マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
1-13



 エレメンタリースクールの頃の丸く可愛らしいアズールの写真を見て触発されたのだろう。自分もと電子機器を駆使して親元から画像データを取り寄せわいわいとはしゃいでいる。
 その輪からそっと抜け出たユウは、背が破れ綿がはみ出したカウチに座る深夜の横へと腰をおろした。
「先輩、お身体は大丈夫ですか?」
 薄紅の唇が緩やかに弧を描く。「大丈夫」囁く声はヴェリヨンのように美しく澄んでいた。

 ユウは、魔法が魔法として存在するこの不思議な世界に来てから、自分と決めた約束がある。
 一つ、依存しないこと。
  ーー帰る場所を忘れないように。
 一つ、期待しないこと。
  ーー深入りしないように。
 一つ、価値を示し過ぎないこと。
  ーー利用されるだけにならないように。
 対価は対等に。取られ過ぎず、受け取り過ぎず。
 身一つで来たのだから、帰る時もまた身一つでなければならない。たくさんのお土産を抱えて帰ることができるのは物語と特別なお姫様だけだ。
 ずっと脳内を巡る自分の言葉が、この世界に馴染もうとする心を戒める。
「先輩は、どうして自分によくしてくれるんですか?」
「ユウの先輩だから」
 同じ島にあるもう一つの学園であれば模範解答の返事に、ユウは困ったように眉を下げた。
 善意をそのままに受け取ることが出来ないこの学園では、その善性がなによりも恐ろしい。
 ユウには何も返せるものがないし、知識だってこちらの技術とさして変わらない。科学で出来ることは魔法でも出来ると最初の授業で学んだ。
 並ぶとユウよりも少し低いところにある昏い色をした目は、穏やかに続きを促す。ユウは言葉を選ぶように逡巡した。「あの、」言いかけた言葉が喉で詰まる。
 ユウの立場は未だ不安定のままだ。学園内カーストは魔力が無い時点で最下層から動くことはない。けれど、金魚の糞になり切るほどの割り切りもまだできていない。
 その中で、片手で数えられるほどしかいない優しい先輩≠フ気を悪くさせるかもしれないという不安と打算、不透明な好意への猜疑心と恐怖が入り混じる。
 二人の間には積み重ねた日常も思い出もない。あるのは傷ついたユウを助けてくれたこと、契約の時に止めてくれたことだけ。
 全てユウの都合が良いように動いている。
 そうするだけの関係性が無い以上、優しくするのには理由がある。この深海に身を置く魔法使いにとって、ユウが持つ何かが有益なのだ。その何かがずっとわからなかった。
 けれど一つだけ、思い当たることがあった。
「もし、答えられないことだったら構いません」
 喧騒がユウ達を隠していることを確認してから切り出した。
 初めて会話した時のことだ。今まで忘れていたけれど、最近になって思い出した。あの時のユウは知らずとも、グリムやエース達と共に学んだ今のユウならわかる。
「ずっと、思ってたんです。先輩は自分とーー」
 同じ世界から来たのではないか。
 そう口を動かした途端、蝋燭が吹き消されたように、ユウの耳から音が消えた。
 ユウを覗き込む白い顔に落ちる影が水母のようにゆらめく。潜めた声は少年のテノールから少女のアルトへと印象を変えた。
「そう、同じ。私はユウの先輩だから」
 だから手を貸すし、手を伸ばす。かつて、誰かが慕っていたセンパイ≠フ姿をなぞるように。
 白く細い首を飾るリボンから下がる、蝶を模したタイブローチがきらりと瞬いた。

 
 
20230213

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