マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / 
ヒスイの姿01

*異世界マキリまとめ
 ウォロショウ風味です。


 蟲のさざめきに目を開けると、目に鮮やかな緑と純白の花弁が舞う青空があった。芳しい甘い蜜と花の香りはむせ返るほどで、地に満ちたみどりの魔力(ちから)は瑞々しく身体中に染み渡っている。
 暖かな陽射しは春の原野のようであり、僅かに湿った空気は深い湿原を思わせた。霧深い森の奥でもなく、燃える街並みでもなく、まるで知らない風景だ。
 ここは、どこだろう。
「ぁーー」
 誰か、人を探そうとして開いた口からは吐息だけが漏れた。喉は随分と長いこと声を出していなかったようで、スムーズに音を発しない。
「あ……あー、わた、し……」
 そこで、ふと気がついた。
 記憶は泥に沈んだように濁り、明瞭としていない。自分がどこから来たのか、何故ここにいるのかすら曖昧だ。
 こんな明るく美しい花園ではなく、もっと昏く、緑の闇に包まれた湿った地下蔵にいたような気がする。勘違いだと忘れるには、小骨のようにいつまでも引っかかる、目に映るモノへの違和感。
 そよぐ風に草花は揺れ、甘い芳香は濃度を変える。不思議と、辺りには生きた物の気配は感じられなかった。
 倦怠感と達成感に包まれたまま、深夜はゆっくりと目を閉ざす。
 ーー遠くで、ゆっくりとドアが閉まるような、音がした。


 ぼう、とどこまでも高く澄んだ天を見上げていると、プロペラのような重い羽音が近づいてきた。上体を起こすと、辺りに散らばっていた気配が一斉に霧散する。視界の隅では木陰の暗がりへと何かが飛び込む影が見えた。
 よく見れば、そよぐ風に混じって、不自然に草木が揺れていた。そこに蠢くナニカがいることは明白だ。怯えているのか、異物の様子を窺っているのか、じっと視線だけが注がれる。
「だれか、いるの?」
 かさりと草木が揺れた。音に驚いたのか、ナニカが隠れ潜んだ木々が連動するように揺れる。
 背筋を撫でるような気配に肌が粟立つ。辺りに、さざめく波のように困惑にも似た恐怖が広がった。
 振り向きながら、条件反射のように成りたての蛹を裂くイメージをする。
 裂かれた繭はぼとりと落ち、どろりと液体が溢れこぼれた。それを起動スイッチとして全身に力が漲っていく。熱くなった目は烱々と輝きを増し夜に漂う火の玉のように浮かび上がる。
 頭上を覆う影に勢いよく顔を上げるとーー
「っ!」
 煮詰めた蜜にも似た色彩の、人の背丈を優に超えるほど大きな蜂の巣が、まるで意思を持っているかのように、深夜を見下ろしていた。


 ◇

 日が落ち込んで数刻。数歩先すら見えない深更の闇の中から、きぃきぃと高く軋むような囀りが聞こえる。周囲をぐるぐると取り囲むように響く、ずるずると重たいものを引き摺る音も絶えない。
 どこかからか見られている緊張感に、高い草木の中でしゃがむ足は震え、手は汗でじっとりと湿っていた。
 おそらくは匂いを追っているのだろう。水を被っても鼻を狂わせる甘い芳香は、吐きつけたモノの執念深さを示すようにショウの身体から消えない。
 冬が近いこともあり、貪欲に獲物を狙う気質はより凶暴さを増し、通りかかった獲物を待つだけではなく自ら執拗に追い回すものへと変化していた。
 そのポケモン固有の性質や特性がより顕著に、極端になりやすいのも、親分と呼ばれる異常成長個体の特徴だ。体が大きい分必要なエネルギーも多く、気性が荒くなりやすいのではないかと博士が言っていたことをショウは覚えている。
 所々である、ぬかるんだ地面が星灯りにぬらぬらと照る。その反射を頼りに、ショウは音から遠ざかるように慎重に進んだ。もう仮拠点に戻っているのか、森の奥へ迷い込んでいるのか、ショウには判断がつかない。追われるうちに自身の探索等級を超える場所まで踏み入ってしまっていた。
 通常であれば、夜明けを過ぎても戻らない調査員には捜索隊が出される。ショウもよく調査の合間に合流し、迷子になっていた彼らを連れ戻している。
 だが、自分の場合はどうだろうか?
 コトブキ村は移民の寄せ集めだ。ヒスイの地という枠組みで見れば、そもそも全員が他所者なのだ。なのに、割れた天ーー時空の裂け目から現れたショウだけは不吉な他所者という噂を羽織らされている。
 ……今は、逃げ延びることに集中しなきゃ。
 ショウは疑心を振り払うように腰帯の中に仕舞い込んだ玉に触れた。相棒のポケモンは先の戦闘で弱りきっていて、とてもじゃないが戦える状態ではない。
 ……私がしっかりしないと。
 木々を抜ける風の音が物寂しさを誘う。ずるりずるりと聞こえる音も、まだ背にへばりついていた。


 ◇

「Anfang.(告げる)ーーSturz.(落ちよ)」
 轟音が夜のしんとした空気を裂く。シャドーボールよりも黒い小さな塊が、光の筋を残しながらマスキッパへと直撃した。「スキュー!」暗闇にぽつりとこぼした緑の影から、軋むような悲鳴が上がる。
 黒い影に弾かれた巨体は木に巻きつき体勢を立て直すと、体躯の大きさを利用し自重による加速で宙へと駆けた。伸ばされた触手を大きく広げ、ショウへと飛びかかる。
 大きな口の中は血のように赤く、赤く。暗い夜でも消化液を滴らせる棘がいくつも見えた。あまりの恐怖に喉が引き攣る。強張る身体はぴくりとも動かない。
 ああ、もうダメだ。諦めたショウが目を閉じようとした時、
 ーーカタカタ。
 ポーチがーーその中に仕舞い込んだボールが、熱を持ち激しく揺れた。
「っ!」
 どん、と背中を強く叩かれたような衝撃が走る。その勢いのまま、ショウは弾かれたように地を蹴る。迫る触手とすれ違いながら前方へと回避し、そのままぬかるんだ泥の上を滑るようにマスキッパの下をすり抜ける。
「キシャー!」
 振り向いたマスキッパへ、ポーチから転げ落ちたボールから飛び出した相棒が威嚇の声を上げた。
 人間のショウよりも臆病で、いつも背に隠れてばかりの相棒。か細く甘える声は今や鋭く、ふにゃふにゃとした炎しか出せなかったその背からは、熱く眩い炎が燃え上がる。
「ぁ……」
 突然の光と熱さに怯んだマスキッパは、直後に空気を震わせた電動音のような低い羽音、その振動が直撃し、泥で泥濘む地面へと落ちた。
 マスキッパを挟んだ向こうに、人影と、また大きな巨体が蠢いていた。
 目の前の相棒はまた高く鳴き声を上げると、その小さな体は光に覆われ、姿を変えていく。少しだけ伸びた体躯からはより多くの炎が燃え上がった。ちら、と振り向いた相棒の指示を求めるような視線に、どくんと胸が高鳴る。
 気がつけば、ショウは声を張り上げていた。
「ひのこ! そのままころがる!」
 幾つも吐き出された火の玉は夜に覆われた森を照らし、マスキッパの触手を焼いた。きらきらと輝く金赤の火の粉が舞い上がる中、泥を巻き上げながらその巨体を弾き飛ばす。
 悲鳴と共に浮かび上がった巨体は触手を広げ体勢を立て直すと、不利を感じたのか暗く深い森の奥へ逃げるように消えた。
 軋むような風音が小さくなる。暫くすると、しんとした冷たい静けさが戻ってきた。「勝っ、た……」
 思わずこぼれた声は、静かな森では思いの外よく響いて聞こえた。勝ったのだ。追い返すのが精一杯ではあったし、見知らぬ誰かの手助けはあったけれど。
 気が抜けたのか、ショウはどさりと地面へ尻餅をつき大きく息を吐く。そこへ、進化した相棒が心配をするように駆け寄り鼻先を近づけた。すんすんと検分するように湿った鼻先を押し付けられる。余程心配していたのだろう。ショウは炎が消えた滑らかな毛艶の背を安心させるように撫でた。
 風に乗って、ぱきりと、小枝を折るような軽く高い音が耳に届いた。その音にはっと顔を上げると、いつの間にか目と鼻の先にオボンの実が落ちている。
 くれる、のだろうか。
 見知らぬ人からの施しに僅かに躊躇ったショウに対し、相棒は迷うことなくかぶりついた。見る見るうちに体力が回復していく相棒に、ショウは一瞬でも毒や罠を疑った自分が恥ずかしくなった。
 気を張り詰めた生活が続いたせいで、知らずにぴりぴりしていたのだろう。最近は向けられた親切すら疑うことが増えてしまった。
「あの! 助けていただき、ありがとうございます!」
 返事はない。けれど、甘い蜜のやわらかな香りがふわりと広がった。




 ショウがコトブキ村に本当の意味で迎え入れられる時、ショウの疑いが晴れる時が来るとしたら、それは時空の裂け目が閉じた時だろう。
 けれどそれは、ショウの望みではない。
「帰りたいんです。博士からは、私はあの穴から落ちてきたと聞きました。なら、私の帰る場所は穴の向こうにあるのでしょう」
 ショウの望みは元の時空に帰ること、ただそれだけだ。


 あれから舞台の戦場で女王を鎮めた後も休むことなく紅蓮の湿地に通い詰め、ようやく探し当てた恩人はヒトのような、ポケモンのような、不思議な姿をしていた。
 傍らの一際大きなビークインに、まだ産まれたての幼体のように世話を焼かれていた、ポケモンに育てられたと思われるヒト。
 ミツハニーの群れを統率し、女王を守る騎士のように縄張りの侵入者を追い払うほどの力を持っている。この世の美しさと不幸を凝らせたような造形に、ポケモンにも似た異能を操る不思議な少女。
 相棒は彼女の足下で鼻をすんすんと鳴らし、ボールの中へと戻ってしまったことから、きっと危ない存在ではないのだろう。
 溶岩、迎月と荒れ狂う王達を鎮めていったショウへと向けられる疑惑の目は柔らぐことはなかった。
 調査場所も徐々に村から遠く、人の生存圏外へと近付いている。
 今は真珠団の手を借りて純白の凍土の調査しているが、当初、村から派遣された建築隊は凍土の基地設営予定地に辿り着くことができなかった。先の見えない吹雪と一面の銀世界で道を逸れ、そのまま行方不明となっている。
 万年人手不足の調査隊からは新たに人員を割いて捜索隊を出せない。なので、彼らの捜索は現地にいるショウへと割り振られた。
 信用は得られていない。
 信頼もされていない。
 時空の裂け目から落ちてきた。同じ頃に各地の王に異変が起きたから。そしてそれを鎮めてみせた。だから最も疑わしい。
 そんなこじつけのような理由だけで、どれほどの働きを見せても疑いは纏わりつく。
 ならばこの先、ショウには力がいる。
 臆病だった相棒は随分と逞しく、強く育った。けれど、それでは足りない。ポケモンは未だ未知の生命体、よくわからない隣人ではあるが、この相棒はショウにとっても村にとっても既知のものだ。
 村の誰も知らない、ショウだけの力が必要だった。

 だから、その手が差し出された時。ショウは迷うことなくその手を握った。
「あなたと同じ、私も天の孔によってこの地に招かれた。バーサーカーーー半英霊(デミ)ではあるけれど……聖杯(ぎしき)を担うモノとして、その願いにこたえましょう」
 ーーたとえそれが、泥だらけの手だったとしても。



20221113

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