マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
1-11



 深海の底から水面を見上げるような夢の中、何度も名前を呼ばれたような気がした。

「ここ、は……ジェイド、フロイド……?」
「アズール。よかった……なんとかブロットの暴走は治ったようですね」
「ったく、手こずらせやがって……」
 アズールが目を開くと、絵の具が滲むようにぼやけた視界の中で青緑の丸いものが二つひょこひょこと動いている。きっとジェイドとフロイドだろう。アズールは動くといっそう眩む視界と痛む頭に顔を顰めつつのそりと起き上がった。
「僕は、何を……」
 しぱしぱと目を瞬かせると、手に馴染みのある冷たく細いものが渡される。
 ああ、眼鏡だ。これがないから良く見えなかったのだ。「アズール、何本に見えますか?」視線を上げるとジェイドがぼんやりとした肌色を振っていた。
 アズールは目を細めながら眼鏡をかけると「八本……?」と答える。眼鏡を通しても歪む視界と意識を叩くような頭痛は以前にも経験があった。身の丈に合わない魔法を使うとなる場合があるもので、魔力欠乏性貧血だ。
 アズールはジェイドの声を通り過ぎて辺りを見渡した。
 フロイド、レオナ、ラギー、ジャックに監督生。それから可愛げのない元イソギンチャク達。足りないものを探すように視線を彷徨わせる。
 何かが足りなかった。ラウンジの薄青い間接照明が水中を模して光のベールのように揺れている中を行ったり来たり。それが、まだ意識が朦朧としているように見えたのか、ジェイドが心配そうな気配でアズールの背を支えた。
「大丈夫ではなさそうですね」
 無意識のうちに紺青を探していたと気付いたのは、フロイドが声を上げた時だった。
「ジェイドヤツメちゃんも目ぇ覚ましたよ」
 この一年ですっかり馴染み、四人でいることが当たり前になってしまった小さな学友。監督生に支えられながら起き上がった顔は、いつもよりも血色が良く見えた。
「シンヤ? いったい何が……」
「魔法の使い過ぎでオーバーブロットしてしまったんです。覚えていませんか?」
「僕が?」アズールが怪訝な顔で聞き返す。自身がオーバーブロットしたことも、そうであればこうして生きていることも信じられなかった。
「僕に力をくださいよぉって泣きながらみんなの魔法吸い上げてさぁ。無理って分かってんのにヤツメちゃんまでタコ足でがっちり抱えちゃって。ちょダサかった。ちょっとゲンメツ」
「それでシンヤはアズールの蓄積許容量を超えて溢れたブロットを許容量以下になるまで吸い上げながら、同時に魔力供給を行っていたんですよ」
「その供給元は俺だがな」
「いや元はと言えばトド先輩のせいじゃん」やけに得意気なレオナをフロイドが胡乱な目で振り返った。
「ま、コツコツ集めてきたモンを台無しにされたらそりゃ怒るッスよね」
「やっぱり、悪徳商法過ぎたんじゃない?」
 そうだそうだ、と自分の契約違反を棚に上げたグリムが賛同する。ジャックがそもそも契約した方が悪いと元イソギンチャク達へこんこんとお説教を始めた横を通り過ぎて、ユウと深夜は座り込むアズールの横へと腰を落とした。
「ヤツメちゃん動いて平気なの?」
「うん。こう見えて、アズールより鍛錬はしてるよ」
 白く細く、容易く折れそうな腕が力瘤を作るように動く。今にも余命宣告を受けそうな青白い顔からは想像も出来ないが、飛行術の授業では誰よりも軽やかに飛ぶ姿を知っている。
 氷のような肌に浮かぶ、深海が如き暗く昏い眼。
 けれどその中で星が瞬いたのを、アズールはたしかに見た。
 思わず掬った顎は容易く上向き、瞠いた藍銅は人工的な明かりの下に晒される。途端に上がるきゃあという野太い悲鳴が耳に引っかかるが、周囲の喧騒はすぐに意識の外へ。アズールの耳から急激に遠ざかった。
 ……もう少し、近くに。
 思えば、青い瞳に赤雷が閃く瞬間が好きだった。初めは魂のない人形のようで気味が悪いとさえ思っていたけれど、その時だけは生きている人間であると実感することができたから。それに、陶磁の人形のような白く美しい貌が火照りで色づく姿は人魚の目から見ても美しく、迸る魔力は眩むほどに鮮やかなのだ。人魚は総じて美しいモノを好む。
 何か見えそうで見えないもどかしさのままぐっと近づく。
 そこに見えたのは、海の底に落ちた銀食器ではなく、すっかり混ざり合った海と空の先で輝く一等星。
 海面を目指した人魚姫が見上げた空はきっと、こんな色をしていたのだろう。
「ずっと、海の底だとばかり思ってましたが……あなたが映していたのは、空の果てだったんですね」


20230211

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