マキリの幻蝶 | ナノ
マキリの幻蝶 / マキリの娘とねじれた世界
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  グリムとエース達の保証人として、ユウがアズールと契約を交わしてから今日で三日目となる。
 
 どうしてもイソギンチャクから解放されたいのなら、アズールが指示した博物館から記念写真を盗み出すこと。それまでの間オンボロ寮は担保として差し押さえることとする。
 期限は三日後の日没まで。ただしエースとデュースは抜ける間、代わりの労働力を用意すること。

 ユウがアズールと交わしたのは、要約するとそういう契約だった。
 グリムについて、本来なら代わりとなる労働力だけで良いところをユニーク魔法もなく後見人のいないグリムの担保≠ニいう最もらしい理由でオンボロ寮を要求した理由は、モストロ・ラウンジプロデュースのモデルルームとして改装を行うためだ。
 アズールは卒業後のビジネス展開として、ラウンジ経営の他にホテルの運営も視野に入れていた。前身となる組織を作るにも、流石に学内でホテルまで作るわけにもいかず、来賓用の客室も既に拡張高い屋敷が建っている。改装を提案するにもその為の下地がない。
 そこにちょうど良く現れたのが異世界の人間とオンボロ寮である。
 
 時代はエコでユニセックスでマジックフリーだ。魔法は万能でなくとも充分便利だが、今は才能と力ある一部の特権階級しか使えない。限りあるサービス品扱いである。
 不平不満が噴出する前に偉い人達は初めから下限を決めてそこに合わせることにした。耳障りの良い言葉を充てがえば誰も文句は言わない。
 これも、いつだって隣の芝は青いという、公平と平等の名の下に示されたそれぞれの傲慢ではあるが。
 
 契約後、ユウはアズールの予想通りエースから代理の労働を頼まれ、モストロ・ラウンジで住み込みのアルバイトに勤しむこととなった。ランチタイムは他のイソギンチャクと共にホールを回し、それ以外はバックヤードで。
  そもそも、皿洗いも遅くベーコンエッグですら焦がすほどの料理スキルのユウではあるが、味付けのセンスは突出していた。
 この世界の料理は傾向としてイタリアンとフレンチが多く、和食や中華、エスニックはまだそう広く浸透していない。焼きそばやたこ焼きはなぜか存在しているようだが。
 アズール達に話し振る舞った故郷の味付けは、片田舎を感じさせる素朴で豪快なものから宮廷で出されていてもおかしくないほどに繊細で上品なものまで多岐にわたる。
 その知識と舌の記憶を見込まれて、ユウは早々にホールから外され新メニューの開発補助へと移った。フロイドや深夜、時にはアズール自ら指示の下、様々なツイステッドワンダーランド産の不思議生物の試食とそれに合う味付けの開発だ。
 ただし、ユウはあくまでもペナルティの労働力、彼らの代わりであって給金は出ない。けれどその代わりにと与えられる十分なまかないは、ユウにとっては使えもしない貨幣よりよほど価値が高かった。なにせホテルのようなモデルルームに三食おやつ付きである。
 無償労働に関してはハーツラビュル寮長であるリドルから色々と直訴があったが、事情を掻い摘んで説明し、納得の上で引き下がってもらった。その代わり、ユウへのお茶会の招待と包まれるお土産は増えたが。
 
 今の時刻は夕刻。窓の向こうでは厚い水の層をくぐり抜けた光のカーテンが薄暗い海の底で揺れている。刻々と形を変え、海の奥からは空同様に静かな暗闇が漂っていた。
 ユウは残された僅かな時間を、その美しい景色を時々眺めながら、深夜と共に黙々と銀食器を磨くことを選んだ。正確には、仕事を終えた深夜がユウに付き合ってくれているのだが。
 海の外ではまだ多くの学生が部活動に励んでいる。ディナータイムにはまだ早い時間帯だった。元々深夜は仕込みの為に出勤していたが、それも終えたからとユウを手伝ってくれている。
 そっと盗み見ると、どの角度から見ても変わらず美しい顔に思考がぽやんと蕩けそうになる。銀食器を磨いている姿にすら洗練された貴さがあるようだった。
「どうしたの?」
 ユウがあまりにも長く見ていたせいか、視線に気づいた深夜の深い海底のような眼が向けられる。魔力酔いに動けなくなる頻度は随分と減ったが、色濃く神秘を宿す妖精や人魚に対してはまだ意識が朦朧とすることがあった。波長の問題だろうとはアズールの見解である。
「はい。ただ、その……グリム達は大丈夫でしょうか……」
 ユウは首を振ると、視線を落としぽつりと呟いた。
 曇りのない銀食器には不安に瞳が陰る少女の顔が映り込んでいる。こぼれ落ちた囁きほどの小さな声は、静かなキッチンによく響いた。
「大丈夫。優秀な番犬がいるもの」
 玲瓏とした響きがあまりに心地良くて思わず目を閉じた。瞼の裏に番犬と称された友人が浮かび、思わず笑みがこぼれる。
 ユウは深夜が淹れた甘く香り立つカフェラテで唇を湿らせると、ややあってから「そうですね、きっと」と苦笑した。
「条件とは言っても、フロイド達が遊んでるだけでタイムアップはあってないようなものだから、ちゃんと動いてさえいれば達成できない≠ネんてことはないからね」
 これ以上ハーツラビュルの一年二人を繋いでおくメリットがアズールにはないと深夜が言う。
 ユウを安心させるように言葉を選ぶ深夜に、ユウの心は傾く日のように沈んでいく。銀食器には相変わらず不安に曇る女の顔がある。
「フロイド達には悪いけれど、キングスカラーすら凌いだのだからもっと自信を持って」
 そうではない。そうではないのだ。
 日没まであと数時間。
 グリムやエース達に巻き込まれて一時的に住処を失うという大変な目に遭ったが、ユウはラウンジで働くことは苦ではなかった。
 ユウが故郷の味を伝えることで、いつかユウが忘れたとしても味だけはここに残ってくれる。そして同時に、異世界でも故郷の味が求められたことで存在を認められたような錯覚も与えた。
 キッチンに籠り試行錯誤の末再現されたそれらはユウの思い出と言って差し支えない。前は意識もしていなかった味だが、今はその一つ一つに思い出が浮かぶ。懐かしさと恋しさから強い望郷の念にかられた。
 どうしてこんなところに来てしまったのか。どうして自分が選ばれてしまったのか。
 ーー帰りたい。
 ふいに感情が振れさめざめと泣くユウに何を言うでもなく、慰めるでもなく、ヒトの姿をした彼らはただ寄り添ってくれた。否定も肯定もしない。その距離感が心地良い。
「……今日で最後だと思うと、少し寂しいんです」
 遠くで聞こえる鐘の音が時刻を告げている。
 エース達はきっと帰ってくるだろう。その心配はしていない。
 日没までもう、あと僅かだった。



20220828

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