沢田家長女 小話2
◇
三年に上がる少し前、雲雀が入院していた冬の後の話である。
「……沢田、それ」
廊下で名前と会った雲雀は、彼女が下げる紙袋から香る甘い匂いに気がつくと眉根を寄せた。人伝てに渡されるそれを拒否するだけで、ひと月分は口を開いたような気さえしている。
「私のよ。後輩から貰ったの」
下がった機嫌の理由を察した名前が微苦笑を浮かべそう言うと、雲雀は途端に興味を失ったように、ふいと視線を外した。
「そう、ならいいよ」
「やっぱり今年も受け取らないの?」
そもそも頑なに受け取らないからあの手この手で贈られるのだと、名前は思う。
「風紀委員が校則を破るわけにはいかないだろ」
ちゃんと受け取るのも風紀を維持するためのガス抜きではないかと思ったが、疲労が見える雲雀の顔を見て、一つ頷いて同意するに留めた。
「それもそうね」
余程疲れているのか、雲雀は珍しく眉根を寄せたまま名前の横に並ぶ。
雲雀は決してチョコを受け取らない。
そのため、風紀委員経由で渡そうとするものが後を絶たないのだ。特に今年は、名前であれば受け取るのではと狙いをつけた女子生徒から声をかけられることが少なくなかった。
結局、下駄箱に詰め込んで無理矢理持って帰らせる手段が定着してはいるが、やはり直接渡して受け取ってもらいたいのが乙女心なのだろう。
おそらく食べられていないことは少女達も察しているだろうに、それでもめげない同級生や後輩の熱意、というよりもはや意地のような行動力が、名前は少しだけ羨ましくもある。
「……君は」
「うん?」
「君は、今年も渡さないの?」
「ええ、貰った分だけ来月お返しするわ。弟のもあるから」
「そう」
雲雀の声が少しだけ拗ねたように聞こえた気がして、名前はくすくすと揶揄うように雲雀を覗き込んだ。
「雲雀君、欲しいの?」
予想していたのは、いらないと答える涼やかな声。それに冗談だと返して、この話は終わりになる筈だった。
けれど、実際は沈黙が返されて。
……あら?
つかの間訪れた空白に、名前の顔が固まる。
「そうだと言ったら、沢田はくれる?」
「えっ……え、ほんとに?」
驚いた名前に、雲雀は好きな人だから欲しいのだと声には出さずに思う。そもそも、毎年受け取らないのも名前が渡さないから始まったことである。バレンタインは女子生徒が浮き足立つイベントではなかったのか。一人涼しげに貰う側で立っていた彼女に、雲雀はひっそりと落胆した。プライドが邪魔をして欲しいとも言えず、結局は意地になった。
「なら……雲雀君のと交換でどうかしら」
「交換?」
「そう。ちょうどホワイトデーもあるじゃない、どうかしら」
当然、自分で用意したものとである。
挑戦的に微笑んだ名前に、雲雀はかすかに笑うと「楽しみにしてて」と返した。
翌月、普段は緑茶かコーヒーの香りが漂う応接室にて、それぞれが持参したホワイトガトーショコラとチョコレートミルクティーで、ひっそりとしたお茶会が開かれることとなった。
それから季節は巡り、三年の終わりが近づく二月。
今年が最後だからなのか、昨年以上に下駄箱からはみ出ていたチョコレートを回収した雲雀が校舎を出ると、いつもの学生カバンを肩に下げた綱吉と遭遇した。
「ヒバリさん、遅くまでお疲れ様です」
「委員会の仕事だからね」
珍しく一人だったせいか、気づけば雲雀は声をかけていた。
「君は、荷物がなくて良いね」
これのせいで、町の見回りの前にわざわざ家に置きに戻らねばならないのだ。
淡々とした声で述べられる事実に、綱吉はう、と喉を詰まらせた。
……これだからモテる男は。
……回収業者(六道骸)でも呼べば。
……姉さんに言いつけるぞ。
彼の性格と嗜好を考えればただ手荷物が増えたとしか思っていないことは明白だが、朝から続く揶揄に、綱吉は反射的に遠回しなチョコ自慢かと思ったのだ。被害妄想であることは百も承知である。
けれど、僻む言葉はぐるぐると回る。実際口に出したが最後、秀麗な顔に皺が刻まれ即座にトンファーの錆にされそうなので言わないが。
……いやでも、この人最近丸くなったからなぁ。
守護者とのコミュニケーションは大切だと説くリボーンの声が過ぎるが、戯れの軽口で済むか試すほどの勇気は今の綱吉にはなかった。何より今は、宝物を抱えているのだから。
「これでも気にしてるんですけど」
「どうして? 欲しい人からはちゃんと貰えたんだろう。それで十分じゃないの」
……うわ、大人。
雲雀があまりにも不思議そうに言うものだから、貰った数で優劣を付けていた自身と同級生達が途端に子供に思えた綱吉は、誤魔化すように「でも、意外ですね」と話を変えた。
「何が」
「菓子類の持込禁止だから、受け取らなさそうだと思って」
「僕は受け取ってない。下駄箱に勝手に入れられるんだ。以前、捨てようとしたら沢田に酷く怒られてね。そのまま腐らせるわけにもいかないから、持ち帰っているのさ」
柔らかな声で沢田と呼ばれると、それが自分のことではないと理解していても綱吉は妙にそわそわと落ち着かない気分になった。きっと声が良いせいだろう。少し掠れたような低い声は甘く響くのだ。
「そう言えば、沢田は早々に帰ったけど君は遅いんだね」
「今日は早く帰ると怒られるんで」
「なんで?」
「うち、バレンタインは毎年姉さんがケーキ作ってくれるんですよ」
いつも同じザッハトルテだが、毎年作っているそれを今年は珍しく何度も練習していた姿を綱吉は見ている。成長して味覚の好みが変わったからか、何か試行錯誤をしているようだった。
「へぇ、それは楽しみだな。……じゃあね」
「あっはい、さよなら」
……楽しみ?
角を曲がり、綱吉とは正反対の道へと進んだ雲雀の背を見送りながら、綱吉は首を傾げた。
その意味を理解するのは、毎年ホールで綱吉を迎える艶やかなケーキが、今年は既に切り分けられた状態で置いてあったのを見た時だった。
「あらお帰りなさいつっくん。名前ちゃんならボーイフレンドに会いに行ったわよ」
「ボーイフレンド!? あっ……」
×××
「ママ、あの、これ……貰ったんだけど、うちに花瓶あったっけ?」
鮮やかな花を抱えて帰ってきた娘に、奈々は少女のようにはしゃいだ声を上げた。
愛の告白を意味する三本の赤い薔薇。若い頃の家光を思い出した奈々の中で、雲雀の株がまた一つ上がった。
「まぁ、まぁ! 素敵なボーイフレンドじゃない! すぐに持ってくるから、名前ちゃんは手洗ってらっしゃい」
×××
「名前」
低い穏やかな声に振り向くと、目の前に鮮やかな花が咲いていた。濃い紫の薔薇が五本と、それに囲まれたオレンジの薔薇が一輪。金粉がかかっているのかオレンジの花弁はきらきらと縁が輝いていた。
よく研がれた抜き身の刃のような男にはあまり似合わない情熱的なそれを受け取る。学生の頃は知らなかったが、意外とロマンチストなのだ。
「今年もありがとう、恭弥君。嬉し……っ」
抱き寄せられた身体は簡単に雲雀の腕へと収まった。花束は潰れないよう、素早く取り上げた男が腕を伸ばして机に置く。
「じゃあ、次は君の番」
「ま、待って……!」
「あと十分で着くって電話したよね」
「っ……そうだけ、ど……あなた間に合わせる気、ないじゃない」
「まぁね」
唇を肌に滑らせながら、雲雀が機嫌良さげに笑う。
顔中に降る口付けの雨を受け入れながら、名前も背伸びをするように首を伸ばした。
20240211
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