短編 | ナノ

沢田家長女 01


高3卒業直前の二人



心が締め付けられる。まるで、美しい絵画を見ているようだった。
段ボールが2つと、備え付けのベッド。日に透けて輝くブロンドの髪の、妖精と見紛う美貌の少女が、悲しげに頬を濡らして座っている。
正直、彼女がこんなにも感情を曝け出しているのは初めて見た。いつも嫋やかに微笑み、後輩のあの少女以外には決して心を揺らすことのない暖かな氷のような少女。その彼女が、私がいるのにも関わらず、こんなにも感情を揺らしている。
ふと、部屋を見渡せば3年間住んでいたとは思えない程生活感がない。あの段ボールも、殆どが配布された教材だ。意図しているのか、思い出というものが極端に少ない。ともすれば、私以上に。
この方は、私がいなくなった後も、こうやって生きていくのだろうか。
穏やかな顔で、幽鬼のように。そして、時折こんな風に思い出して、泣いて。
酷く心が締め付けられる、そんな表情で。
「行ってください」
濡れた琥珀の瞳が、ぼんやりと私を捉えた。
いけないとわかっていても、任務違反だと上司の姿が過っても、一度開いた口は止まらない。
「会いに、行ってください」
意図を理解した頭が、ふるりと横に揺れる。
よくない。だって、だって、こんなのあんまりじゃないか。帰るのはいい、けど会うのは許さないなんて。貴女にばかり押し付けて。貴女の覚悟を知らない彼らは、呑気に貴女のことを話してる。
忠誠を誓ったボスにも、上司にも理不尽な怒りがこみ上げてくる。
この3年間、この方は求められた以上に約束を守り続けていた。たった1日くらい、私が報告しなければ知られないことだ。
「彼は明日出国します。もう今日しかないんです…!」
会いに行ってもいいんだと。だって、貴女はファミリーじゃないなら、従う必要なんてなかったんだ。

だからどうか、もう泣かないで。幸せそうに笑う貴女を、私は知っているから。
軋んだ心は見えないフリをして、駆ける姿を見送った。



****


会いたいけど、会いたくない。そんな風に中途半端なままだったからか、たどり着いたのは並高じゃなくて、並中だった。
グラウンドを横切り、校舎に入る。記憶を辿り、思うままに教室を見て回る。やけに傷だらけだった弟のクラス。所々直した跡がある自分のクラス。人が絶えない、賑やかだった保健室。みんなでお昼を囲んだ眺めの良い屋上。
全てがあの頃と同じまま。着ている制服だけが違う。
最後に、あの人のいた応接室へと向かった。扉を開けても、緑茶の香りはもうしない。ソファを通り過ぎた先の棚には、あの人専用になっていた救急セットが変わらずあった。次の人はちゃんと保健室に行っていたのか、それとも使わなかったのか、使用された形跡はない。
少し埃を被った机と、大きめの椅子。目を閉じれば今も鮮明に浮かぶ、書類を読むあの人の横側。凛とした後ろ姿も、少し幼い寝顔も、怪我を見られた時の困り顔も、屋上から眺めてる時の穏やかな眼差しも、守ってくれた腕の温もりも。全部全部、覚えてる。3年間、忘れたことなんて一度もない。
気がついたら目で追っていた。好きになっていた。好きだった。恋をしていた。綺麗に終わらせようと思っていた想いは、中途半端に引き千切られ重石となり沈んでいく。
でも、それも今日で終わる。まだ残り1年残っているけど、今日が過ぎれば後は同じ1日を繰り返すだけ。行き場をなくした恋も、思い出も、抱えたまま生きていく。
戯れに書いた、好きの文字を指で散らす。
きっとこの先、何度恋をしてもこの想いを忘れることはない。たとえ私が忘れられたとしても、声も姿も思い出せなくなっても。私はずっと祈っている。どうか――
「さよなら、雲雀君」
どうか、死なないでと。

「沢田」
遮るようにして呼ばれた声に、反射的に振り向いた。
視界が真っ黒に染まり、鼻腔をくすぐる鉄の匂いと微かなお茶の香り。背中と頭の圧迫感に、抱きしめられていると気がついた。
「雲雀君…?」
呼びかけると、返事をするように力が強まる。
仰け反る体を支えるように、記憶の中よりずっと大きい背中へ腕を回した。
「やっと、会えた」
低く、優しい声。凍らせた心がゆっくりと解けていく。体が軋む程の強い力。痛くて苦しくて声が漏れるのに、暖かいもので満たされていく。
「会いたかった」

私も、と囁く。

ふわりと体が宙に浮く。あ、と思った時には二人して抱き合ったままソファに倒れこんでいた。背もたれに挟まれて身動きが取れないまま、隙間を埋めるように足が割り込んで、捲れたスカートがずり上がる。足を絡ませながら、柔らかいソファに押し付けるようにして漸く体が離れた。目尻を拭った指が、そっと唇を撫でる。燃やされてしまうんじゃないかと思うほど熱が篭った眼差しに、答えるように首へ腕を回した。



***


永遠に続く無限の魔法なんて存在はしない。それがうたかたの夢ならばなおのこと。夢は、いつか覚めるものだ。
意識を何度飛ばしていても、時間までには帰らないといけない。すぐ側からは起きる気配のない、安らかな寝息が聞こえる。見知った気配だと起きないのを知っているから、気怠い体を起こし、手早く服を整える。
起きる前に私はいなくならないといけないのに、このまま攫って欲しいと強欲な心が叫く。
変わらない寝顔を目に焼き付けて、逃げるようにして部屋を去る。それでも、一人この時間を迎えているよりかは余程、心は軽い。



20210830

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