短編 | ナノ

沢田家長女 小話7


 ◇

「ねぇ、これ」
 そう言いながら雲雀が黒い塊を差し出した。
 見るも無惨に欠けて煤けている小さな丸い塊。そこにかつての面影を見出した名前は僅かに目を見張り、ややあってから観念したように目を伏せた。
「……捨てられなかっただけよ」
 囁き声が落ちる。
 雲雀が手にしたそれは学ランの金ボタンだ。それも、彼女にとって馴染み深い並盛中学校旧制服の第二ボタン。
 かつては金色に輝いて制服を飾っていたそれを、雲雀は彼女と共にした最後の春にポケットへと忍ばせた。逃げる彼女を抱き寄せた時に、こっそりと。
 もう七年も昔のことになる。
「そう」
「本当に、捨てられなかったのよ」
 歪に笑う口元は、後悔にも似た自嘲だった。
 捨てられなかったのは本当だろう。けれど、それを持ち続けていたのはまた話が別だ。
 雲雀から逃げた時も。
 遠い地で暮らしていた時も。
 再び並盛へ逃げる時すら肌身離さず。
 仕舞い込むこともせずにずっと手元に置いていた。
 その結果が今手のひらにあり、目の前に無傷でいる女だと、雲雀は知っている。
 知られずに捨てられても構わなかった。そもそもが思いつきから始めたことだ。
 ーー彼女を守る時間稼ぎにでもなればいい。
 あの頃の雲雀は、少女の危険は必ず助けに行けると信じていた。
 リング争奪戦に巻き込まれた少女を抱き上げて脱出した日に決めて、その翌日に叶わないことを知っても、雲雀は新たな習慣をやめなかった。
 渡す予定もない恋文を書き続けるように、渡せなかった未練(こころ)を閉じ込めるように。三年半という時間をかけて、当時の雲雀に出来る最大限の守りの術を金ボタンに込めたのだ。
 そしてそれは、彼女の胸元に仕舞われ続けた。まるでーー御守りのように。
 その今ある結果が、過去の雲雀にとっての報いだった。
「……ねぇ、それどうするの?」
「こっちで処分するよ」
 それを聞いて眉を下げた名前に、雲雀は首を傾げた。
 今は術も解け、魔力も残っていない焦げついた金ボタン。複数回術が展開した痕跡は、並中に逃げ込む道中の襲撃によるものだろう。
 器が壊れている以上、これは役目を果たした礼装だ。間違って呪いや亡霊の類を寄せ付けても困るので、雲雀は適切に処分するつもりでいた。
「もう使えないけど、欲しいの?」
「……お守り、みたいに思ってたから」
 降り始めの雨を思わせる静かな声だった。思い出が、感情が、空からあふれ、ぽつりぽつりとこぼれていく。
「きっと、雲雀君のだったからね。思い出しても辛くなるだけだったのに、あなたの気配がするような気がして手放せなかった。ずっと、守ってくれているような気がして。……先に逃げたのは、私なのにね」
 それは違うと雲雀は思った。
 逃げ出した少女を追わなかったのは雲雀だ。彼女が翌年に出産したことも、あの夜に出来た子供ということも知っていたのに迎えに行かなかった。
 ボンゴレ狩りの不安要素やら愛し方が分からないなんて言い訳を並べて、新しい箱庭の中でそっと愛でるように見ていた。
 ……そうか。僕は、ずっと後悔していたのか。
「手、出して」
 手放せなかった半ば煤化した塊を渡されると思い差し出された手のひらに、それとは異なる冷たい金属を落とした。
「……?」
「過去の君が帰った後、僕らと一緒に戻ってきた君を見て、指輪をしていないことに酷く安心したんだ」
 名前が渡されたのは、月桂樹の彫刻がされたシンプルな指輪だった。
 内側には薄紫の小さな石が嵌められていて両隣には二人の名前が刻印されている。
 表面に彫られた凹凸が細やかにきらめいている。一目で逸品と分かる品だ。
 ……でも、これじゃまるでーー。
「指輪なんて、わたし……っ」
 指輪を落とした雲雀の指が名前の手を滑る。甲を撫で、親指で薬指の付け根に触れる。
 およそ七年振りに感じる熱が意図を持って肌を這う感覚に、名前の心臓が強く跳ねた。
「第二ボタン(あれ)はね、十五の僕がそういう意味で君に渡したかった物だ。だから、もしまだ僕のお守りを必要としてくれるなら、今度はこっちを受け取ってほしい」
 彼女を守る礼装の媒体として、十五の雲雀は第二ボタンを選んだ。そして二十五の雲雀は指輪を。
「遅くなってごめん。僕の奥さんになってほしい。……あの子達の、父親になりたいんだ」
 お願い、と切なげに細められた鈍色が懇願してくる。
 返事なんて、既に決まっていた。


雲雀夫婦の結婚指輪B
 月桂樹の葉が彫られたマリッジリング。内側には小さな紫色の誕生石が輝いている。
 対になっており、炎を灯すともう片方の居場所が分かるなんちゃってGPSリング。


2024.0702

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