短編 | ナノ

沢田家長女 71


 ◇

 過去の雲雀は、儀式を行うための簡易魔法陣(サークル)を描く二人を見遣った。
 少女は確かに沢田名前ではあるが、この雲雀が想う少女ではないのだ。過去から来た雲雀が助けなければならない少女はまだ、彼が戻るべき現在(かこ)にいる。
「……沢田名前」
 少女が振り向く。
 まだあどけなさの残る美しい顔に浮かぶ表情は達観した大人のもので、それはやはり、雲雀の知る少女とは異なるものだった。
「必ず助けるから。信じて待ってて」

Bad END1 / Lost flame - Re:ignite flame

 昏い夜空に溶け消えることなく冷然と輝く白い月(め)が、伏目がちに彼女を見下ろしている。
 あと少し、あと少しだけ頑張れと、頭の中で声が聞こえたから逃げ続けてきたが、それももう限界だった。
 野うさぎのように追い回され甚振られても誰も助けてはくれない絶望と、一度は退けたと思い込んだ運命への諦観。そして約束を反故にされた怨恨に、涙があふれ出た。
 泣き叫んでも、誰も来てくれやしないのだ。
 母に、弟に、父に、家庭教師に、■の兄貴分(おにいさん)に、祖父を名乗った老人に、思いつく限り声を上げて助けを乞うたが、誰も名前を助けてはくれない。
「やだ……やだよぉ……こわい……たす、けて……」
 黒く澱んだ炎が広がる。
 風に攫われた薄絹のように、大輪の花が咲き綻ぶように。
 熱は周囲の追手を遠ざけてくれはしたが、それも一時的なものだ。
 制御を知らない名前では自らを薪に変えて自滅するのが関の山。それを知っているからこそ、彼らは周囲を囲むように遠巻きに、少女が弱りきって炎が鎮まる時を待っていた。
「いや、あつい……誰か……おねがい、だれ、か……たすけて」
 彼女は虚空へと手を伸ばす。
 眩い月光から彼女を隠すように、薄曇りの空は辺りを闇へと変えた。身を焼く炎とは反対に、空を染め上げた夜は冷ややかで、けれど恐怖も何もかもを包み込む。
 その暗闇に、揺れる黒き陽炎に、少女は一人の影を幻視する。
「……ぁ、ぁあ……!」
 誰か、なんて思っていなかった。
 誰でもよくなんて、なかったのだ。
 彼女が本当に助けてもらいたかったのは、来て欲しいと願っていたのは、家族でも遠い親戚でもなくて。
 思い浮かんだその姿に、けれど名前は、ゆっくりと伸ばす手を諦めた。
 来るわけがなかった。夜毎、弟と家庭教師が出かけていて、それは彼にも関係のあることだと、彼女は知っていたから。
 だから彼女は、自分が助からないことを、最初から直感していたのだ。
 それでも未練がましく逃げていたのは、彼女が本当に追い立てられていたのは、もう二度と会えないという現実からだ。
「……ひばりくん……ごめん、ね」
 また明日と、約束をしたのに。
 でも、もう無理だった。
 視界が明滅する。細く白い手が、ゆっくりと炎の中へと落ちていく。
 彼女の意識が夜に染まる、その直前。
「沢田……!!」
 黒炎を飛び越えた人影が、彼女の手を確かに掬い上げた。
「ぁーー」
 月よりも光り輝く鈍色が、彼女が見た最後の情景だった。

 ×××

 意識の底にある夜の果てで一人、星を眺めていた。
 その瞬き一つ一つが夢の名残りであり、既に死んだ未来への羨望である。
 そして、あったかもしれない誰か(わたし)の夢であり、果たせなかった友人(かれ)の夢だった。

 ×××

 名前が再び目を開けた時、そこは暗い夜の森でもなく、燃え盛る廃屋でもなく、井草の爽やかな香りのする部屋だった。
 身を横たえるのも泥濘んだ地面ではなく暖かな布団で、近づく冬の寒さとは程遠い暖かな空気に包まれている。
 彼女の部屋よりも広い客室に落ち着かなかったのは最初だけで、今はもうすっかり馴染んでしまった。
 居心地が良いのだ。好みに合わせた彼女の部屋ともまた違う、ただ眠っているだけでも力が漲ってくるような不思議な感覚。
 ……だから、いつも怪我の治りが早いのかしら。
 屋敷の主を思い、ふとそう思った。
 とは言え、名前の身体はまだ動かすたびに痛みが走る。その痛みに眉根を寄せながら、時間をかけてゆっくりと半身を起こした。
 まだ薄暗い空が白み始め、やがて朝焼けに染まりだした頃。彼女は窓から入り込む柔らかな日差しの眩しさに目を細めーー
「沢田、起きてる?」
「うん。入ってどうぞ」
 彼女が身を置く屋敷の主人であり、死にかけた彼女を助け出した少年へ、痛みなど一切ないかのように微笑んだ。
「雲雀君、おはよう」
「おはよう。呼べば来たのに」
「実は、さっきまでごろごろしてたの」
 雲雀が差し出した手に捕まり立ち上がる。その拍子に目眩でたたらを踏んだ身体を、雲雀の腕が支えた。
 保健委員として何度も触れて見てきた知っている筈の逞しさに、名前の胸は思わずどきりとした。
「……まだしばらくは横になってたら?」
「平気、立ち眩みよ」
 雲雀の肩に手を置いた名前が薄く微笑むと、雲雀は内心で眉を顰めた。それがただの立ち眩みだけでないことくらい、気が付いている。
 雲雀邸は並盛でも格の高い霊地とは言え、彼女は助けられてから五日で目を覚まし、十日で立ち上がり、今や手を引かれながらでも歩けるまでに回復をしている。
 眠っていた五日間で雲雀の生命力を注げるだけ分け与えられたとは言え、その回復力は雲雀でも目を見張るものがあった。
 けれどそれは、その分の負担も相応にかかっているということでもあり。
「沢田」
 雲雀が物言いたげに見下ろすと、少女は柔らかな微笑みを返す。腰を支える腕には自然と力が入った。
「なぁに、雲雀君」
「……君は、死にかけたんだよ」
 正確には一度死んでいる。雲雀達が元いた時代へと戻ってきた時、少し前に戻ったおかげで間に合ったに過ぎない。死んでいたのなら、探しても見つからないのは当然だった。
 少女の首筋に汗で張り付いた髪を雲雀がそっと払う。触れた指先の冷たさに、名前は美しい微笑みを崩し、微苦笑した。
「今日は少し、休もうかしら」
 雲雀に支えられながら、名前は再びベッドに腰を戻す。
「ごめんね」
「……どうして謝るの」
「雲雀君にたくさん迷惑かけてる。怪我のことも、他にも色々」
「それなら僕は、迎えに来た父親を追い返して、跳ね馬と赤ん坊からの交渉も突っぱねた」
 名前が目を覚ます少し前、ボンゴレは彼女を迎えに来ていた。使者として現れた門外顧問(ちちおや)を門前払いしたのは雲雀本人である。
「そうやって私を守ってくれたじゃない」
「結果論だよ。助けて終わりにしなかった。君を閉じ込めたのは、僕なんだ」
「……それでも、私は救われたわ」
 命も、心も。
 名前の表情がにわかに影を帯びる。全て聞いた上で、彼女は自らの意思で雲雀の下にいるのだ。なのに、まるで雲雀だけが望んでいるかのような口振りに、彼女は胸の奥が酷く軋むような気がした。
「君は、一つ勘違いしてる。本当に……そんな、綺麗(まとも)な理由じゃないんだよ」
 常の堂々とした物言いとは反対に、珍しく言い淀む雲雀の言葉に少しの後ろめたさが混ざる。端正な顔に浮かぶ懊悩の色は濃く、鈍色の目は気まずげに名前から逸らされた。
 小鳥の囀りは遠く、朝の静けさに包まれる。
「すきなんだ」
 やがて雲雀は一つ息を吐くと、思い詰めたような憂い顔で囁いた。
「……ぇ」
「好きだって……言ったんだけど」
 後戻りは出来ない覚悟で、恋愛の意味でだと付け加える。
 ぽかんと口を開いていた名前は、ややあってから言われた意味を理解したのだろう。蜜色は色を濃くし、白い頬がじわじわと朱に染まっていく。その様子に戸惑いや嫌悪は見て取れない。むしろ喜色の滲む照れのようですらある。
 思いがけない反応に、雲雀はふと夏祭りを思い出した。
「花火の時のこと、覚えてる? あの時は結局はぐらかされたけど、もう逃がさないから」
「ぁ、あの……その、」
 夏祭りの夜、雲雀は浴衣で着飾った彼女に、花火の下で綺麗だとこぼした。それを思い出したのだろう。耳どころか首まで赤くしてたじろぐ姿に、雲雀はきゅうと胸の奥が締まるのを感じた。
「照れてるの、可愛い」
「かっ、かわ……!?」
 一度好きだと告げたからか、今まで言わないことを選んでいた言葉がすらすらと口からこぼれ落ちる。想いの箍が外れたように、好きがあふれて止まらなかった。
「君は気付いてないだろうけど、前からずっと、沢田のこと好きだったよ」
「っぁ、ぅ……だめ、待って、」
「やだ。待ってたらはぐらかすだろ」
 必死に思考を巡らす少女の逃げ道を塞ぐように、雲雀は顔を覗き込んだ。潤みきった蜜色が、ちらと雲雀を見ては慌てたように逸らされる。
 あからさまに照れている。
 その仕草に、雲雀はまた胸の奥が甘く締まるのを感じた。
「ねぇ、返事は?」
「ぅ……わ、わかってる、くせに」
「その反応を見ればね。僕は君ほど鈍くないから」
 自覚があるのか、名前は拗ねたように雲雀を見上げた。
 見下ろす鈍色は優しいのに、見下ろされている彼女が溶けてしまいそうなほど、眼差しに熱が込められている。
「ね、僕のことどう思ってるの? ちゃんと沢田の口からも聞かせてよ」
 なおも追い詰めるように、雲雀は名前が腰掛けるベッドの隣に腰を下ろした。ずい、と近づく端正な顔に、名前の緊張が高まる。
 真っ赤な顔ではくはくと息を吸うと、やがて覚悟を決めたのだろう。名前は「……ゎ、わたしも……すき……」と、緊張と恥ずかしさから震えた声で囁いた。
 与えられた好意に対してあまりにもか細い返事ではあった。それでも、雲雀にとっては心の底から嬉しかった。
 雲雀は柔らかく微笑むと、名前の背に腕を回しその肩口に顔を埋めた。鼻腔をくすぐるのは慣れ親しんだ屋敷の香の匂いに包まれる、甘い少女の匂いだ。
「……嬉しい」
 小さくこぼれた言葉に、黄金に輝く蜜色をひとつ瞬いた名前が、すりと頭を寄せる。
 仄かに色づいた雲雀の耳元で、名前はもう一度「大好き、雲雀くん」と囁いた。


*Bad END1 / Lost flame - Re:ignite
 門外顧問は新たに用意された夜の指輪を持参して、今度こそ娘の安全確保をした上で迎えに来た。ただ、それよりもそういった事≠ヨの対策がされている雲雀邸の方が安全だった。折衷案としてディーノ経由で容体の報告はしている。
 この後は継承式編半ばで遅れてTrue√に入る。
 True/Normalの分かれ目は、一つは封印が外れるかどうか。二つ目は彼女が戦える可能性を秘めていると知られた場合。こればかりは恋人が戦闘狂の宿命。戦える素質があるなら宝物でも鍛える。
 元々Bad1自体が雲雀さんバースデー記念に書こうとしてたネタで、唯一本編合流√になります。なのでオマケも糖度高め(当社比)。


雲雀恭弥
 焼きたてのクッキーのような、触れたところから崩れそうなぼろぼろの身体をした好きな人に、必要な儀式とは言え無体を働いた時が彼の人生で一番の修羅場。
 生まれて初めて自身の感応能力と体質を自分の意思で使った。
 死にかけた姿を夢に見て、その度に厳重に守られた部屋で横たわる少女の呼吸と鼓動を確認していたし、これからもたまにする。
 きっと、彼女が息を吹き返すことのない死体であっても、彼は必ず連れて帰った。

沢田名前
 雲雀のことは同年代の男子より興味趣味嗜好が戦闘に偏ってる真面目な優等生だと思ってる。実は了平も同じ枠。
 雲雀曰く軟禁状態でも素でのほほんとしてた。多分部屋が良すぎたのが原因。気分は旅館で湯治か修学旅行。

雲雀邸
 並盛では二番目の霊地に位置する。一番上は並盛神社で、後に地下に風紀財団の拠点が出来上がる。
 外観は和屋敷だが、何度か増改築をしていて殆どの部屋は洋風。屋敷の規模に対し、人の気配が驚くほど薄い。檜風呂がある。
 名前がいた部屋は畳の小上がりがあるフローリングの和洋室。寝具は怪我人なのでベッド。


20240204

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