短編 | ナノ

マーリンの弟子 01


※銀弾コンビ厳しめ表現有


血が、舞った。
大輪の薔薇の花弁のように、飛沫が宙を舞う。それを見開いた瞳に映した少女は、唇から掠れた吐息を一つ漏らした。
相棒と信じた少年の叫ぶ声も、もはや遠い。
崩れるように倒れこんだ男のそばへと、縺れる足を懸命に動かす。

「灰原!!安室さん!!」
「ッ、志保!!降谷君!!」
「あなた、どうして……」
「はは……君は本当に、先生に似て落ち着いてるね。結局、また守れなかったけど……。
――あぁ、でも。エレーナ先生と、明美に合わせる顔がないなぁ」
「――」

溢れる命の証は止まらない。あたたかな雫が地面を濡らし、世界へと還っていく。
虚ろな眼差しは男の視力を減じさせていることを示している。けれど、少女の無事を確信した男は、苦痛に端麗な顔を歪めながら、至極満足そうに微笑んだ。
もう、やり残したことはない、と。

「――いいえ。いいえ、本当に謝るべきは、私の方よ」

ねぇ、キャスター。
そう、誰もいない背後に目を向けた、男にとって大事な人の忘れ形見。血を失いすぎて、もはや男の目は役には立たない。ゆっくりと確実に、薄闇に包まれていく。最後の瞬間までその姿を目に焼き付けようと、男の目が開かれる。その暗く冷たい世界の中で、男は確かに、眩い黄金の輝きを幻視した。
少女が見やった誰もいなかったはずのその場所に、星屑のような光が集まり人の姿になっていく。

「彼を、助けて」
「――ああ、いいとも。マイロード」

可憐な白い花を思わせる涼やかな声。
男は遠く過ぎていく意識の中で、その音を聴いて――

「ぁ……」

――そして。
白いマントを靡かせた、鎧兜の青年を視た。
……いや、この声は、まさか。
白い花弁と共に薄闇が晴れていく。
厚く覆われた鈍色の空。深い新緑の森。大切だった人の優しい面影。
その背後に、まるで騎士が控えるようにして立つ、白銀の鎧。

「――」

硬い金属音の後に、兜の前が開く。無骨な鎧が額縁に見えるほどの美しい花の顔(かんばせ)。
心を落ち着かせる穏やかな面差し。
嫋やかな微笑みを浮かべた彼は、そのまま男の側に近寄り傷の具合を確かめ始めた。彼が動くたびに磨き上げられた鎧が音を立てる。硬い金属音からして、おそらく本物の鎧だろう。
帝丹高校の制服でも、普段の清潔そうな私服でもない、まるで西洋の騎士の理想像のような出で立ち。
そう、まるで、幼い頃誰もが憧れた騎士のような――

「これまでの、あなたの献身に感謝を――」

彼が何事か呟いたのち、男は体が一瞬熱くなったような気がした。
呪文じみた韻。何を言っていたのかまでは聞き取れなかったし、音の多さと唇の動きがまるで合っていなかった。けれど確かに、全身を刺す悪寒を取り除いてくれたという意味では、それはまるで魔法の呪文のようだった。

「さぁ大丈夫、傷は治った。あとは身体と脳がそれを認識すれば、動けるようになる。もちろん無理は禁物だけどね」

ふと、己から流れ出るものが止まっていることに男は気がついた。腕の感覚は未だ戻らないが、動きはしている。
傷口も、破れた服を見なければ最初からなかったかのようだ。死んでもおかしくない怪我を負っていたのにもかかわらず、ものの数秒で彼は傷を全て消してみせた。

「きみ、は……」
「僕はしがないサーヴァントさ。心配しなくても、君たちに危害は加えないよ。……シホも、きっとそれは望まない」

そう言って、少年は少女へ向けて微笑んだ。
その場違いな穏やかさは、ここがどこよりも安全な場所だと錯覚してしまうほどだった。その錯覚を振り切り、男は逃げろと脳の命令に従わない筋肉を懸命に動かす。

「……あなたは、しばらくマスターと一緒にいてくれ。今回は魔術師のクラスだから、荒事は苦手なんだけどね。だがまぁ、準備はできている」

男は少年に釘付けだったが、少女の方を見ると赤井秀一と江戸川コナンに詰め寄られている。
涼しい顔で受け流す横顔は、怒っている時のエレーナによく似ていると、ぼんやりと思う。
マスター、と呼ばれた少女が男と少年の方へと振り向く。傷の癒えた男を見た燃えるような瞳が、ふと和らいだ。
そして再び、遅れてきた二人をふり仰ぐ。

「工藤君、それからお姉ちゃんを見捨てたくせに騎士気取りの赤井秀一だったかしら? 残念だけど、私、自分の騎士は自分で見つけてるの」

少女の足取りは軽やかに。膝を突く騎士の前へと歩み出る。

「さぁ、キャスター。貴方の力、私に見せてみて!!」

吼えるような叫び。掲げた右手の痣のような紋章が赫く、鮮烈に輝く。
同時に呼応するように、少女の体に紅い稲妻のような線が走り空気が震えた。
どこからともなく降り注ぐ白い花弁から赤雷が迸る。

「――イエス、マイマスター」

自信に満ちたその声の直後、轟音が一帯を覆った。無差別に、あらゆる生命を一つ残らず奪わんとして銃弾の雨が降り注ぐ。
その音を聞いた時点で無意味と知りながらも、赤井がコナンを身を隠せる木の陰へと突き飛ばす。そのまま条件反射で伏せようとする身体を無理矢理に動かし、前線に立つ少女へと手を伸ばした。
しかし、彼女は赤井が伸ばした手をすり抜け悠然と立っている。
組織の人間が放ったガトリングは全て不可視の壁に当たったかのように弾かれ、地面には薬莢の線が出来ていく。男はただ空に浮かんだ数多の波紋を呆然と見上げる。まるで、水たまりの底から降り注ぐ雨を眺めているようだった。
辺り一帯を掃討しているようで、次第に舞い上がった土煙りで視界が悪くなる。けれど少女には少年の姿が見えているかのように、ただ一点を見つめている。
全て打ち込んだとしても銃弾の束が途切れるまで僅か十五秒。組織が使う重火器の類は全て、それこそ銃身の種類から施された改造までを知っている。それを調べたのは男自身だ。だから今から四秒後には弾切れで雨が止む。
男は正確に、カウントを始めた。
――三。
少年の言う通り、男の冷えきった手足にようやく感覚が戻ってきた。かじかんでいるが、問題なく動く。
――二。
空の波紋はすでに見えない。この場所は濁った水中と同じだ。
男は弾かれたように起き上がる。
――一。
脳の命令に従おうと、力の入らない足を動かすために音を立てて血が巡る。
――ゼロ。
銃撃が止む。
少女を抱えて撤退しようと踏み込みかけた、その時。
一瞬、土煙りを吹き飛ばすような突風が、立っていられないほどの勢いで吹き付けた。
そして露わになったそれに、男だけでなく背後の赤井とコナンも驚愕に目を瞠った。

「――」

駆け出そうとした威勢は瞬く間に萎んでいく。
脳が、理解することを拒絶する。あまりにも悼ましいそれに、男の両目に膜が張った。

「なんだ、あれは…!!! あんな、あんなものまで組織は作っていたのか!!!」

男の背後で誰かが取り乱したように叫んだ。
土煙りの向こう、何十機と並ぶヘリの下には形容しがたいモノが蠢いていた。人の姿をした、人ではないもの。生きているが、それを同じ生き物と認めたくない脳がエラーを吐き出す。
そしてその中央。ベールを被った一際大きな、腐り落ちた肉を無理矢理押し込み形にしたような、悪意を持って作られた粘土細工のようなナニカ。
男の脳裏に生物兵器の文字が過ぎる。
男同様に理解を拒んだ誰かの怯えたような悲鳴は、耳を塞ぎたくなる雑音のような咆哮でかき消された。

「安室さん。あれが、父と母が……そして、私がするはずだった研究よ」

――そして、APTX4869の原型。

「あれは…生物なのか…?」

静かな少女の声に、男の脳は瞬時に意識を切り替えた。混乱する自信を置き去りにしたまま冷静な思考をした自身を作り上げるような想像をする。あとでゆっくり考えれば良いと、考える自分を奥へと引っ込める。どんな時も落ち着いていられたのは、男が意識の切り替えに長けているからだ。それはかつて、男がまだ少年だった頃に先生と呼び慕った大人から教えてもらった方法だった。

「 いいえ、もう死んでるモノよ。ゴースト……幻霊とでも言うべきかしら。語り継がれることで個人を概念へと昇華し、魂を再びこの世に留め、擬似的な不死を作り出す。宮野家に受け継がれ、今は組織に買収された魔術。生憎、私は教えてくれる人がいなかったから出来なかったけど……あれは別の魔術師が作った失敗作達ね」

説明に理解が追いつかない。
……いや、恋慕った先生があんなおぞましいモノを生んでいたと思いたくないだけだ。
男は冷徹に、そう自身を客観視した。再び意識を切り離さないと叫び出しそうなほどの激情が走る。

「これから始まるのはあなたが知らない世界(サーヴァント)の戦いよ。ジン達も多分、あれについては知らされてない」

後ろで蠢いているものにようやく気付いたのか、下にいる構成員達は途端に統率を失い逃げ惑う。
そこに、涼しげな声が響き渡った。
つい耳を傾けてしまう、そんな不思議な声色だ。

「一応名乗っておこうか。我が名はナマエ。ナマエ・マーリン。アーサー王の元に集いし円卓の騎士が1人にして、魔術師マーリンの弟子。そして、マスターに召喚されたサーヴァントだ」

男が再び目を瞠る。
円卓の騎士。マスター。サーヴァント。召喚。まさか、ファンタジーじゃあるまいし、実在していたとしても数百年は経っていることになる。
瞬時に否定を重ねる。けれど、それでも何故かあれが本物だと信じている自分がいた。

「さぁ、キャスター!! 令呪をもって命ずる。宝具開帳を許可するわ!! そいつらを全力で叩きのめして!!!」

再び掲げられた彼女の手が赤く輝き、痣の一部が黒板を消した後のように消失した。
少年の白いマントがふわりと舞う。
辺りに白く輝く光の粒子が漂い始めた。
その光景に、ふと、男の脳裏に見たこともない戦場の風景が浮かぶ。胸の内に、過去に抱いた理想のような希望の灯火がともる。

「心に描くは懐かしき日々。この剣は聖剣に非ず。この盾は円卓に非ず。この身は王に非ず。されど、手にするは幻の剣。これは手放さなかった想いの欠片。ならばこの身は、貴方のために――」

光の粒子が剣に集まり、束になり天へと伸びる。目が焼けるほどの強い光。
動けない程の突風に煽られても、見つめてしまうその輝きは、遠い昔抱いた夢にも似ていた。

「――『今は遠き日々の幻想(エクスカリバー・ファンタズム)』!!!!」

エクスカリバー。常勝の王が持つ約束された勝利の輝き。
地を抉りながら溢れ出す光の奔流に、空を埋め尽くしていたヘリは墜落し、全ては溶けていく。
空に立ち込めていた暗雲は光に消し飛ばされ、そこだけ落ちるような青空が広がっている。
男の頬に雫が伝う。
ふいに、少年が振り向くと、手にしていた剣と纏った鎧が掻き消えるようにして宙に解けていく。何事もなかったかのようなその様子に、戦場にいる全ての者が、これで全てが終わったと感じた。



20210905

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