短編 | ナノ

沢田家長女 小話3


 ◇

「えぇ!? 姉さん並盛高校行かないの!?」
「うん。結局もう一つの方に決めちゃった」
 並中に通う殆どの生徒は余程の理由が無い限り並盛高校へと進学するが、名前は来月には雲雀達とは異なる学園で三年間を過ごす。
 結果としては同じであるが、そこに至る過程は遠ざけられた未来の自分とは違う。名前が考え抜いて決めた未来への道筋。そう選ばされたものではない、今度こそ名前の意思によるものだ。
「決めちゃったって……そこ、全寮制なんでしょ」
 そんなぁ、と嘆く綱吉はこの世の終わりのようだった。廊下から漏れ聞こえる姉弟の会話に耳をそば立てていた綱吉の同級生達の間にも、にわかにどよめきが広がる。
「それにほら、ヒバリさんはいいの?」
 女子校とはいえ付き合って早々に遠距離は複雑だろう。主に雲雀の方が。許可を得る必要はないが、引くほどの執着心の一端を見ている綱吉は色々な意味で心配だった。加えて、別の問題もある。
「どうして雲雀君?」
「え? いやだって……」
 そう、考えていることは皆同じだ。
 ーーいったい、誰が雲雀を止めるのか。
 風紀委員と言えば保健委員。風紀委員長と言えば保健委員長。もはや扱いはセットである。雲雀の凶行を止められるのは沢田ーーただし姉の方に限る、弟の方では無理だーーという認識は並中生共通であった。
「……雲雀君にはママの次に話してたのよ。へぇ、で終わっちゃったけど」
 やや不機嫌そうに言う名前が、綱吉には少しだけ寂しそうに見えた。

 それから数ヶ月後。冬が終わり、花の散る季節が巡ってきた。卒業式だ。本来なら竹寿司で謝恩会が開かれている頃だが、名前は夕陽に染まる保健室で、保健委員長として最後の仕事をしていた。
 式典が終わった後、雲雀へのリベンジをしにいつかの不良百人がぞろぞろと新たに増えた仲間を引き連れて現れたのだ。それを千切っては投げ、殴っては積み上げ、なおも増える彼らに気付けば夕暮れ時である。
「喧嘩で終わるのが雲雀君らしい卒業式(さいご)よね」
「随分と嬉しそうだね」
「あら、そう見える?」
「……ごめん」
 どこかばつが悪そうに、けれど不服といった表情で雲雀が言う。名前が謝恩会を楽しみにしていたのは知っていた。そして、それでも雲雀を置いて帰る選択をしないことも。
 ちら、と雲雀が見上げると美しい顔は穏やかな微笑みのまま、眼差しだけがどこか遠く雲雀を通り過ぎている。未来で見た泣き顔とも違う表情に、じわりと焦りが生まれた。
 何を考えているのかわからない。視線の先がわからない。雲雀は、それがたまらなく嫌だと感じた。
「悪かったとは思ってるよ」
「……もしかして、怒ってると思ってる?」
「違うの? 謝恩会楽しみにしてただろ」
 雲雀が首を傾げる。その仕草に名前は小さく笑みをこぼした。
 並盛を離れる名前にとって、謝恩会は確かに楽しみにしていた中学最後のイベントだ。けれどあの乱闘は、翻る学ランを、閃く銀の輝きを、戦うその背を目に焼き付ける最後の機会でもあったから。
 だから、どちらかを選ぶなら、名前は必ず後者を選ぶ。
 いつも通りの日常、変わらぬ終わりは、名前に別れの寂しさよりも安心をもたらした。
 けれど、そのいつも通りから一つだけ外れたことがあった。
 屍の山を築いた後、雲雀は自ら階段に座っていた名前に近づいて来たかと思えば一言「かすり傷だから」と告げて、そのまま保健室へと向かった。
 いつも保健室に先導するのは名前だったのに。
 たったそれだけのことが、名前には何よりも嬉しかった。
「怒ってないわ。一年の時のこと、思い出してたの」
 遠くを見ていた視線が雲雀を見る。
「返り血は落とすくせに、いくら言っても傷はそのままで保健室に来なかったでしょう」
 それまで喧嘩とは無縁の生活をしていた名前は、あまりの血の量に半泣きになりながら血に塗れた雲雀を保健室まで引っ張っていた。後に全て返り血だと分かるのだが、その頃の慌てふためき様を思い出して名前がくすくすと笑う。
 始まりは、入学早々に風邪で休んだせいで押し付けられた委員会の委員長だった。なりたくてなった訳ではないのに、雲雀が恐ろしいあまりに委員長なのだからと皆が名前の背を押してくる。当時の保健委員は殆ど入学したての一年だった名前の一人体制で、委員会としての体をなしていなかった。
「君は、来ない選択も出来たのに律儀だったよね」
「いつも血塗れの誰かさんがいたんだもの。心配くらいするわ」
「あれが? 誘導の間違いじゃなくて?」
「誘導してたのは否定しないけど、あの頃は返り血だなんてわからないもの。あんなに血まみれの人がいたら誰であっても心配するわよ」
 怪我の処置と返り血の処理という名目で連れられた保健室で毎回不良を一掃していたことを思い出した雲雀は、一応は心配されていたのかと目を丸くした。
 かつて保健室は不良の溜まり場で、名前に連れて来られた雲雀が遭遇するのは当然の成り行きでもあった。そして群れてる彼らを見た以上、雲雀が風紀委員として咬み殺すことも。ただ、それが毎回であれば雲雀も気付く。
 一度目は何も思わなかった。二度目は学ばない奴らだと思った。三度目はまたか、と思った。四度目になって、これくらい言えば片付けると告げた。
 それからは素直に助けを求めてくるようにはなったが、初めの頃の頻度の多さからして雲雀の知らぬうちに困っていた事もあったのだろう。雲雀自ら巡回するうちに保健室は雲雀怖さに元の機能を取り戻し、訪れる不良も風紀の腕章をつけた不良へと変わった。
 名前だけではタチの悪い不良は追い出せなかった。
 雲雀だけでは人が来ないただの倉庫になっていた。
 それが二人とも分かっていたから、保健委員会は雲雀と名前の二人で立て直したようなものだった。そして、穏やかで賑やかな日常はずっと続くものだと思っていた。
 だから思わず、雲雀はそっと息を吐くように囁いていた。
「今からでも、並高に変えなよ。僕がどうにかするから」
 今日で途切れる日々が、ただただ惜しかった。
「ふふ、寂しいの?」
「……未来で僕の傍に君がいなかったんだ、ある程度の覚悟はしてたさ」
「あら」
 少しだけ沈んで聞こえる低い声。常より我が道を行く雲雀にしては随分と感傷的で、名前の手が止まる。
「あなたはそういうの、気にしてないと思ってた」
 開きかけた口を閉じて、雲雀が薄く微笑みを返した。その大人びた表情は、未来の彼とよく似ていると名前は思った。
「……はい、おしまい」
 やがて、柔らかな声が終わりを告げる。
 離れた手の温もりが名残り惜しくて、雲雀は道具を片付ける名前の後ろ姿をじっと見つめた。
 穏やかな静けさに溶ける物音は、戸締りを待つ間いつも聞いていたものと変わらない。
 ゴミ箱の蓋が閉まる音。ピンセットの金属音。鍵のかかる音。引き出しにそれが落ちる音。
 ささやかなそれは、今日だけは十二時の鐘のようでもあった。
 朝焼けを束ねた髪が揺れ、名前が雲雀へと振り返る。ゆったりとした足取りで雲雀のもとへと戻ってきた名前の肩越しに見える空の縁は、薄ぼんやりと霞んでいた。
 次第に、薄青い夕闇がゆっくりと世界を飲み込み、かけられていた魔法が解けていく。これが最後の別れではないことを知っていても、この瞬間が名残惜しい。
 だから薄墨を流した空の暗さに気付いていても、帰ろうと口を開くこともなく、ただ静かに過ぎる時を見送る。
 ……もう少しだけ。
 ……あと少しだけ。
 このまま一緒にいたいと思うのは、二人とも同じだった。



20240325

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