マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
1-6



 夢をみた。
 鮮やかな青い蝶が、天へ沈む夢を。



 エース達が守備よく海の博物館へと向かったあと、レオナは寮生達を率いてモストロラウンジへと訪れていた。
 名目上は先のマジフト大会の慰労会である。費用は全て寮長の財布から出ると聞いて、全員が三十分前集合を果たした。
 そのレオナからの指示は一つ。「好きなだけ食え」
 王の号令と共に肉に飢えた食べ盛り、サバナクローの寮生達が席を占めたモストロラウンジは、開店直後に満席という異常事態に陥っていた。
 元よりランチタイムでもない午後の開店直後はそれほど人を割いていない。客数に対する人手が足りなさすぎた。それは支配人であるアズールが急遽ホールに駆り出されるほどの繁盛振り。
 その混乱と興奮に乗じてレオナとラギーは応接室へと忍び込み、金庫の中身を持ち出した。
 食い気に暴れる寮生達が壁となる死角、数人がけのソファー席だ。
「レオナさんどうします? この契約書の量すごいッスけど。一枚一枚確認してたらそれこそ日が暮れちまう」
 抱えた黄金の契約書の量にラギーはげんなりとした。
 レオナが目当ての契約書は二枚だと言う。一枚はグリム達の、もう一枚についてラギーは聞いてはいないが、きっとレオナ自ら契約した分だ。
 おそらくは、初めからこれが目的だったのだろう。グリム達を寮に置いた時点でこうなるように計画していた。
 しかし、この量を検分するのは様々な雑用をこなしてきたラギーと言えど骨が折れる。きっと半分もしないうちにアズールは飛んでくるだろう。
 レオナの指示を待つラギーの耳に「ま、いいだろ」と低い声が滑る。ぎょっとした顔でレオナを見上げると、ここ暫くで随分と聴き馴染んだ詠唱が続く。
「俺こそが飢え、俺こそが乾き。お前から明日を奪うものーー」
 黄金の契約書、名前の通り金が混ざってないか確認したいから、レオナさん切れ端くらいは残してくれないかな。などとラギーが思っていると、血相を変えたアズールが二人のいるラウンジの片隅へと駆け込んできた。
「待ちなさい!」
「どうしたんだアズール。そんなに慌てて」
「それを、それを返しなさい!」
 興奮と走ったことで息があららぐ。全身で息をするアズールにレオナは一つ疑問を投げかけた。
「アズール、お前どうしてユウだけを寮に置いた?」
「はぁ?」
 ずっと気になっていた。今までの監督生の様子からすると、あの子供はアズールの商売の害にも益にもならない存在だ。学園長の下にいる分、むしろ扱いに困る部類である。
 とは言え当然、レオナは今回裏で何があったのか、アズールの考え含めてジャックから全て聞いている。レオナもアズール同様、あのボロ小屋に人を置いている話には正気を疑った。それもゴーストまで出るときた。
 学園に住まうゴーストは悪戯こそすれど人に害を与える存在ではない。ただ、ゴーストは周囲から微量の生気を吸収している。それは人への好意敵意に関わらず種族的な特性によるものだ。
 たとえ微量でもゴーストと寝食を共にしているとなれば、その影響は計り知れない。ましてユウの魔力耐性の無さを考えると悪い方の予測ばかりが立つものだ。
 少なくとも、レオナが一度見た限りではそういった結界の類が張られているようには見えなかったのだから。
 スラムとどちらがマシか聞かれたラギーも、すぐには答えが出なかった。
 だからレオナは彼らの中での思惑こそあれ、オクタヴィネルらしい遠回りな慈善事業だと思った。同時に、アズールに任せるのであればそう間違いはないだろうとも。学園長(カラス)の趣味は少々古めかし過ぎた。
 空間に合わせた家具や什器を選ぶアズールのセンスと目をレオナは認めている。ホテル経営についての展望を人伝に聞いた時、出来が良ければ今後依頼を考えたほどだ。
 ただ、それでも、ユウごと追い出してもよかったはずだった。
「放っておいてもアイツらはサバナクロー(うち)に転がり込んできただろうよ」
「そんなこと……もちろん、気に入ったからですよ」
「ハっ……。相変わらず趣味の悪いこった。お前がオンボロ寮とユウを取り上げちまったせいで、毛玉がユウを取り戻せって、朝から一年坊達と俺の部屋の前で騒ぐんだよ。おかげすっかり寝不足だ。おまけに一年坊もオンボロ寮が取られちまったら寮に入らせてもらえないってピーピー泣き喚いてやがる」
 出禁の話はアズールもリドルから聞いていた。他寮の罰だからと無関心でいたが、まさかそこからサバナクローのレオナにまで繋がるとは思わなかった。
 おそらく、見捨てられなかったジャックが連れ帰ったのだろうとアズールは推測した。
「途中までは良かったんだがなァ、アズール。テメェは自分の趣味の悪さと回りくどさで負けるんだよ。ーーさあ。平伏しろ! 王者の咆哮(キングス・ロアー)!」
「やめろぉおおお!!!!」
 レオナの詠唱が完成すると共に、魔力は契約書から分子レベルで水気を奪い紙を急速に劣化させていく。
 最後はきらきらと光る砂塵を残して、数百枚にも及ぶ契約書は全て消失した。
「ぁ……あァ……」
「アズール、お前はもう少し人間を学んだ方がいいぜ」
 アズールは目利きも良く手腕も優れている。ただ顧客の許容範囲がどこにあるのか、限界はどこまでか、その機微を見極めることが上手くはないとレオナは思っている。
 そもそも顧客とも思っていない可能性はあるが、魔法士養成学校は名門であればあるほど卒業後も繋がりが濃く残る。あまり恨み辛みを買い過ぎると将来に響くだろう。
 ここは陸だ。広大で、けれども狭い、海の世界とは違う。
 折角嗜めてくれる手下がいるのだから、少しは顧みると良い。オクタヴィネルの毒虫と呼んではいても、ここぞという所でアズールにブレーキをかけるその手腕は認めていた。
「まァ、これに懲りたら無茶苦茶な契約方法は考え直すことだな」
 そう、己の対価を思い出したレオナは低く唸った。

 その向こう、どこか遠くて近い暗い場所。心の内の奥深くで、黒く底の見えない濁ったよどみが、こぷりと溢れた。
「ーーァ……」


20220916

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