マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘と魔法学校
3−1

満天の星が瞬く天蓋に、魔法で灯された蝋燭が煙るように揺らめく。
黒いローブを着た子供達が人語を話す帽子の礼装を被り、4つの寮に組み分けられていくのを深夜は興味深げに眺めていた。隣に座った青年は、白磁のような頬に影を落とす睫毛が縁取る、赤みを帯びた紺碧の眼を恍惚とした表情で見つめている。それを見かねた少女が革靴の音を響かせながら近づき、青年を押し退けその強引さとは正反対の令嬢然とした仕草で優雅に着席した。青年は突然遮られた事で正気に戻ったのか、夢から醒めたような顔で気不味げに席を立った。
ふ、と深夜の意識が儀式から逸らされ、目の前の少女に向く。

「ヴァルプルガ、おかえり」
「ええ。わたくしがいない間、変わりはなくて?」
「うん。特段、何も」

熱心に見つめられていたことなど一切気にも留めていなかった様子の深夜に、ヴァルプルガ・ブラックは密かに眉を顰めたが、すぐに頭を振って現れたグラスで唇を濡らした。
間桐深夜という人物は薄い面立ちからして珍しい東洋の人間だが、この世界の人間ではない。
異世界よりチェンジリングされた≪半妖精(ハーフロビン)≫であり、何よりあのパーセルマウスをも上回る希少さを誇る≪魔眼・妖精眼(グリムサイト)≫を持っている。
ヴァルプルガがその事実を知っているのは、深夜が彼女の生家であるブラック分家で保護されているからだ。妖精達に育てられ人の営みや常識に疎い節がある深夜を、同性であり魔法耐性が高いヴァルプルガはよく助けるようにと父から申しつけられていた。
魔法界では古くより『妖精の取り替えっ子に魅入られれば破滅するが、その血を組み込めば繁栄が約束される』という伝承がひっそりと残されている。

どの家よりも早くブラック分家が保護したことで、ヴァルプルガの本家嫡男との婚約は延期されている。在学中にはヴァルプルガの姉妹として家系図に記され、おそらく代わりに本家へと嫁ぐのだろう。
ヴァルプルガは、深夜の価値観や倫理観を人外から人へと戻し、しかし自我は薄らいでいるままに飼い馴らすためのお目付役を任されていた。ブラック家の永遠の繁栄のため。少なくなるつつある純血魔法族の母胎として。
そして深夜も、その役目を承知しているように思わせる節があった。
既に一部貴族に深夜の事情が広まっており、好意と僅かな畏怖を持ってスリザリンへ迎えられた深夜は、燐光の散る赤みを帯びた青い魔眼と高貴な気配すら感じさせる、幼い子供特有の中性的な美貌から、その自我の薄さも相まって一部の上級貴族出身の生徒達に愛玩人形の如く囲われていた。ブラック家の所有物としてヴァルプルガは可能な限りそれらから遠ざけようとしていたが。
一方で深夜の方はというと、上級生からの肌を触れ合わせるような接触も疑わず、厭うことなく受け入れていた。久しく忘れていた胎盤としての役割を求められたのだと思っていたからだ。

最初にブラック家へ連れて来た役人が魔法界とホグワーツの説明をした際、魔法族は特殊な力を持ったコミュニティで、地上を占める力を持たない人間達から身を隠している。ホグワーツは全国から集められた魔法族の子供達が共同生活を送りながら魔法を学ぶ場所であると、ホグワーツすら知らなかった深夜に噛み砕いて説明したことが却って誤解を生んでいた。ブラック分家の当主も、同席していたヴァルプルガもその誤解を感じていたが、思惑もあり今の所積極的に誤解を解こうとはしていない。

先ほどまで席を外していたのも、深夜を真夜中のお茶会に招きたいという上級生申し出を丁重に断っていた為だが、今も未練がましく深夜へ視線を送ってきている。ブラック家やマルフォイ家ほどではないが、それなりの歴史がある家の令息だ。監督中という名目はそろそろ厳しくなってくる頃に加えて、あくまでも分家であるヴァルプルガはブラック家と言えどもあまり強くは出られない。
精巧な白磁の人形のような貌は普段から表情があまり読み取れないが、組み分けの興奮から僅かに燐光が散っていた碧眼は、いつもの灼眼へと戻っている。
赤い瞳もまた、豊富な魔力を持っている証しとして古い魔法族ほど人気が高い。

「君が気にするほどのことじゃないよ」

不安が表情に出ていたのか、深夜がそっと微笑んだ。人を魅了する青さは消え、今はただ魔力の高さを示す灼眼だが、それでもやはり、常人の目に妖精の瞳は美しく妖しげに映った。


***


深夜は美貌もさることながら、その特異性は何よりも眼にあるとヴァルプルガは考えている。
一度発動すれば魔法の全てを見通し暴き、青い燐光の輝く美しい瞳。
パーセルマウスのように遺伝することなく、ただ妖精からの祝福のみによって授けられ、その希少さと美しさから研究者だけでなく蒐集家までも喉から手が出るほど欲している。
一説によれば、創設者の一人であるロウェナ・レイブンクローもその眼により叡智を授かっていたとか。
血のような赤い眼も、サラザール・スリザリンの象徴でもある為表向きは忌避されるが、赤い瞳はそれだけで魔力の豊潤さを表す為、貴族階級には受けが非常に良い。

その深夜の正面へと誘われるように座った今年の新入生もまた、優れた美貌を持ち赤い虹彩が見え隠れしている。
現にちらほらと彼に視線を送る生徒が、遠くのグリフィンドールにも見られた。純血に多い青褪めた肌だが、聞いたことのない家名だ。マグルとの混血か私生児、隠し子だろうとヴァルプルガはあたりをつけた。何よりマグル生まれや混血など、魔力が豊富だろうと魔法耐性の低い者はその眼の魔力に魅入られ易い。
じっと見つめ合う二人の様子を見ていたヴァルプルガは、はたと困ったように自分を見た灼眼の新入生と、その横で期待に満ちた表情で自分を見る視線に気づいた。

「わたくしは3年のヴァルプルガ・ブラックです。彼女は3年のミヤ・マトウ。可愛い新入生さん達、貴方がたのお名前は?」
「ギルベルト・フォウリーです。ミス・ブラック、貴女とお会いできて光栄に思います」
「トム・リドルです。先輩方、どうぞよろしくお願いします」
「ええ、よろしくね」
「よろしく」

フォウリーの名を聞いてヴァルプルガは道理で、と僅かに苦笑をこぼした。
貴族階級では下の者から上位の者に許可なく話しかけてはいけないという社交ルールが存在している。遥か昔、中世の時代に出来上がったマナーだ。
貴族階級の多さや見た目からスリザリンはそういった上下関係があると思われがちだが、元々創設者のサラザールは迫害の果てに東より流れついた流浪の民である。そういった独自のルールは、むしろかつて宮仕えの経験がある騎士出身のゴトリック・グリフィンドールの寮にこそ多くある。
古い家に残されたかつての手記からも、スリザリンはどちらかと言うと徹底した実力主義が敷かれていたことが伺えた。実際、一時期流行った寮内での家柄の上下関係は既に数世紀前から撤廃されている。対外的にはそう見せていても、身内で固まり保助し合うスリザリンには合わなかったのだ。
とはいえ、貴族の令嬢令息が多い為こうやって敬われる事自体、悪く思う者は少ない。フォウリー家子息からの入れ知恵だとしても、卒なくやっているこの新入生はきっと可愛がられるだろう。

「ねぇヴァルプルガ、私達もミヤとお話したいわ」

挨拶が済んだタイミングで後ろから声をかけられる。脳を揺らすような甘い声に、ヴァルプルガは一瞬眉を顰めた。
振り返ると見慣れた顔が揃っている。どうしようかと瞬きの間逡巡したヴァルプルガは、奥にまだ先ほどの上級生がいることを視認するとすぐに頷いた。

「ミヤ、お姉様方に失礼のないようにね」
「ふふ、ミヤは良い子だもの。大丈夫よ、ね?」

教え込まれた通りに貴族令嬢然とした微笑を浮かべた深夜は、お姉様方に手を引かれひっそりと廊下へと消えていった。
深夜の素性はヴァルプルガの父と本家当主が徹底的に隠している。それでも漏れたのはごく一部の貴族、それも特にブラックに近しい家だけである。
今深夜を連れて行ったのはブラック本家息女のルクリシアとレストレンジのお姉様方だ。ヴァルプルガはあまり良くは思っていないが、先ほどのどこぞの貴族とは違い、深夜の価値を正しく把握した上で遊びに興じている。そもそも、そういった教育はヴァルプルガにはできない事を見越しての声がけだった。
最後まで新入生を一瞥もしなかった彼女たちに気後れしたのか、おずおずとフォウリー家の子供がヴァルプルガに声をかけた。

「あの…ミス・ブラック、質問をしてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「今先輩方と席を外した彼女は、聞いたことのない家名ですが親しいのですか?」
「…そうですね、同室ですから」

その問いに、ヴァルプルガは本心から悩んだ。あくまでも義務という言葉がつく間柄で、特別親しいというわけではない。生来生真面目なヴァルプルガはその立場上、友人と呼べる関係の人間を作っていなかった。
一瞬答えに詰まったその間をどう受け取ったのか、したり顔で一つ頷いたフォウリーは目の前に現れたご馳走に興味を奪われたのか、他の新入生同様夢中でかぶりついている。

「ミスター・リドル、今日の食事はコース形式です。手付かずのまま下げられてしまいますよ」
「…はい、先輩」

同じ眼を持つ者は惹かれ合うことでもあるのだろうか。
深夜と同じ灼眼を持つ少年は、未だ深夜が消えていった廊下を見ていた。


***


ホグワーツに入学して以降、純血魔法族との触れ合いにより過剰な魔力を排出したことで、深夜は徐々に朦朧としていた意識が元に戻り始めていた。
深夜はこの世界に来る直前、死の淵から足を浮かせた所をとある英霊に霊核の一部を分け与えられたことで、その短い生を繋ぎ止めている。その英霊が持っていた縁がどこかで繋がり、この地へと渡った深夜は湖に住まう妖精達の世話を受け、妖精達の魔術と古き神秘を授けられていた。
その結果本来魔眼ですらない、ただ魔力を視るだけの妖精眼が伝承による補正を受け、より高位の魔眼へと書き換わった。さらに長年神代に近い真エーテルを注がれたことで自我が薄れ、半英霊化しつつあった肉体は人から地のモノへと昇華される寸前であった。

おそらくあのまま妖精の元で過ごしていたら、湖の乙女(ヴィヴィアン)の一種に成り果てていただろうと深夜は予測している。霊核を押し付けるように寄越した英霊は、そういうモノに縁がある男だった。
未だ波があるものの、意識が戻っている時は深夜は自分の状態も今までのことも正確に把握できている。魔力回路の乱れを調整された今、浮世離れしたまさしく妖精のような雰囲気は消え去り、本来の冷徹な魔術師然としたものに変わっていた。
自我が薄らいでいた頃は半分暴走状態で制御できていなかった妖精眼も、感情に左右されず自分の意思で≪発動/解除(スイッチ)≫できるようになり、今はもう殆どの時間、先祖と同じ昏く血のように赤い瞳が覗いている。

「ただいま、ヴァルプルガ」

ノックを三回したのち、深夜は返事を待ってからドアを開けた。
奥の寝所では古めかしいネグリジェに身を包んだヴァルプルガが、特注したという豪奢な寝台の上で本を広げていた。大きなそれから視線を上げ、黒曜石のような瞳が深夜を見上げる。

「お帰りなさい。今日は早かったのね」

新入生の組み分けの後、深夜が部屋に戻ってきたのはとうに消灯が過ぎた夜更けだった。
ヴァルプルガは昼間の人形然とした表情とは異なる、昏く底光りする灼眼と目が合い、思わず視線を逸らす。深夜の底の見えない洞を覗くような、この闇に近い存在を引き寄せる昏い目が苦手だったが、何より深夜に理性と自我が戻ってきていると認識することをヴァルプルガは避けたかった。

「いつも待ってくれてありがとう。でも、明日に障るといけないから早く寝るといい」

かすかに浮かべた笑みに、ヴァルプルガの顔は強張ったように固まった。空虚でない、意志の強そうな、赤い瞳。抑揚の少ない東洋的な、冷淡にすら思えるはっきりとした発語。
ヴァルプルガが深夜の自我が戻りつつあることに気づいたのは共に入学して3年目を迎えてすぐだった。しかし、彼女はそのまま父に報告することなく、気づかぬ振りをし続けた。
父からはマナーや一般常識だけを教え込み意思を持たぬ人形にするよう言いつけられていたが、深夜が見つかったのは未だ神秘の残る泉の森だとヴァルプルガは聞いている。そこで本物の妖精種に同胞として育てられていた魔力を持った子供が深夜だ。
≪妖精眼(グリムサイト)≫まで授けられ、本来ならとうに自我が崩壊して廃人となってもおかしくはない状態だったことも、彼女は知っている。

ヴァルプルガは狡猾なスリザリンだが、イギリス魔法族の王家とも呼ばれる家に生まれた者としての矜持があった。
自我は薄くとも、嬉しければ笑い、苛立てば不満げな顔をする深夜をヴァルプルガは見てきた。その彼女を人形に貶めてまで繁栄することは間違いだと、ヴァルプルガは初めて家の方針に反抗を見せた。
友人ではないが、貴族たる自分が庇護する存在だとヴァルプルガは深夜を認識している。だからもし、彼女が魔法界を去る事を望むなら、ヴァルプルガはその為の手引きをする覚悟もあった。三年間も共に過ごしていれば、それくらいの情は生まれる。

「……ミヤ、もし何か不自由があれば、すぐにわたくしに言うのですよ」
「ありがとう、何かあれば貴女に直ぐに言うよ」

ヴァルプルガ。天に瞬く星であり、聖人でありながら死に近い祝祭の名を持つ少女。
他者への興味の一切が欠けている深夜もまた、この少女のことは比較的気に入っていた。利用価値という意味でだが、滲み出る濃密な黒い魔力は心地良く、深夜の身中を蠢く蟲達にとって良い餌となったからだった。しかしそれ以上に、彼女の不自由な生き方はまるで記憶の底にいる妹にも似ていた。だからいつも、勝手に妹のように思ってしまう。

「君も、もしも助けて欲しいときは、私の名を呼んでね」

全部嫌になったら助けてあげたいと思うくらいには、生真面目さゆえに生きにくいであろう少女が好きだった。
子が欲しいと望めば、何とかしてやりたいと思うほどに。
自我と共に記憶も戻った深夜は、やはり母胎として求められているという認識は変わらない。その勘違いは訂正されることもなく、後に行動を共にするようになっていくリドルのことも、時折深夜と同じ赤い虹彩を見せたことから新たな胤として連れてこられたのだろうと思っている。

「今年もよろしくね、ヴァルプルガ」

少女の肌が、甘い毒水のような魔力を感知する。
僅かに身を強張らせた少女が、貴族の嗜みでもある曖昧な微笑を浮かべた。
両者は決定的な認識の違いを抱えながら、新しい学年の始まりを祝った。

非魔法族の世界では戦争の足音が近付いてきている、秋の出来事だ。




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