マキリの幻蝶 / Fate/fall butterfly
scene13
◇
十六日目
二月十五日
「……ところで、間桐桜はいいのか? 今頃、実の姉と殺し合いをしていることだろうが」
「平気よ。だってーー」
遠坂の当主は、もう桜を殺せないから。
観測した結果を読み上げるように深夜は淡々と告げた。
夏に吹く冷たい風が吹いた時のように。さかしまの虹が空にかかったように。その後に雨が降る予測を立てるのと同じように。
「遠坂凛が本気で桜を殺すなら、あの雨の日が絶好のチャンスだった。あの子は殺されてもいいと思っていたし、その隙もあった。たとえ衛宮士郎が拒み争うことになったとしても、あの場に限っては全ての優位性は彼女にあった」
けれど、そうしなかった。
それだけでなく、寝込む桜を生かし、成長を黙認した。
「あれで、桜を殺せると思っているのが不思議ね」
「それは私も同感だ」
直後、聖言が刻まれた黒い鍵と汚染された鍵(つるぎ)が甲高い音を立てて交わる。魔力の染み込んだ鉱石がぼんやりと光る薄闇の中、弾けた火花は影絵のように二人の姿を浮かび上がらせた。
「Es trifft(声は満ちる)ーーMeine blut dringt(私の翅は) in die erde ein(地を覆う)」
影が躍る。深夜の宝具でもありスキルと化した、触れたものを自らの武器として侵蝕する黒い手。黒鍵に触れた感覚に反射で手を離すと、そのまま踏み込んだ綺礼は重い拳を薄い腹目がけて撃ち込んだ。
直前に拳との間に割り込んだ影の剣が甲高い音を立てて割れる。直撃することのなかった衝撃は、けれど深夜を岩壁へと叩きつけるようにその痩身を弾き飛ばした。同時に、綺礼の筋繊維がいくつか裂けるのを感じる。
「なぜそこまでイリヤスフィールに拘る。貴様には間桐桜(黒い杯)があるだろう」
取り出した持ち手から精製された黒鍵を両手に持つと、神父は黒い影を纏う十年前から変わらぬ容貌の娘へと問いかける。
「わかりきったことを」
冷ややかな声は本体ではなく地に落ちた影からも聞こえた。
「そうだったな」
綺礼は皮肉気に口角を歪ませた。
衛宮士郎は間桐桜を、間桐桜は間桐深夜を、間桐深夜は聖杯の器(イリヤスフィール)を、イリヤスフィールは衛宮士郎を。それぞれがそれぞれの生存を望み、けれど決して交わることはない。振り返ることもない一方通行のすれ違いとは、なんともまぁ難儀なことだ。
影も笑うように歪みうねる。娘の身体を包み込み強化しているそれは、魔力に反応した夜光石の微かな灯りでその異様さを露わにする。
まるで、歪な影の英霊のようだった。完全な形を成せないそれは蛹になる前の芋虫にも似ているが、その輪郭は言峰にとっては既視感を抱く姿である。
初めて愉悦の何たるかに触れ、知った時を思い出す。
「……前回のバーサーカーか。協会が知ればただでは済まんな」
憑依英霊、その成功例。臓硯と同じく、もはや人とも霊体ともつかない怪物だった。
ランサー。
キャスター。
バーサーカー。
前回のアーチャー。
アサシン。
それにセイバー。
ライダーを除き六騎の英霊の魂が間桐桜に揃っている。間桐深夜(デミサーヴァント)を含めると七騎。すでに聖杯の可動には十分過ぎるほどの魔力リソースだ。
そこまで駒を進めておきながら、なおも間桐桜を使おうとしない深夜に疑問を抱く。間桐臓硯であれば用が済んだ壊れかけの精神なぞ食い尽くしてその肉体を手に入れていただろう。臓硯にできて後継者である間桐深夜ができない筈がなかった。そうしないということは、
「そうか……貴様、一人でマスターとサーヴァントの役割を担うつもりか」
イリヤスフィールから権限を奪い、膨大なリソースを使って間桐桜(マキリの杯)と間桐深夜(大聖杯の一部)を切り替える。確かにアンリマユごと移し替えてしまえば、我慢強い間桐桜は助かるだろう。
通常の魔術では不可能だが、聖杯ほどのリソースを使えば可能だった。綺礼も同じことを衛宮士郎へと提案していたほど、確実性は高い。
切除した後のことを、考えさえしなければ。
「間桐深夜が生まれた理由は聖杯(ユスティーツァ)だけれど、わたしは桜の生存を望んでいる。でも、今の桜はもう一人では立てない。だから私が翅になる。あの子が自分の居場所まで戻れるように、陽の下にかえれるように」
そのために、間桐桜に巣喰うものを、己に移植するという形で切り離す。
「なるほど、それは妙案だな」
切除したそれは、死産という形で世に生まれ落ちるだろう。言峰の望み通りに。だから綺礼は何も言わなかった。
だが、その行き先が間桐深夜であるならば、話は別だ。
間桐深夜の本質は死んだ繭である。
彼女の肉体は十年前の聖杯戦争で泥を浴びて死んでいる。そこへ聖杯に回収されつつあった英霊による強い祈りと呪いが、彼女の魂を肉体に繋ぎ止めてしまった。
霊格譲渡による蘇生。
壊れていた循環装置(生殖機能)。
変容という稀有な起源。
僅かな奇跡と偶然が重なり、彼女はその身を半英霊(デミサーヴァント)として蘇らせた。
永遠の蛹、死んだ繭。飛び立つことのない蝶の夢を間桐深夜は見続けている。決して割れることのない蛹の中で、生きているのか死んでいるのかすらあやふやなまま。
その身体は次へと繋ぐ機能を有しておらず、胎の中へと取り込まれたが最後、アンリマユは決して生まれ落ちることも表層へと浮かび上がることもない。間桐深夜の死によって再びこの世から失われる。割れることのない繭の中で、今度こそ永遠の眠りにつく。
「だが、それでは困る。私は私の問いの答えを得なければならない」
言峰綺礼の望みこそ、アンリマユの誕生なのだから。
暗闇の中、細い首目がけて投擲された黒鍵が閃いた。
20221214
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