マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
1-10



 相手の攻撃を逸らすユニーク魔法が使えるフロイドを防衛の要として、深夜が解放するつもりのないレオナを指揮に、前衛をジェイドが担うことになった。魔法が使えないユウは余裕がある分、飛んでくる魔法の指示を。一年達はとにかくガンガンいこうぜ。
 とは言え、元より魔力量が多い人魚による魔法の応酬の余波は凄まじい。
 ジェイドがマジカルペンを振り下ろす先にあったテーブルは砕け、アズールの影から伸びる魔力の触腕はひと払いで柱にひびを入れた。互いに一切の躊躇も遠慮もない。攻撃をするどころか、味方からの魔法を避ける羽目になる程だ。
「ーー声は清かに。私の翅は地を滑る」
 飛び交う呪文に隠れるようにして深夜も魔術を紡ぐ。
 魔力と混ざり合う影を白い指先が摘み上げるように動くと、液体化したブロットに塗れた手のひらから魔力で編まれた使い魔がふわりと飛び立った。
「行きなさい」
 泥から飛び立つ蝶のように、壁を走り回る影絵のように、幾多の影が深夜の手から放たれる。それらはレオナ達を守るようにアズールの魔法へと自ら飛び込み次々と相殺していく。
 それを見たレオナは舌を打った。劣勢に焦るアズールがめちゃくちゃに振りまく攻撃魔法の余波で陣が壊れることを期待していたからだ。
 瞬く間に魔法が入り乱れ激しさを増す攻防に、盾としても最前で立つジェイドは「おや、困りましたね」と興奮に浮ついた声で微笑った。いつもの生ぬるい試験や取り立てとは訳が違うのだ。
 殺さなければこちらが死ぬ。
 倒さなければアズールも死ぬ。
 高まる緊張と高揚に、歌うように呪文を紡ぐ口元は次第に口角を上げていく。
「ジェイドぉ、笑ってる場合じゃねぇんだけど」
 兄弟が嬉しいと自分も嬉しい。だがそれはそれとして確実に嵩んでいく修繕費という現実に、フロイドは真面目にやれと片割れに飛んでいく魔法をギリギリで逸らした。すると、間髪入れずにアズールの背後に広がる黒い触腕から三叉槍(トライデント)が放たれる。溢れ出るブロットで構成されたそれを、フロイドはユウ達に当たらないようユニーク魔法を駆使して弾き返した。
 反発する魔力はマジカルペンを通して握る腕にも伝ってくる。感じたことのないびりびりとした痺れに、フロイドの肌に汗が浮かんだ。
「ブロットが実体化し始めたな。急ぐぞ」
「あっぶねぇ。トド先輩の時もあんなの出たの?」
 マジフトの大会の時、フロイド達は現場にはいない。リドルの時もだ。これが初めて目の当たりにしたオーバーブロット、それも仲間の姿に嫌な汗が噴き出る。
 愉しげに顔を歪める片割れと均衡を保つように、今のフロイドは珍しく冷静だった。
「さあな。リドルの時はあれが大暴れしたそうだが」
 制御を失った槍は大きく宙を舞いアズールの背後で蠢く触腕へ刺さると、甲高い金属音のような悲鳴が空気を震わせた。
 ブロットでできた槍は形を失いびしゃびしゃと水音を立たせながら墨のように黒い液体へと戻っていく。夥しい量の血液と見紛うほどのブロットはすぐに逆再生するかのように宙へと戻ると黒い触腕へと変換されーー
 硬直したように固まると、吸い込まれるように消えた、ように見えた。
「……」
 おや、と思う。前線にいるフロイドとジェイドはそれどころではなく、まだ気が付かない。もしかしたら、深夜を警戒するレオナだからこそ気がついたことだったのかもしれないが。
 訝しむレオナが凝視すると、確かに少しずつ脚が増えているし、まるで蛸足の大魔女のように形作られているようにも見える。
 背後で蠢く巨大なそれらは、オーバーブロットによって生じた影である。自身の心の闇を具現化したようなもので、蓄積許容量を超えたブロットが形を取ったものだ。
 けれど、アズールのオーバーブロットでは、その構築速度もブロット汚染もあまりにも遅かった。
 そうだ、まるでーー
「つーか先輩はなんで捕まってるの!?」
 エースの声に、ぐるぐると巡る思考が中断される。そこで、はたと気付いた。
 トカゲ(マレウス)ほどではないにしろ、毒虫と嫌悪していてもその実力は認めている。アズールが欲しがっても、自身には使えないと入手を諦めた強力なユニーク魔法、それがあったからこそ、一番近くにいた不運で偶然捕まったのだと思っていた。
「……まさか、アズールのブロットを代わりに受け持ってるのか?」
 だが、今のアズールの状態はまるでーー穴を開けた水道管から出てくる水のように、外へ侵食するブロットの量が少ない。
「はっ……」
 渇いた笑いが漏れる。
 いくらブロットを生成してもそれが魔法士の体内に蓄積されなければオーバーブロットは起こさない。そもそも、通常は魔力切れを起こす方が先だ。それが魔法士が魔法石を持つ理由の一つでもある。ブロットを体外へ排出するなんて、新たな器官を作るような夢物語だ。
 つまり、理論上は可能である。
 それが実現可能な技術かはさておき。
「回路(パス)に干渉なんざ、正気の沙汰じゃねぇな」
 本来は背後の怪物にブロットが流れるようになっていることを知るレオナは、うんざりしたように息を吐いた。だから毒虫は嫌いなのだ。
「リーチ共、遊んでる場合じゃなくなった。下手すればアイツもオーバーブロットする」
 レオナを守るように陣の前に立つラギーがレオナへと振り向いた。
「えっ、どういうことっスか?」
「俺から吸い上げた魔力を与えて魔力切れまでの時間稼ぎかと思ったが、違ったらしい。アズールのブロット、間違いなくシンヤが吸収してやがる」
「え……それ、一歩間違えば二人ともヤバいんじゃ……」
 ヤバいなんてものではない。
 一度経験したレオナだから分かったことだが、背後の怪物は魔法的に繋げられた臓器のようなものだ。
 それを弄り別の循環を作るなど、言わば外科手術と大差ない危険なものである。加えて誰にも気付かれることもなく、大掛かりな詠唱と陣の敷設もなく指先と意識一つで成したことに、レオナは背筋に冷たいものを感じた。
 それができる技術を持つ者が、方向性は異なれど同じモノを己にかけているのだから。
「トド先輩が何心配してんのかわかんないけど、ヤツメちゃんは多分大丈夫」
「あ?」
 何の根拠があって大丈夫なのか。ただニタリと魔物の貌で笑うフロイドにレオナはそれ以上口を挟まなかった。ただ、これは早くしなければ自分が危ないということだけは確信できた。
「まぁいい。……おい、グリム貸せ。吸われてる分魔力が足りねぇ」
 レオナの目配せに察したエースが風魔法を防御するものへと切り替えた。「守備交代っと」「は? カニちゃん勝手に取んなよ」僅かに気が逸れたフロイドのユニーク魔法が場外ホームランを決めるのを横目に、レオナはようやく解析が終わった術式の対象を己からグリムへと繋ぎ変えた。
「ふなっ!? 何するんだぞ!?」
 黒い洋墨の蝶が舞う中、水と炎と風の強大な魔法が爆発するように弾けた。


20230205

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