マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
1-9




「その通りだ、アズール」
「ーー全部、全部僕によこせぇ!」
 アズールの絶叫に呼応するように、黒く塗り潰したような影が広がった。零した洋墨のように、周りを取り込み生い茂る蔦草のように。
 それに触れた、周囲を取り囲んでいたサバナクロー生が次々に膝をついていく。人が倒れる重い音が横からも、後ろからも聞こえてきた。
 思わず振り返ったラギーは、サバナクローだけでなく先ほどまでイソギンチャクを生やしていた者、モストロラウンジに客として居合わせた者、その全員が倒れているのを見た。中には失神して痙攣しているものもいる。
「アズールくん、みんなからナニ吸い取ってんスか!?」
「チッ……ラギー、前に出過ぎるな」
 咄嗟に防壁を展開したレオナはラギーの首根っこを掴むと自身の後ろへ放り投げた。「うわぁっ!?」足下から聞き慣れた間の抜けた声が上がる。
「よく見ろ、契約したヤツらが軒並み吸い取られてる。契約書が魔法の効果を制御する役割を果たしてたんだろう」
「えぇっ!? 怖すぎじゃないスか?」
 間違えたと臍を噛む。
 レオナが砂にすべきは契約書ではなかったのだ。
 契約書はあくまでも補助的なもの。その大きすぎる効果を制御するためのでしかない。
 なるほど、人を言葉巧みに惑わし海へと引き込む海の怪異(セイレーン)らしいユニーク魔法だとレオナは思った。
「アズール! 貴方何をしているんです!」
「なんだよアレ……アズールの体から黒いドロドロが出てきてる。墨、じゃねーよな?」
 レオナがアズールを止めようと口を開きかけた時、ジェイドとフロイドがラウンジに現れた。その後ろからエース達も駆け込んでくる。
「げっ、なんだこの騒ぎ!」
「アズールが暴れてる、のか!?」
「あいつ、寮生の魔力を無理矢理吸い取ってるみてぇだ」
 二人と一匹。その頭にはゆらゆら揺れるイソギンチャクは存在しないが、代わりに彼らから魔法の残り香のような、生温い海風に似たものをレオナは感じた。
「お前達……」
 アズールの視線がレオナから滑る。
 アズールのユニーク魔法の本質は約束≠ノある。契約書を燃やそうが、塵にしようが、契約したことそのものは破棄されない。絶対に破れないのは契約書ではなく、持ちかけられた契約に応じた事実そのものだ。
 レオナはジャックへと吠えるように声を張り上げた。
「ーージャック! そいつら連れてこの場から離れろ!」
「レオナ、どうしたんだゾ?」
「ジャックくん! レオナさんの言う通りに……」
「ーーさせるわけないでしょう」
 不思議な響きを持ったその声に引き寄せられるように目を向けたジャック達は、燃え盛るように炯々と輝く青を捉えた。吸い込まれるような燐光に目も思考も全てが奪われる。
「シンヤ、アズールはユニーク魔法の使い過ぎです!」
「そうだね」
 ジェイドの呼びかけに答える深夜の声は深海のように冷たく篭って聞こえた。滲み出したアズールの黒い魔力に包まれた深夜もまた、アズール同様に変貌し始めていた。
 形のないアズールのユニーク魔法は、魔法よりも呪いに近いものだ。けれどそれは、神秘が色濃い時代ならともかく、現代においては反動の大きい禁術クラスである。いくら妖魔の血が濃い人魚であろうと、あっという間にブロットが溜まるだろう。そうなれば最後、魔力欠乏状態に陥るかーー
「ブロットが蓄積許容量を超えている! このままでは、オーバーブロットしてしまう!」
「あは、あははははっ……もう遅い。ジェイド、フロイド……お前達の力も寄越せ」
「……え?」
 ラギーは呆然と呟いた。
 黒い魔力に覆われていたアズールが姿を現すと、いつか見た水泳の授業のように足は八つに裂け、黒い吸盤に歪に覆われていた。その背後には大きな黒い影と、横には洋墨を凍り固めたように黒い三叉槍を携えた深夜がいる。
 あまりにも突然のことに頭が追いつかない。その禍々しさに、本能的な恐怖から身体が硬直した。
 アズールが「取引しましょうよぉ」と手を伸ばした途端、肌を刺す重圧が増す。
 まるで冬の砂漠に放り出されたように手足は凍え、海の底に生身のまま沈められたように肺が押し潰される。
「アズールこっわ。ヤツメちゃんまでどうなってんの? つーかなんでトド先輩だけそんな魔力吸われてんの」
「魔力を吸う!? そんな、このままじゃレオナさんが死んじまう! シンヤ君! お願いだから止めるっす!」
「ただでさえ取り込まれかけてんのに、ヤツメちゃんまでオーバープロットとか洒落になんねぇんだけど」
「フォークを刺し間違えるほど幼くはないよ」
「ふーん? ならいいけどぉ。……でも、この勢いじゃトド先輩、急がないと干物になっちゃうね」
「お前ら、無駄口叩いてないでアズールを正気に戻すことを最優先に考えろ」
 レオナは力の入らない手で寮長ステッキを召喚した。舌打ちをし、どうにか束縛から逃れようとより魔力を練り上げるが、練り上げたそばから奪われていく。辿る匂いの収束先はアズールだ。
 魔法士のオーバーブロットによる死因は、致命的な魔力不足と、蓄積許容量を超えたブロット精製による精神汚染だ。
 回避方法としては、本人を正気に戻すこと。手っ取り早いのは感情と生体反応の連動を切(たこなぐりす)ればいい。
 もう一つは、魔力の過剰消費による生命力の置換が起きる前に失うより多くの魔力を摂取するか、新たに精製したブロットの蓄積先を増やすこと。
「ジェイド、フロイド。頼んだよ」
 はっと顔を上げたレオナの視線の先で、はっと顔を上げたレオナの視線の先で、黒い魔力に触手のように絡みつかれた深夜が薄く笑った。


20221016
20230106 修正

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