マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / 
ヒスイの姿02



 甘い蜜の香りを纏う、青白く美しい顔の少女を連れて村を歩く。
 どうやら他の人間には黒い影法師のように見えているようで、呼び止められたショウは、その度に新種のゴーストタイプと答えていた。今のところ、異国の黒い甲冑に身を包んだヒトのように見えているのはショウだけだ。
 博士にも新種のゴーストタイプとだけ伝えた。外を見たがるからボールには入れていないと。
 その説明に何か納得できるものがあったのか、ゴースの新たな姿かその近縁種と思われたようで、形状の違いやガスの採取といった検査を一通り受けた後、ショウと彼女はやっと解放された。
 本部から出ると、日はもうすっかり落ちて砂を散らしたように星が瞬いていた。

 ボールには入るが、入れたそばからボールが黒く炭化し出てきてしまうことは、結局報告できなかった。




「所詮は他所者だものね」
 温度のない、凍土の雪のように冷たい声が響いた。
 真夜中を思わせる深い色の髪が靡いてショウの顔を翳らせる。普段の豊かな表情はその色を潜め、日焼けを知らない色白の顔には張り付けたような薄い微笑が浮かぶ。
 冷えた声音に滲むのは、どこまでも平らに、丹念に叩きつけられてきた諦念だ。
 信用を得ろ。
 価値を示せ。
 どれだけ村に貢献しても、異邦人であることを理由に石を投げる者はいる。だから命を削って証明しろ。
 それができないのならのたれ死ね。
 なぜなら、この人間は時空の裂け目から現れた余所者だから。
 ……他所者なのは、あなた達も同じじゃない。
 誰かが記した古いポエムを紐解きながら浮かんだのは、そんな悪態だった。口に出すことは絶対ないけれど。
 郷に入れば郷に従え。その言葉通り、ショウはショウなりに考え、命令に従い、与えられた任だけでなく自ら率先してコトブキ村の人たちのお願い≠ニ依頼≠遂行していった。己を抑え、ただひたすらに望まれるように奉公していたのだ。けれどその結果がこれだ。
「もう、疲れたな」
 ショウは周囲を見渡した。村人はみな異物を見る目でショウを見ている。デンボクもシマボシも、ラベン博士にテルですら畏れの滲んだ眼差しでショウを見る。
 だから、その言葉を投げられた時、ショウの中で何かが軽くなったのを感じた。
 ここまでやってダメなら、もうそれでいいやと。
「私の目的は元の世界に帰ること。それは変わりません。だから、私は私のやり方でこの先も進み続けます。疑うならどうぞご勝手に。悪いこと、不吉なことは全て私のせいにしてください。短い間でしたが、お世話になりました」
 一息に言い切ったショウは、酷く黒ずんだボールを手に踵を返した。
 もう心は決まっていた。

 後には、甘い蜜の残り香だけが残っていた。





図鑑No.--- バーサーカー<研究不足> ゴースト?
 重さ 42kg~
 高さ 1.55m~
好きなエサ
 甘い蜜
 逕溘″迚ゥのちから
持っているもの
 縺帙>譚ッの欠片
 黒い豕・

研究レベル 4
 蜿ャ蝟されたばかりの繧オ繝シ繝エ繧。ント。
 現在調査中。閨匁擶タスクをこなして
 この蜊願恭繧後>の縺弱@繧ュを完成させよう。



「ショウさん!」
 相棒のボールともう一つだけを持って、自分の足と意志で村を出たショウを迎えたのは、空の色を写し取ったような青い衣服に、三日月色の髪の青年だった。
 駆け寄った男はショウのあまりにも少ない荷物と曇りきった眼に僅かに眉を顰めたが、いつもと変わらぬ声と口調を意識して声をかけた。
「探しましたよ! 大変な目にあわれましたね……事情は知っております。ジブン、優秀な商人ですから」
 手振り身振りの明るい声は、まるで味方だと示すように労わりに満ちている。そのことに、覚悟はしていても多少なりとも落ち込んでいたショウの気分が僅かに上向いた。
「ウォロさん……すみません。図鑑、もう見せられなくなってしまいました」
 ショウの暗い色の目がじわりと滲む。コトブキ村に来た当初、ウォロと交わした約束。
 置いてきた元の世界の服よりも、村人に預けたポケモンよりも、残ったままの依頼よりも、それだけが心残りだった。
 ショウの荷物はボール二つといつの間にか懐に入っていたアルセウスフォン、それから容量の少ないポーチだけ。他は図鑑も何もかもを置いてきた。
「博士とテルだけじゃ、多分完成しないから……」
「何を言うかと思えば……いいんですよ。それは後々の楽しみに取っておきますから。先ずは何より、こうして無事に村から出られて良かった。それに今後のことだって考えなければ。ショウさん、どこにも居場所がなくなったのでしょう?」
「はい。でも、調査途中で見つけた比較的安全な場所があるので、暫くはそこで野営をしようと思ってます」
 ショウは何も、考え無しに飛び出した訳ではなかった。予め各地域に人目につかない奥まった空間を探し、目星をつけていた。これから向かおうとしていたのもその一つだ。
 紅蓮の湿地の奥にある花畑。かつてバーサーカーがビークインと共にいた場所だ。
 そこなら花の蜜やきのみも豊富にあるし、ビークインによって攻撃的なポケモンから襲われる危険性は一番低い。懸念事項でもあるコンゴウの里山からも距離があり、集落の人間達もそう近寄ることはない。そもそもそんな場所があると知らない可能性だってある。
「……アナタが仰る通り、ギンガ団もコンゴウ団もシンジュ団も、皆ヒスイ地方の全てを知っているわけではありません」
 ショウに野営の技術を教えたウォロも、ふむ、と納得するように頷いた。安心させるように二、三挙げられた居場所の候補は、ウォロの知っている場所もあれば知らない場所もあった。ショウが言う通り、暫くは安全だろう。
「ですが、今のショウさんの状態で野営は、心身ともに疲弊するだけです」
「……針の筵よりかは、マシです」
 消え入りそうな声で呟いたショウの、いつにないほど弱った姿に、ウォロは僅かに息を飲んだ。迷子の顔で前へと進む姿に、瞬きほどの間に遠い昔の記憶がよみがえる。「大丈夫です」気がつけばそう、口を衝いて出ていた。黒絹の隙間から夜明け前の空が見上げてくる。
 ウォロは一呼吸置いて警戒するように周囲へ視線を滑らせると、声を落とし、秘め事めいた仕草でショウへと顔を寄せた。
「大丈夫。いいところを教えますよ、ジブンにお任せください」
 にっこりと笑う、胡散臭いまでの笑みだ。
「……いいんですか?」
 ショウは不安気に眉を下げて首を傾げた。
 ウォロは商人だ。いくら好奇心の赴くままに仕事から抜け出しがちであっても、村に出入りする行商の一人としての立場もあるだろう。
 ショウに肩入れすることは村を纏めるデンボクの面目を潰すことにもなる。そのデメリットを上回るものが、ショウを手助けすることで何か得られるのだろうか。
 不安と疑心、安堵が織り混ざったようなショウの眼差しに、ウォロの笑みに苦いものが混ざる。「ええ。……お得意様がいなくなると、ジブンも困りますからね」
 そう言って手を掬い取った男は、ショウではなくどこか遠くの違う誰かを見ているようだと、ウォロを見上げるショウはぼんやりと思った。

「先ずは、それをなんとかしましょうか」
 ウォロの視線がショウの目線から僅かに上がる。凍土の吹雪の中、激しい戦闘を繰り広げた直後に追い出された。髪も服もぼろぼろで、村から出てすぐに今まで使っていた髪留めも壊れてしまい、まさに亡霊のような様相だ。
 ウォロが検分した限り、身体にも擦り傷がいくらか見当たる。
「少し歩くので、今手当てしましょう。傷薬は足りてますか? 後できっちり請求しますので、足りない分は仰ってくださいね」
 ショウが軟膏を塗り広げる間、ウォロは乱れたままの髪を手に取った。毛先が乾いているが、元の世界ではよく手入れがされていたことが窺える、黒絹のような髪だ。そこに、何本か手に取った結紐を当てていく。
「見ての通り、ジブンも適当なので髪結いほど上手くはできませんが」
 にっこりと笑ったウォロの手の中に一つだけ残った、段染めされた灰色の濃淡の中に光る銀糸が美しい紐にショウは目を瞬かせた。見るからに高価そうな品に、良いのかとウォロを見上げる。今のショウには払える貨幣が殆ど残っていない。
「頑張るアナタへのささやかな贈り物……まぁ、今後ともご贔屓にってヤツですね」

「ありがとう、ございます」
「……本当に気にしないでください。アナタと古代の謎を解き明かす旅も悪くないと思ったのは本当です。どうやら、思っていたよりアナタを気に入ってもいるようだ」




「ウォロさん、ごめんなさい」
「どうしたんですか、突然。ジブン、アナタに謝られるような覚えはないんですが……あ、もしかして食料のことですか? でしたらお気になさらず」
「いいえ。私、ウォロさんが酷く嫌がることをきっといつかします。だから先に謝ったんです。ふふ……狡いことをしました」
「……ええ。それは、とても狡いですね」
 今更で、お互い様だということは、ウォロは黙っていた。
 ショウも許されようと思っての発言ではない。ただ、言い逃したことを心残りにしたくはないという自己満足からの発言であることを、ウォロもショウも知った上でのやり取りだった。
「なら、ジブンも謝っておきましょうか」
「ウォロさんも酷いことをする予定が?」
「その言い方だとなんだか語弊がありますね! でもまぁ、そういうことです。その時になったらきっと謝らない。正直、今も謝るつもりはありませんが……ジブンの理由と、アナタの事情は関係ありませんから」
 だから気にすることはないと、ウォロは揺れる銀の髪紐から目を逸らした。




 よく晴れた冬の山。たどり着いた神殿はかつての荘厳さを失い、折れた柱はまるで槍の様だった。ただ一つ変わらないのは、今も昔も人の手の届かぬ天の冠の名に相応しい景色だけ。
 思えば、遠い旅路だった。
 いくつもの地方を訪れた末に、戻ってきた故郷。
 そうして感傷に浸っていたせいだろう。だからふいに、口が滑った。
「アナタは、ここで何が起きても、絶望することは無さそうですね」
 はっとして見下ろすと、黒真珠の瞳は続きを促すようにじっとウォロを見上げている。
 年若い少女に似つかわしくない、沢山の苦難と悲嘆で磨かれた美しい眼差しだ。同じものを何処かで、かつて見たことがあったことを思い出す。
「……アルセウスに選ばれたことが、このヒスイの地にいることが、それほどまでに苦痛でしたか?」
 輝く黒真珠。故郷を失くした者達と同じ、絶望の中にいる目。それでも輝きを失わなかった夜の空。ーーかつてのウォロと、同じものだ。
「そんなこと、は」
 ショウが僅かに口籠る。それが答えだった。
「アルセウスに挑もうとしたギラティナを探し出し、時空の裂け目を開けさせたのはワタクシです。壁画に残されていたように、全なる神の欠片を集めさせたのも」
「え……?」
 神の欠片たるプレートは十八枚。ショウの手元には十七枚が揃っている。これはあと残り一枚を探す、最後の旅だった。
「お察しの通り、残り一枚はここに在る……さあ、それらをよこしなさい。全てのプレートを揃えるのはワタクシだ。ここまで来て、今更アルセウスに会いたいという好奇心を抑えることなどできない!」
「それだけですか?」
「……はい?」
「あなたも、何か願いがあったんじゃないですか? 創造神に会いたいだなんて大願を抱く理由が、好奇心だけのはずないじゃない」
 忘れさせられたのか、長い旅路に摩耗してしまったのか、意図的に隠しているのか。手段を目的として語る男への違和感をショウは抱いていた。
 ウォロには、会ってどうしたいという理由がない。そこへ至る動機を語らない。
「いつだったかウォロさん、言ってましたよね。辛いこと、悲しいことがあるとその理由を考えるって。あなたにも、どうしてもアルセウスに会わなければいけない理由があるんじゃないですか」
 ショウが抱く、元の世界に戻りたいという願いと同じように。

「ウォロというヒトの、本当の目的をお話ししましょうか」
 ごうごうと風の音が響く。一つ小さく息を吐いたウォロは、薄らと笑みを浮かべてそう切り出した。
「ワタクシの目的はアルセウスに会うこと、確かにそれは、間違いでも誤魔化しでもありません」
 ……ただし、より正確に言うのなら、会って従えること。そうできたなら、その全能の力で以って、今より良い世界を創造する。
 争いも飢えも苦しみも存在しない世界へと作り変える。
 誰も血を流さない。悲しみの涙を落とさない。苦しみに喘がない。
 そんな、夢のような楽園へと。
「ワタクシは、ただそれだけを考え行動してきました。……もっとも、世界を改めて創造するならヒスイの地は一瞬にして無となる。ワタクシも、アナタも、アナタの知る人やポケモンだって存在しなかったことになるでしょう。けど、」
 それでも、これがどうしても捨て去れない願いだったから。




「なぜ、なぜなのだ。大いなる存在として心酔しているワタクシではなく、心を病むまで嫌がる子供が選ばれた」

 他所者めと、ウォロは吐き捨てるようにショウの前に佇む黒衣のヒトを睨め付けた。
「時空の裂け目から落ちてきたのはこの時のためか!?」
「いいえ、まだ終わりではありません!」
「感じませんか? 心胆を寒からしめる異様な気配を!」
 ウォロの背後に、墨を一滴垂らしたような黒い染みが浮かぶ。それはじわりじわりと空に滲み出し、窓となり、黒い影が這いずり出た。
「さぁ、ギラティナ! あれがアルセウスの選んだ憎き巫女だ。打破せよ!」


「逃げるとはなんと不甲斐のない! オマエがアルセウスに挑むというから力を貸してやったというのに! 時間、空間の神を狂わせ創造神を引きずり出すために時空の裂け目を開けるきっかけを作ってやったというのに!」
「なぜだ……なぜなのだ。アルセウスよ、心あるならば教えてくれ。古代シンオウ人の血を引くワタクシの何がダメだというのか!」
「そもそもこの世界は創造しなおす必要などないのか? 侵略に迫害、破壊、これほどの悲劇に満ちた世界が正しいとでも……?」
「このような時でも、ワタクシは好奇心を満たさねばならない。ショウさん、アナタには夢があるのか?」
「はい」

「そうか……アナタのその夢はワタクシとは相容れない。ワタクシはポケモン使い。アナタはポケモンとともに戦うもの。ワタクシは結局ひとりでしたが、アナタは違う……そう思っていました。でも、どうやら違ったようですね」

「これはワタクシの物語の始まり。ギラティナから受け取ったプレートです。ワタクシの物語は今の敗北で幕を降ろした、だからもう不要なものです。……これで、全てのプレートが集いましたね」
 渡されたプレートを手に取ると、服に忍ばせたカミナギの笛が熱を帯びる。ショウの手の中で細長い管は膨らみ、色を変え、新たな姿へと転じた。
「それは……まさか、てんかいの笛……アルセウスはアナタと会うつもりなのか。まさかそのために、ワタクシに裂け目を開かせてアナタを招いた……?」
「呼ばれたのは選ばれたアナタであってワタクシではありません。アナタがアルセウスに勝利するなど認めるわけにはいかない……いつの日か、ヒスイ地方のポケモン全ての神話、その謎を解き明かしアルセウスに会ってみせる! いえ、従えてみせる! 何年、何十年……何百年かかったとしても!」
 
「行きなさい、その資格がアナタにはある」


「ウォロさん、私は帰ります。何を犠牲にしても、たとえ、この地に住まう全ての悪意を向けられようとも」

「ここに五匹のポケモンがあります。創世(さいしょ)の神から分たれた二つの権能(ぶんしん)、三つの分霊(いのち)。そして、これから会う全能の神(アルセウス)。これらを捧げて、私は再びあの天を越える」

「おねがい、バーサーカー。私をかえして」


「魔術回路拡張。根源への路、解放」




「ウォロさん。最後に一つ、いいですか」
 天の冠。てんがんの上に開いた孔は、大きな目のようにヒスイの地を見下ろしている。
 そこへ導くように連なる白い光の階段に足をかけたショウが、ウォロへと振り向いた。
「私との旅は、楽しかったですか」
 きらきらと輝く黒真珠。伸びた髪は出会った頃よりも僅かに長く垂らされている。村の髪結いが黒絹のようだと褒めていて、終ぞ染めることはなかった。
 その上で揺れる、銀糸が織り込まれた結紐が目に映る。
「……まあ、悪くはなかったですね」
「なら、よかった」
 ショウは少女らしい笑みを浮かべると、そのまま開かれた扉へと身を躍らせた。



 ーー図鑑データが完成しました。

図鑑No.--- バーサーカー ??? ノーマル

 重さ 42kg~
 高さ 1.55m~
好きなエサ
 甘い蜜
 生き物のちから
持っているもの
 聖杯の欠片
 黒い泥

研究レベル 完成! 1◆
 召喚されたばかりのサーヴァント。
 現在調査中。聖杯タスクをこなして
 この半英霊の儀式を完成させよう。

 狂戦士の デミサーヴァント。
 魔力が 集まると 体内に 埋め込まれた
 欠片により 異界の大聖杯を 召喚 起動する。

20230212

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