで皆の視線がザンザスから外れる。
途端、すとんとザンザスから表情が抜け落ち、どこか憐れむように綱吉を見た。しかし、どうにも視線が合わない。

「――ツナじゃねぇ、家光を見てんだ。何か、まだ隠してやがる」

挙動不審に辺りを見回す綱吉に、肩に乗ったリボーンがそっと囁いた。反射的に隣の父を見上げようと振り向いた綱吉の顔は、家光を見上げる前に止まった。

「……?」

校庭の奥、木々の陰になった場所で何かが揺らめいた。
陽炎のようなそれは目を凝らしてよく見ると、宙に漂う黒い炎にも、穴を広げようと渦巻く蛇にも見える。
その様子に、綱吉は何故だかここにいない姉を思い出した。
その瞬間、綱吉の超直感は今までにないほど鮮明に死を告げた。逃げる間は無い。この場にいる全員の死。ヴァリアーもボンゴレも関係なく、全員に等しく与えられる。どこまでも鮮明で鮮烈な死の警鐘。
頭が真っ白になった綱吉は思わず遠くにいる9代目を見るが、ザンザスと何事か話して気付いていない様子だった。
リボーンが何事か言っているが理解ができない。
思考が止まり、周囲の声が遠ざかる。と、思ったのも束の間、超直感の警告は止んでいた。
そして甲高い金属音が耳を突き、次いで綱吉の視界がブレる。

気がついた時には轟音と共に地面に押し付けられていた。風が擦り合う低い音と、鈍い破壊音がくぐもって聞こえる。
リボーンの小さな手が守るように綱吉の耳を塞いでいた。
体幹が出来ている山本と爆風に慣れている獄寺も同じように地に伏せ耳と目を閉じている。
遠くで自分の名を叫ぶ父の声が聞こえていたが、綱吉はそれよりも目の前の光景に目を奪われた。
死ぬ気の炎とは違う赤く燃える炎と煙の奥。
黒と橙が混じる不思議な炎が揺らめいている。
その揺れる炎に、ここにいるはずのない姉の姿が過ぎる。遠い昔、忘れてしまった過去に見たことがあるような、淡い懐旧を綱吉は感じた。
炎は意思があるかのように形を変え、縦に重なる三つの輪となり宙に浮かんでいる。
拡大と収縮を繰り返しながら、何かを生み出そうとするように明滅する炎の輪が回転を始めた。


++


呪いあれ。禍あれ。
許さない。赦さない。
燃えてしまえ。滅んでしまえ。
わたしは決して、おまえたちを、ゆるさない――

ずっと歩いていた。
どこに向かっているのか。
今どこにいるのかもわからない。
燃えているのに辺りは黒く、昏く。
怨嗟の炎で焼きながら、引き寄せられるかのように体が勝手に前へと進む。
ただ漠然と、怒りを宿した赤い炎が呼んでいるような気がして。
前へ、前へ。
黒い炎で、道を染めながら。

炎に融けたように揺蕩う名前の意識はどこか他人事のようで、本来居るべき肉体から乖離しているようにさえ思えた。
ふと、立ち止まった体の目の前で黒い炎が渦を巻く。明滅する炎が輪となり、足元に影が差す。底なし沼に落ちたようなぬかるみを感じた名前は足を抜こうとしてバランスを崩す。
そうして、とぷりと音を立てて、黒炎の影へと落ちていって――





茫洋とした視線をさまよわせながら、昏く光る黄金の瞳が綱吉達を捉えた。
白魚のようだった手足は仄青く光る筋が罅のように走り、橙色が混ざった澱んだ炎が灯される。
綱吉の目の前にいる少女は姉の姿をしている。――にも拘わらず、何かが気にかかる。
瞳の色が違うせいか。
――否。
表皮を走る歪な線のせいか。
――否。
炎と呼ぶにはあまりにも寒々しいそれのせいか。
――否。
あれだけ警鐘を鳴らしていた超直感が、何も告げてこないからだ。
まるで死人のように変わり果てた姿に、綱吉は呆然と立ち尽くす。澱んだ黒い炎に目を奪われる。リボーンが、名前へと銃口を向けたことにも気がつかないほどに。
名前の腕が綱吉達がいる方へと伸ばされる。綱吉はそれを、己に向けられたと直感した。名前は綱吉を探している。
再び、黒い炎が渦巻きながら収束していく。
その手を、突然背後から伸びた手が握り込んだ。

「それをさせてしまうと、僕が困るんだ」

艶のある低い声だった。
フードを深く被り影から溶け出すように現れた背の高い青年は、名前を背後から抱きすくめるようにしてその手を掴んだ。黒い炎は青年の腕を舐めるようにして広がり、そのまま掻き消えるように霧散する。
糸が切れた人形のように崩れ落ちた名前を軽々と抱えた青年が綱吉へと近づく。綱吉の前にいるリボーンが照準を合わせた。

「止まれ。それ以上近づけば撃つ」
「リボーン!」
「ツナ、下がってろ」

綱吉とて、黒いフードの青年がただ名前を助けてくれた善意の人ではないことくらいわかっている。リボーンが綱吉を守ろうと小さい体で前に立っていることも知っている。それでもぐったりと横たわる大切な姉を見て、急速に冷えた心から徐々に余裕が剥がれていく。

「僕はまだ君たちの敵じゃない。だが……この質問の答えによっては変わる。
――ボンゴレは、沢田名前の暗殺を認知していたのかい?」
「……なんだと?」

その問いかけに、一番動揺していたのは父である家光だった。
フードの奥で男の鋭利な刃物のような瞳が光る。
綱吉が父に次いで見たのはザンザスだった。炎に包まれる前の、憐憫を浮かべた眼差しが過ぎる。

「どこで話が漏れたか知らねぇが、沢田名前の暗殺依頼は確かにヴァリアーに持ち込まれた。だが、不確定要素とデメリットからヴァリアーは依頼を断っている」

ザンザスの冷え切った赤い瞳が射抜くように9代目を見た。

「残念だったな老いぼれ。てめぇがしくじったおかげで、最後の炎は目覚めた」





名前が認識できるものは、熱と痛みだけとなっていた。
助けを求める声は喉の途中から不自然に空気だけが逃げて音にならない。最初に目を潰されたせいでここが何処かも分からない。
裂かれた肺が痛い。撃ち抜かれた心臓が痛い。表皮は燃えているように熱いのに、身体の芯は深海に沈んだような寒さで凍えている。
それでも、人形のように弄ばれていることだけは分かる。
悼ましいまでの生命力が名前に命を終わらせることをさせてくれない。本当に自分がまだ生きているのかすらも分からなくなるほどの凌辱。
痛覚を伝える神経が焼け落ちても終わらない苦痛の海で溺れる中、時折浮かぶように思い出すのは黒い人影だった。もう誰かも思い出せない、黒い影法師。
もしかしたら黒がよく似合う人だったかもしれない。もしかしたら大切な人だった気もするし、もしかしたらそうでなかったような気もする。ただ陽炎のように揺らめく黒い影。炎を遮る暗雲のような誰か。
考えるだけで痛みに焼かれる。思考が黒い炎に絡め取られていく。
全ての細胞が火に置き換わっていくような熱に狂いそうになる。
吐き出す感情が全て憎悪の炎に書き換わっていくような、

ああ、

――あつい
      いむさ――






そうして気がつけば、名前は暖かな水に沈んでいた。
水温は温く、名前の燃え尽きて冷え切った体を暖かく包んでいる。
そこで初めて、名前は自分が痛み以外のものを感じていることに気がついた。柔らかな手つきで髪を撫で、あやすように背をさすられている。
その手に吸い取られるかのように、痛みは徐々に抜け落ちていく。
母にも似た優しい手は、名前を慰めるように撫で続ける。されるがままに身を委ね、誰かの肩越しに見上げた天は数多の星が瞬いていた。
数多の炎が名前の目の前を過ぎり、水面に反射した灯りが神殿を浮かび上がらせては消えていく。その様子を眺める名前に、知らない懐かしさがこみ上げる。

水光に揺らめく神殿の冷たい氷壁に映る影は、悉くが血と炎に彩られていた。
見覚えがあるような光景が何度も繰り返し循環する。
それは、壮麗な神殿に自らの神格とその巫女を封印した神と人の物語だった。
神の寵愛を受けた女の果てしない旅路。愛した神へ自らの幸福を捧げるための巡礼。
神はただ、限りある命を持つ彼女をそのまま愛しただけだったけれど。
そこには数多の悲劇があった。抱え切れない愛があった。「私たち」の物語は炎に包まれ、神へと捧ぐため天へと昇っていく。

そうして、名前はすべてを思い出した。
そうだ。ここはすべての始まりの地。この世のどこにも無く、どこにでも在る陽炎の神殿。「わたし」を愛した/呪った 神を祀る祭壇。
始まりの巫女は繰り返し、死ぬ度にこの地で自らの紡いだ物語を捧げていた。
すべては、その神が定命の生命を寿いだから。
抱えきれないほどの数多の幸福を願ったから。
だから、何度も同じように繰り返しをさせられている。
覗き込むと、泉の底には数多の「わたし」の躯が沈んでいる。同じ貌をした女に表情はない。再生を終えたカセットテープを投棄するように、抜け殻のようなそれはただ底へ積み上げられていた。
頭を撫でる女の手は止まらない。
巫女の魂は循環している。始まりの巫女へ数多の幸福を願った神により、死した魂はこの場に戻され、清められた後に再び現世へと送られる。ならば、「わたし」は常に一人だけ。同じ魂を何度もリセットし、何度もリピートしているのだから。
振り向いた彼女の顔もまた、名前によく似ていた。
見上げた天は数多の星が瞬いている。
環境が変われば紡ぐ物語も変化する。魂の劣化はない。だってこれは、神の御技なのだから。
しかし。

「――」

ふと、一つの疑問が名前の脳裏を過ぎった。
頭を撫でる女の手はまだ止まらない。
振り仰ぐと、名前と同じ貌の女が薄く笑んでいる。
これが繰り返し続ける始まりの「わたし」が見せる死に際の夢なら、どうして私は「わたし」に抱かれてまどろんでいるのだろう。
「わたし」の魂は一つだけ。「わたし」は一人きり。
燃えて死んだ私が届けに来たのならば、此処にいる「わたし」は私だけのはず。
抱きしめる「わたし」の温もりを感じながら、名前はいつかの自分の貌を見上げた。

天を仰ぐ。円形に切り取られた神殿の天井に見える、星が瞬く夜空と見紛ったそれは、銀の火花を散らした黒く燃え盛る炎だった。女の瞳に映る炎と同じ、こびり付くような昏い炎。
うっそりと笑んだ同じ貌が名前を強く抱き寄せる。
あ、と思った直後、女は黒炎へと変わり名前を包んだ。
焼くような苦痛が憎悪になり、怨嗟の炎へと昇華していく。
恐れは嘆きに。
痛みは怨みに。
苦しみは憎しみに。
暖かな琥珀色の瞳を黄金に染め上げた名前は天を仰ぐ。水が滲み出すような笑みを浮かべ、嫣然と微笑んだ。
身の内から湧き出るような黒炎に浸されていく。抱きしめていた女が炎へと変じたように、水底で折り重なる女達もいつの間にか炎に溶けていく。再生の終えた「わたし」というテープの名残が消えていく。
そのエネルギーを動力として、名前の止まった鼓動が再び動き始める。
そうして、名前の意識は冷たい暗闇へと浮上した。



20210918

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